石音インストラクターブログ

2015/09/08

囲碁, 松村和明インストラクター

私が遭遇した事件

6月から金曜日14時~の枠で石音インストラクターとして
レッスンをさせていただいている松村です。

私とあまりなじみのない方も多いと思われますので
自己紹介を混ぜつつ書かせていただきたいと思います。

私が初めて囲碁を知ったのは小学生の頃でした。
祖父の家に碁盤碁石があったことや、当時「ヒカルの碁」という漫画が
大ヒットしていたこともあり興味を持ちすぐにルールを覚えました。
そんな私を見た両親は地元の囲碁教室に通わせました。

しかし、私は困ったことに勉強が大嫌いでした。毎週出される詰碁の宿題など
一度もやっていったことがなかったと記憶しています。
囲碁教室も囲碁もすぐにやめてしまいました。

そんな私ですが、今は囲碁インストラクターを仕事にしています。
どうしてそうなったか...。「事件」が起こりました。

大学時代、ひょんなことから囲碁部に入部し、囲碁を打つようになった私は
学生の団体戦に出るため小学生の頃には考えられなかったほど囲碁に取り組み
始めました。色々なことをバネにし、気づいたら棋力を伸ばすことに
夢中になっていました。

そして3年生になり本格的に就職活動を考えた時、私には就きたい職が
ありませんでした。ずっと囲碁していたい...。
それで頭がいっぱいだったかもしれません。

そんな時、訪れた転機であり事件が行きつけの地元の碁会所で期間限定の
入門教室をやってみないかというお話でした。

実際に教室をやらせていただくと想像をはるかに超える楽しさと喜びが
ありました。興味津々な生徒さん、初めて使う大盤、初めての指導する側での
指導碁、もう語りつくせないほどでした。その大きさはあまりに衝撃的で
私の人生観を変えることとなりました。

この事件はそのまま今の私に直結しています。
私にとっての天職は囲碁インストラクターであり、多くの方のご協力があって
今石音や様々な場所でレッスンをさせていただいています。

棋力向上だけでなく、囲碁インストラクターとしてのスキルももっと向上
できるのではないかとレッスンに毎回工夫をこらすのも楽しくありますし、
充実した日々を送らせていただいています。

これからも今まで以上にたくさんの人に、
今まで以上の「囲碁インストラクター松村」としてレッスンを
させていただきたいと思っています。

2015/09/04

囲碁, 泉勝徳インストラクター

私の遭遇した事件

この時期といえばスイカ、海、花火と色々と夏の定番があります。
そんな、夏の風物詩にちなんだ事件を体験したので紹介します。

天神祭という日本三大祭りの一つの花火を見てたのですが、友人の子どもと
一緒に見てましたが、小1の子なのでじっと見ているのが飽きてきた
みたいで、ずっと謎なぞしよーっと私にいうてくるので相手をしていると
ハマったみたいで周りにいてる大人たちを巻き込んで謎なぞの出し合い合戦が始まって大人たちが花火の打ち上がってる中真剣になりはじめて
子どもも夢中になった時…
子どもが叫びました!

なんと、お漏らしをしてしまいました。
子どもが花火を咲かしてしまい事件が勃発しました。
この事件が最大の私の遭遇した事件です。
でも、こどもの事件は笑って許してしまいますね~(笑)

泉勝徳

2015/09/04

囲碁, 稲本章吾インストラクター

いつもそこには

こんにちは。石音インストラクターの稲本です。
昨年の10月から二週間に一度、レッスンを担当させて頂いております。

2時間の間に合計6名の方と対局を楽しんでおりますが、
よくよく考えるとほとんど同じ顔ぶれ(笑)

これはある意味事件なのではないかと思います。
また、私にとってこれ以上のない喜びです。

2週間に一度のレッスンですが、
その度に皆様の成長ぶりが伺えるし、
だんだんとお互いを知り、囲碁以外の話にも花が咲きます。

一度もお会いしたことのない方と、ネット上で交流をしている。
しかも定期的に。このこと自体が事件ですよね。

もしかしたら無料のレッスンだから対局しているだけかもしれませんが、
たくさんの交流を通じて、ただのレッスンだったものが、私にとっては
「生き甲斐」を感じるような時間となっています。

改めて石音会員の皆様に感謝をしたいと思います。
いつも本当にありがとうございます!

