石音インストラクターブログ

2015/07/01

囲碁, 若柳諒インストラクター

石音の存在意義

事件には、静かなものと騒がしいものの二種類がある。

僕が遭遇したのは、「静かな事件」だった。しかも、石音の席亭さんである
根本明さんや、インストラクターである関兵馬さんを巻き込んで。被害者も
加害者もいないこの事件の首謀者は、「石音の存在意義」という、わかるようで
わからない、しかし決定的に重要な概念だった。

僕は去年の8月ごろに、石音のインストラクターとして活動を始めた。昔は
日本棋院の院生だったし、人前で話したり文章を書くような仕事もしていたから、
「囲碁インストラクター」が自分の職業的な選択肢の一つであることは
わかっていた。

しかし、囲碁インストラクターとして働こうと考えたことは一度もなかった。
囲碁インストラクターという仕事が、そのころの僕には「囲碁しかできない
つまらない仕事」に思えたからだ。囲碁以外のたくさんのことを、僕はしていた。

そんな僕が、石音という場で活動をしたいと思った理由は、ひとえに
「根本さんが描いていたビジョン」にある。実名および顔写真必須という
システムに現れている通り、石音は「打って終わり」の既存対局場とは
一線を画する、人間同士のコミュニケーションを大切にした対局場の運営を
志している。

そのビジョンに共感して、僕は石音で活動を始めた。「囲碁で終わり」ではなく、
「囲碁の向こう側にある何か」を求めて、石音スタッフの皆さんも活動をしていた。

だから石音のインストラクターは、「打って終わり」の指導をほとんどしない。
一人ずつの利用者さんに寄り添って、囲碁人生に伴走していくような、
長い時間軸での指導をいつも行っている。

僕は、そのこと自体が「事件」だと思った。石音のスタッフさんたちはみな、
お客様の囲碁人生の伴走者、すなわち「ライフパートナー」と名乗るべき活動を
しながらも、実際には「インストラクター」と名乗ってしまっている。

僕が囲碁インストラクターになりたくなかった理由は、それが
「囲碁しかできない仕事」に思えたからだ。それなら僕と同じように、
囲碁インストラクターが「囲碁しかしない仕事」に思えてしまう人は、
世間にはたくさんいるはずだ。

席亭である根本さんのビジョンに共感して集い、
石音でしかできない「囲碁人生の伴走者」という仕事をしているのに、
外側からは「囲碁しかしない仕事」と見られてしまう。これは、静かな大事件だ。
インストラクターと名乗り続ける限り、「石音の存在意義」が、
世間に伝わらなくなってしまう。

僕は根本さんに、「IGOライフパートナー」という、石音スタッフの新しい名称を
提案した。「囲碁」を「IGO」にしたのは、僕が最近興したIGOホールディングス
という会社の理念、すなわち「囲碁を再定義する」という気概を反映している。

株式会社石音は、「囲碁インストラクター」の定義を、「IGOライフパートナー」
に書き換えようとしている。囲碁人生の伴走者。そんな人たちが石音に続々と
集まるようになったら、それこそ囲碁界きっての、歴史上に類を見ない大事件だ。