稲本章吾

2015/08/31

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記 ~台湾編その5~

〜次々回のあらすじ〜

台湾三日目にしてようやく神の味、食の神髄を知ることができた長谷イン。
さらに海峰棋院の若手プロ棋士に囲まれたり、学習生と一戦交えるなど怒涛の展開が
繰り広げられることに。はたして次の台湾棋院では無事リベンジを果たすことが
できるのか!?

皆さんこんにちは。
時をかける青年、長谷インです。
常々、時を駆けたいと思いを馳せながらも、時間ばかり掛けている今日この頃です。
今回は4日目後半へタイムリープします。


台湾編その5「魔境九份、地獄へのいざない」

ようやくすべての任務を終えた長谷インのHPは限りなく0に近づいていた。
ここに至るまでの苦難、苦闘の数々。

彷徨い歩き、幾度となく過ごした永遠の時間。(計20時間以上)
検索して、翻訳して、接続不良のネットを繋ぎ直すのにどれくらい手間を費やしただろう。

さあ、もう休もうか。
すべては終わった。
あとは明日の帰国を待つばかり。

"戦いの 終わりを告げし 黄昏の 陽が沈むのは 我が心なり"

グローバル囲碁旅行記 〜台湾編〜 "完"

って、おいおい。そんなわけないでしょ?!

台湾まで来てミッションコンプリートして「はい、さようなら」って
そりゃないよ、不二子ちゃん。
そりゃ行く前は「他のことには興味ありませーん!」って感じだったけど、
ここまで来たら普通に観光したいわ。

もう取材(のために歩き回るの)が辛くて辛くて終わったら絶対観光してやるんだって、
すでに二日目から思ってましたよ。しかし、そうはいっても予想以上に時間が掛かり過ぎて
しまったのも事実。台北101のタワーを目視したときは上りたい気持ち半分、
諦め半分でした。

時間的にもう九份(キュウフン)と故宮博物院に行けるかどうか。
もう噂の夜市には行ったし、台北101も遠目に見たのであとはこの二つだけ。
時刻はもう18時目前。

いくら九份の夜景が綺麗といっても行って帰って来れるかどうか微妙なところ。
忠孝復興からバスで1時間半の道のり。

管理人さん「九份の最終バスは確か21時台だったから気を付けたほうが良いですよ。」

今から忠孝復興へ戻ってバスに乗れば19時半に現地へ着ける。

「行ける・・・いや、行くしかない!」

いざ、千と千尋のモデルとされている聖地へ。
この機を逃すわけにはいかない!

ザッザッザッ。

ザッザッザッ。

さて、ここでQuestionです。
「ザッザッザッ。」この擬音は何を表しているのでしょうか?

答えは簡単。長谷インが彷徨い歩いている音でした\(^o^)/

って、おいおい。
そんなわけないでしょ?!

忠孝復興駅のすぐ近くにバス停があるんですよ?
管理人さん「電気屋の前だから探してみて。」
今朝、聞いたときにはすぐにでも見つかるような口ぶりでした。

というか、そもそもネットでバス停調べてるんだけど。

そしてないんですけど。
時間もないんですけど。
どうしようもないんですけど。

諦めますか? Yes or No?
No! I go to jiu fen.

このときは本当に困りました。
確かに載っているはずのバス停に九份行きの番号がありませんから。

10分、20分、30分・・・。

ただでさえ時間がないのに、無情にも時の流れを止めることができません。

40分、50分、一時間・・・。

ん!?
んん?!
こ、これは・・・。

「九份行きのバス停は101年に場所が変わりました。」

いやいやいや、マジっすか。
地図通りに移設した場所へ行ってみると30秒足らずで着きました。
そりゃないよ、不二子ちゃん。

さらにダブルショックだったのは、101年という数字です。
2010年だったら「010年」っていう表記になるはずだし、いったい・・・。

どうやらこれは「中華民国暦」のようです。
中華民国暦101年は西暦2012年、平成24年に当たります。
いや〜とんだ見損じでしたね、しかし。

駅の周りをですよ。
一時間もバス停を探して歩き回りますかね、普通。
場所が分かれば30秒って、そんなアホな。

ちなみに最終日も空港行きのバス停を探して忠孝復興駅の周りを一時間以上歩き回りました。
これが噂の長谷イン☆クオリティーです。

このとき限界に近づいていた体力がついに空になりました。
もう一歩も動けましぇーん、ってなもんですよ。
本当にこの4日間死ぬほど歩いたあげく、さらに駅の周りをぐるぐる歩き回るわけ
ですから精神的にも限界です。

ようやくバスに乗ることができたのは19時頃でした。
バスの中では今後の台湾囲碁界の行く末とかDNAのこととか考えていました。

"人はDNAを運ぶ船"・・・って、そんなこと考えだしたらもうお終いですよ!

思考力がこの上なく下がっていて、延々とよく分からないことに思いを巡らせていました。
バスに揺られながら、疲労のピークで集中力が切れています。

「あれ、今どの辺だっけ?」

街を過ぎて山道をどこまでも登っていく中、言いようのない不安がこみ上げてきました。

「これは・・・通り過ぎたらおそらく戻れなくなる。」

九份が終点間近であることしか確認しておらず、前後の場所はよく見ていませんでした。
また疲れて一番後ろに座っていたので、次のバス停の表示も見えません。
(このときは表示されないものと思い込んでいました。)

確かネットには「多数の観光客が降りるから、それで分かります!」とか
書いてあったけど・・・。山道を登る中、一人また一人と乗客が降りて行きます。

「結構降りて行ったけど、大丈夫だよね?」(震え声)

何もない山道から人気が出てきて、まさにここら辺かというところまで来ました。
このとき途中で乗ってきたサラリーマンの男性が隣にいて、ちょっと降りづらく
なっています。しかし、ここ2、3回の停車で明らかにまとまった人が降りて行きました。

ぐぅ・・・ここまでか、いやここか!
えい、やあ!

長谷インは英断を下し、バスから飛び降りました。
(おそらく一つか二つ過ぎてしまったけど、山道を降りて行けば大丈夫のはず。)
確認のため、バス停の表示を確認しました。

「・・・・・・。」
「あれ、まだ全然手前だった?」

そこにいたおじさん「*******!?」
(脳内翻訳)「君!どこに行きたいの?」
長谷イン「ここに行きたいんですけど・・・。」
おじさん「*******!」
(脳内翻訳)「そこはまだ先だよ。もうすぐ次のバスが来るから待ってな!」
長谷イン「谢谢。」

今にして思うと、普通に向こうの話が聞き取れた気がするんですよね。
このときはもう"言葉じゃない何か"で会話ができていた気がします。
台湾4日目にしてようやく環境に順応できた長谷イン。
そうこうしているうちに、九份行きのバスが来ました。

おじさん「おいおい!手を上げなきゃ止まらんよ。」
長谷イン「(;゚Д゚)」
バッ!

プシュー。
長谷イン「谢谢!」

何とかおじさんに助けられて、またバスに乗ることができました。
今度は間違えないように一番前の席へ。
次のバス停はちゃんと表示されていました。

そもそも初日にバスで忠孝復興に向かったときも表示されてたし、
そういえばまだ一時間半も経っていませんでした。

もうね、あれですよ。
体力と思考力が落ちて、通常の行動が取れなくなっています。
精神的にもとっくに限界を迎えています。

だが、しかし。
千と千尋のモデルと呼ばれし聖地を見るまで、一歩も引くことはできません。
散々地獄のようなミッションを終えた今、最後に楽しみがあってもいいじゃないですか。