「石音の存在意義」には、そんな未来が詰まっている。

2015/05/26

囲碁, 松田浩和インストラクター

恐怖の秒よみ事件


私は割合単調な日々を送っているので事件というほどの事件はあまり

身に覚えがありません。
盤上のことに話を移せば、そこには事件が

たくさんありますが、それではつまらない感じもあります。

今回のテーマは難しい。




悩んだ末に今回紹介するのは結局碁の話。学生時代の囲碁大会での

出来事です。




関東の大学囲碁部に所属している人間にとって最大のイベントは春秋

2回開催される「関東リーグ」です。(正式な名称はもっと長いですが

今回ははしょって)
5人制の団体戦で、一部8チームの総当りのリーグ戦

で行います。成績によって各部
2チームが昇降級します。大学囲碁界は

全国
8ブロックに分かれて運営されていて、関東リーグはその1ブロック

の予選に過ぎませんが、大学が多い地区だけに白熱した戦いが繰り広げ

られます。私の学生時代は一番競技人口が減少した時代で
3部までしか

ありませんでしたが、最盛期は
8部まで、現在でも4部まであります。




学生棋戦は学生自身が運営していて、関東リーグの場合は盤石なども

各大学で用意します。
1チーム5人に対しての碁盤、碁石、対局時計を

3セットの用意が義務付けられていました。双方が3セット用意して

あれば道具が足りなくなることはない理屈です。




いつの対局だったか記憶があいまいですが、その関東リーグでの話です。

私は3将か4将で出場していました。相手はどこの大学だったか。

碁の内容は覚えていませんが、たぶん私の苦戦で先に時間がなくなり

ました。当時の関東リーグは持ち時間が
60分、切れたら30秒の秒読みで

対局していました。
60分を使い果たした私は一手を30秒以内に打たない

と時間切れ負けになります。



ここで問題が生じました。私の対局で使っていたのは相手方が用意した

道具だったのですが、手合い時計がアナログ式で秒読み機能がついて

いませんでした。今は秒読み機能の付いたデジタル式の対局時計が

一般化しましたが、当時はこういうことはよくありました。

こういう場合は人をつけて秒を読みます。正式には双方の大学から

一人ずつ秒読み係を出して、相手方の選手の秒を読むというのが

ルールだったと記憶しています。




ただ当時は、学生の囲碁人口が最も少なかった時期で、記録係や秒読み

係を出せない大学も多いのが現状でした。そのときも双方とも余剰人員

がいなくて、たまたま近くにいた他大学の手空きの部員に急遽秒読みを

お願いして対局続行となりました。幸い秒針つきの腕時計をしていたの

30秒の秒読みは可能です。




苦しい碁ですが、団体戦なので簡単には諦めません。時間を目一杯

使って少しでも粘ろうとします。打つ手が決まっていましたが、

その先を読んだり、目算をしたり、やるべきことはいろいろあります。

かすかに違和感を覚えましたが、余裕のない状況ですし、集中すべき

局面も目の前にあります。私はぎりぎりまで読もうと読みに集中しま

した。そのときです。




30秒!』



彼は高らかに宣言しました。しまった時間切れ。しかし何かがおかしい。

第一声が30秒ってそれはない・・・それでは秒「読み」ではないです。

一瞬虚をつかれた私ですが、事態を把握すると思わずかっとして秒読み

をしてくれた彼にかなり激しいことを行った記憶があります。

真剣勝負のさなかで気が立っていたというのもあると思います。

さすがに対局相手も対局続行を同意してくれて反則負けにはなりません

でしたが、あの瞬間の衝撃は今でも忘れられません。

碁は確か負けました。




局後に聞くと、60秒の秒読みと勘違いしてしまったようです。

今考えると秒読みを突然頼まれた方もいい迷惑で、

結構緊張したでしょう。そもそも時計がアナログ式で、しかもお互いに

秒を読む人手が無いことはわかっていたので、そのあたりをどうするか

対局前に確認しておかなかったのがおかしいのです。杜撰なものです。

あのとき声を荒げてしまったことは今では後悔しています。とんだ

ハプニングと当時は思いましたが、要するに準備不足だったですね。


2015/05/17

吉森弘太郎インストラクター, 囲碁

私が遭遇した事件 ~盤上編~


囲碁って、曖昧なゲームなんです。



みなさんこんにちは。インストラクターコラム、2周目の

トップバッターになってしまいました。
吉森弘太郎です。

今回のテーマは「私が遭遇した事件」

ということで、前回は全く囲碁と関係ないグルメレポートになって

しまったので、今回は囲碁の話をします。




みなさん、囲碁を打っててトラブルになったことはあるでしょうか?

特に多いのが、終局時のトラブル。

まだ地になる手が残っているのに終局にして境界線が分からなく

なったり、
整地していたらどっちの地か分からなくなったり、

うっかりダメを詰めたらアタリになって・・・

そうしたトラブルが多い原因の一つに、「囲碁のルールの曖昧さ」

があります。



基本的に、「お互いの合意」があれば、だいたいオッケー。

なんともゆる~いルールです。

数あるゲームの中でもルールの曖昧さはトップクラス。

まあ、性善説みたいなもので、最近は徐々にルールが整えられてきて

いますが、
そのゆるさもレトロで囲碁っぽくて素敵なようで

捨てがたいような・・・


昔の感じってなんかいいですよね~。

でも、曖昧でトラブルが増えるのもなんですから、ルールが整えられる

のは良いことです。




整備されたルールの一つに、

「ダメを最後まできっちり詰めてから終局とする」

というのがあります。

これ、以前は、

「お互いに終局と認めたらそこで終局(ダメ詰めが残っていても)」

という感じでした。今でもそうしているアマチュアは多いのでは

ないでしょうか?このルールが私も遭遇した事件に深く関係して

くるのです。




かつてプロの対局でもこのルールでトラブルがありました

(確か 王立誠 VS 柳時薫 の棋聖戦)。


ダメ詰めの時に柳先生がお互い終局を認めたと思ってダメを詰めている

時に、うっかり手が残る形に詰めたら、王先生は終局を認めてないと

主張して手をつけたのです!