山道を越えた先にはまた街があって観光客らしき女の子たちが乗りこんできました。
おそらくバスの直行便ではなく、途中まで電車に乗ってきたのでしょう。
目的地が近くなってくると、一人の女の子が前のほうへ来ました。

女の子「*******」
(脳内翻訳)「九份ってまだですか?」
長谷イン「あ、あう・・・あ、あ。」
(喋れませんのバッテンポーズをしながら)
長谷イン「ジャパニーズ。」
女の子「チッ。」

たぶん意図的に舌打ちしたわけではないんでしょうね。
「チュッ」くらいのガムでも噛んでいるような音でしたから。
しかしこちとら凄まじいほど神経が研ぎ澄まされているわけですよ。

複数組のリア充(^_-)-☆な女の子たちとは相反して、一人でタイムリミットへの
不安と戦っているわけです。到着時刻が20時半だとすれば、リミットは一時間になります。

結局、その子は運転手さんに聞いていました。
自分もその子達と同じところに降りれば良いので、助かったといえばその通りです。
見た感じ韓国、もしくは中国の子たちでしょうか。
メイクやファッションが日本と同じで、まったく見分けが付きません。

そうこうしているうちにようやく九份に到着しました。
ついに待ちに待った千と千尋の聖地に到着です。
ただ長谷インの胸の内には、筆舌に尽くし難い不安が溢れていました。

もしかしたら、いや・・・。
自分の人生はここで終わるかもしれない。
そのときは具体的にそう思ったわけではありません。
ただ蒸し暑さも相まって、全身に嫌な空気が絡みつくのを感じました。

"時僅か 逸る気持ちに 相まって 暑さと共に 不安を纏う"

この先にいったい何が待っているのか。
果たして長谷インは魔境の巣から無事に帰ることはできるのか?

次号へ続く。

2015/08/19

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記~台湾編その4(続き)~

〜前回までのあらすじ(三行)〜

・お店に入れず食事できない。
・いろいろ言い訳して尺だけ取る。
・碁会所で囲碁打ちました。(今ここ)

皆さんこんにちは。生粋の薩摩隼人、長谷インです。

<益荒男ランキング> 薩摩隼人>九州男児>日本男子(大和男児)

上記のように「男らしさ」の日本ランキングでは薩摩隼人が群を抜いています。(長谷イン調べ)世界的にも「侍」の精神は高い評価を得ていますから、薩摩隼人が世界一の男らしさを誇るといっても過言ではないでしょう。

しかしコミュニケーション能力を問われれば、日本は島国のため歴史的にも後れを取っている
と言わざるを得ません。また田舎に行くほど「村社会」になっていきますから、日本の端である薩摩藩まで行くと鎖国の江戸幕府の中でもさらに閉鎖的な環境になります。いろいろ好き勝手言ってますが、男らしさとコミュ力は反比例するのではないかということです。

ただ例外はあるもので、薩摩隼人の長谷インは白いカラスさながら男らしさが綺麗に
色落ちしているわけです。男児力、コミュ力が比例して著しく低いという生粋の小食系男子
である長谷インは、二日目の晩飯にありつくことができるのだろうか・・・!?

台湾編その4「(二日目後半戦)そうだ、ポエムを書こう!」(つづき)

毎回余計なところに尺と力を注いでいるので、今回はテンポアップして書いて行きます。
棋聖模範棋院(碁会所)を後にした長谷インは晩飯を求めて行動を開始します。
さて、どこで食べようか。さすがに今夜は無策ではありません。

目指す駅は「台北メインステーション」(台北車站)です。
多くの日本人宿がここ台北駅に集まっており、松山空港および桃園空港から旅行者が
一番最初に目指す駅でもあります。

初日に時間があれば寄ろうと思ってましたが、いろいろ手こずったので
叶いませんでした。(その2参照)

宿泊先である忠孝復興駅とも三つしか離れていないので、何かおいしいものでも
食べて帰るにはちょうど良い距離です。時間は午後7〜8時くらい。
ご飯はすぐ食べ終わりますから、まだ少々時間があります。
(本当は宿に帰って翻訳作業、明日へ向けての準備があるのですが。)

まあ、小学一年生から居残りを経験している宿題嫌いの長谷インは後回しが得意技になって
います。明日への準備もありますが、晩飯ともう一つ寄っておきたいところがあります。

それは「龍山寺駅」です。
ここの駅を降りたすぐ近くに野外で碁を打っている人たちがいるらしいのです。
これはいい加減なネット情報ではなく、現地の日本人宿で得た確かな情報です。
(二名の証言)
囲碁取材は翻訳の壁を越えないとなかなか厳しいでしょうが、今回は野外で
「打っている」そうです。

囲碁は別名「手談」です。
現に碁会所に行って囲碁を打っているときだけは言葉(気持ち)が通じました。
(何を言ってるのか分りませんでしたが、それでも伝わるものがあります。)
明日以降のスケジュールを考えると一日も無駄にはできません。
ただ碁会所で打ってきました、では台湾囲碁視察にはなりませんからね。
現地でしか確かめられないことを目の当たりにするのが、今回の目的でしょう。
さっそく龍山寺駅を目指します。

台北駅から二駅、忠孝復興から五駅しか離れていないので移動は楽なものです。
余談ですが、台湾の電車は座席がすべてプラスチック製です。
(球場や競技場の椅子が繋がっているような感じ。)

何の違和感もなく乗れましたが、日本との微妙な違いにやっぱり外国だなぁと実感します。
最初はもっと外国をイメージしていたので、日本と大差ないことに驚きました。
慣れると今度は日本との違いが目に付くようになります。向こうは道路が綺麗に区画
されていますから、電車での移動よりバイク、車の利用者が多かったです。

故に満員電車なんて都心のアホみたいな通勤、帰宅ラッシュはありません。
上には大きな道路が整備されていて、下では地下鉄が走っているわけです。

さて、龍山寺駅に着いた長谷インを待ち受けていたものは意外な光景でした。
まず漂う雰囲気が何か独特な、尋常ではない様子です。
「場末」もしくは「世紀末」という言葉が似合います。
明らかにほかの場所とは一線を画します。
ここには多くの仏教徒らしき方々が集まっていました。

事前に調べて行く人はそういう場所だと分かっているのでしょうが、
ここはまったくのノーマークでしたからね。
駅を降りて辺りを歩くとすぐに「例の人たち」を見つけることができました。
そうです、野外で囲碁(らしきもの)を打っている人たちです。
石造りの椅子のような、座れるところに何やら盤を挟んで何人か打っています。
近づいて見てみると・・・。

「・・・・・・。」

「これは、囲碁じゃない。」

まず目に付いたのは石です。
白石が何かクリスタルっぽい半透明の素材で、黒石も何か微妙に違います。
この瞬間、思い描いたのは「オセロ」です。
石が平べったくて、かつ盤の大きさやマス目がオセロのようです。
この時点ではもう辺りが暗くなっていて、近眼の長谷インには薄明りのため良く見えません。
しかし、よく盤上を見てみると「囲っている」動きをしています。
囲ったと思ったら、石をいきなり盤外に落としました。

「何なんだ、このゲームは。」
「まったく未知のゲームをしている。」

そのときの心理状態は形容しがたいものがあります。
なぜならまったく未知のゲームでありながら「囲うような動き」が見て取れるわけです。
"ゲーム性はおそらく囲碁と似たようなものだろう、しかしまったく解せない。"
まるで漢字を知っているのに中国語がまったく分からない、そんな感覚に陥っていました。

(勇気を出して声をかけてみようか。)

言うまでもなく、それは断念しました。
"こんな場末の雰囲気が漂う中、戦後の賭場にいるようなおじいさんたち(適当)に
話しかけられるわけがない。"

一度その場を通り過ぎてしばらく辺りをプラプラしました。
囲碁じゃないのは明らかですが、未知のゲームの正体を突き止めたい気持ちもあります。
そこでもう一度だけ、よく近づいて見てみることにしました。