結局王先生の主張が通ったと記憶していますが、タイトル戦での出来事

ということもあって物議をかもし、それで今の「ダメを最後まで詰めて

終局」のルールができました。



私が大学一年の頃、学生王座戦関東一次予選の準決勝、終局直前に

下の図の形が残っていました。




吉森イン

 




黒からうまく打てば白地が一目減るのですが(考えるところが少ない

&そんなに難しくないので、考えてみましょう)、相手の方に

「終わりですね?」と聞かれました。

(当時はまだ改善前のルールでした)




実はこの時形勢が猛烈に細かく、白が手入れすれば白の半目勝ちでした。

「いや、終わりじゃない」と言ってしまえば、相手は恐らく気付いて

手入れし、相手の勝ちになるでしょう。


といって、終わりを認めれば、もうそこに手をつけることができなく

なります。私は逡巡し、取れる行動は一つしかなかった。


微動だにしないこと。

相手も不思議に思ったのでしょう。首をひねりながら他のところへ

打ちました。


そして私が手をつけると、相手は「あっ!」と叫びました。

勝敗が決まった瞬間でした。




この碁を拾った私は決勝も一目半勝ちで一次予選を抜けることが

できました。
(二次予選はボコボコにされましたが・・(^_^;)

もう今ではあまり出会えない事件になってしまいましたが、

こんなドラマを生む囲碁の曖昧なルール、

なくなっていって嬉しいような、悲しいような・・・



この時は私もバツが悪かったので、きっと、いいことですね^^


2015/03/15

囲碁, 松田浩和インストラクター

碁盤の前


碁盤2

 




日曜日(第2第4週)の『有段ぶつかり稽古』を担当しています松田浩和です。



囲碁は中学(私立で中高一貫でした)で囲碁将棋部で覚えて深みにはまりました。

特に大学ではどっぷりと囲碁につかり、親からはお前出たのは

囲碁学部だといわれる始末です。

現在は静岡県で囲碁インストラクターをしています。



お気に入りの場所ということですが、特にそういう場所は思いあたりません。

普段はメインの職場である藤枝の碁会所と自宅を往復する日々で、

特に行きつけのお店があるわけではありません。

帰宅後や休日も自室で過ごす時間が長く、これと言ってお気に入りの場所が

あるわけではありません。関翔一インが「自室」という解答ですが、

私もそれに近いかもしれませんね。以上終わり。



と言うわけにも行きません。



そこでふと気が付いたのですが、碁席の自分の席にも自室の席の前にも

常に「碁盤」があります。

碁席では席主として受付業務をしながら個人レッスンなどもするので、

私の席は受付兼指導碁席という感じの配置になっています。

(榧の碁盤が二つ並んでいます)



自室でもパソコンの前に碁盤がセットされています。

実は碁盤の前に座っているだけで、実際はテレビを見ていたり、

インターネットをしていたり、本を読んでいたりということが

大半だったりします。



それでもともかく碁盤の前に座り続けていることは確かです。

たぶん毎日10時間以上碁盤の前に座っています。

今まで自覚がなかったですが、私は碁盤の前に座るのが大好きなようです。



ということでお気に入りの場所は碁盤の前にします。



私のケースは極端ですが、囲碁上達の秘訣として身近な使いやすい場所に

盤石を用意しておく、ということはおすすめします。

やはり石に触れる機会が多いほど上達のチャンスも増えます。


2015/02/07

囲碁, 橘諒インストラクター

碁盤をお気に入りの場所にするためには

「お気に入りの場所」の反対は、
「気に入らない場所」です。

僕は月曜日の午後に石音でインストラクターをしながら、
いつもは文筆家として、長短様々な文章を書いています。

そんな僕にとっての一番の「お気に入りの場所」は、
実は「ノートの上」なのです。

なぜなら、そこが一番自分らしくいられる場所だからです。

自分が自分らしくいられる場所は、「お気に入り」になります。
自分が自分らしくいられない場所は、「お気に入り」にはなりません。

僕はほとんどの文章を、ノートに手書きで書くのですが、
そこに「自分らしい文章」が溢れてくるときは、
とても誇らしい気分になることができます。

反対に、机に座ってノートに向かう時間がとれず、
それゆえ「自分らしい文章」を書けないときには、
まるで囲碁で情けない負け方をしたときのように、
とても残念で悔しい気分になります。

囲碁を打っていても、みなさんが誇らしい気分になるのは、
「自分らしい手をたくさん打てたとき」ではないでしょうか。

そのようなときはに、碁盤の上が「お気に入りの場所」になりますが、
負けそうなときは、盤上は「気に入らない場所」になりますよね(笑)

みなさんが次に向かい合う「碁盤」は、みなさんの着手次第で、
お気に入りの場所にも、気に入らない場所にもなります。

碁盤を「自分らしい手」で埋め尽くすことができれば、
これまでよりもずっと、「お気に入りの場所」になりやすいはずです。

「安全な手」よりも「自分らしい手」を、
「正解の手」よりも「自分が打ちたくなる手」を、
もっともっとたくさん打つよう、心がけてみてください。

きっと対局も自分らしくなって、上達も一気に加速するはずですよ!
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