(これは・・・盤のマス目が9だから・・・、いや9×8?!)
(良く見ると斜めの線が走っている・・・もう一方にも。)
(ん、良く見ると白石に何か書いてあるけど・・・これは。)

「まさか、これは軍人将棋なのか!?」
このゲームはおそらく軍人将棋であることが判明しました。
通常の盤や駒とは違いましたが、盤上の進行を見る限りではそれ以外考えられません。
ルールも多少違うようです。軍人将棋には駒の強弱を判定をする審判がいるはずですが、
皆二人でやっていました。

宿の情報では囲碁ということでしたが、これは見間違うのも無理はありません。
一見すると囲碁のようですが、長谷インの目は欺けませんでした。

予定よりも早く取材イベントが終了してしまったので、龍山寺へ行ってみることに。
寺の入り口に電光掲示板がありますが、あれ何とかなりませんかねぇ。
目の前が道路なので標識代わりかもしれませんが、寺の雰囲気ぶち壊しです。
しかも門の上とかどういう神経してるんだって位置取りですよ。

神経といえば外国人観光客のマナーのひどさったらないです。
外から写真撮影するのは(観光地の役割も果たしているので)構わないと思いますが、
本殿の中でも携帯を掲げていますからね。

深々と頭を垂れている方々に少しは遠慮しろよと思っていた矢先、何か自分まで
厳しい視線を送られている気がしてきました。
仏教徒ではないし居づらい雰囲気だったので、その場は早々に立ち去りました。

ちなみに旅行中は断りもなく誰かを撮るようなことはしていません。
そんなことは当たり前だって話なんですが、本当は軍人将棋のところとか
いろいろ撮りたい場所はありました。ただどうしても個人が入ってしまうとまずいので、
不特定多数の人以外がフレームに入る場所は遠慮しました。
思い出は胸に焼き付けておくのが良いということでしょうね。
ある意味、この旅行記を思い出のメモ代わりにしていますから良しとしましょう。

しかしまあ、ここまでやっぱり尺を使ってしまいましたね。
タイトルの「ポエム」の話を早く書きたいのに全然話が進みません。
そもそも晩飯にありつけるのかどうか、ってことでした。

龍山寺ではちょっとした滝とか寺の外の光景をパシャパシャ撮りながら一つの思いを
抱いていました。

「もしかしたらこの旅行は何も為せずに終わるかもしれない。」
「写メもほとんど撮ってないどころか、歩行者信号や看板を写している始末。」
「ほかの人が当たり前にしている思い出作りすら満足にできていないのではないか?」

囲碁取材がメインの旅行だったのに、期せずしてほかの観光客を目の当たりにしたことで
心境が変わりました。
昼に戦いの場から離脱して、囲碁を打って、今は観光地で一人自問自答しています。
龍山寺駅にきたのは観光目的ではありません。

それでも周りのリア充(^_-)-☆な人たちを見ていると、ひとりでいることに
惨めささえ感じてしまいます。とにかく飯を食べて明日の準備をしよう。
時刻はもう午後9時頃です。昨日の晩から何も食べていませんから、さすがにお腹が
空いています。明日への希望をつなげるため、長谷インは場末の龍山寺をあとにしました。

いよいよ、台北駅でLet’s 晩飯タイム!
これ書こうかな、やめようかな。
端的にまとめると約2,3時間ほど彷徨い歩いて、お店には入りませんでした。

途中の過程もお話しましょうか?結構ですか、では仕方ありません。
尺もあまり残っていないので、端的に書いていきましょう。

まず金銭感覚です。
ガリガリ君29元(116円)に衝撃を受けた庶民感覚はいまだ健在です。
(※最近、アイスケースで見たガリガリ君は税込59円!でした。)

そうです、何だかんだ言いつつも安いところを探しているわけですね。
初日に入った店は不味いけど安い。
天秤にかけるとおいしいご飯より、お手頃なお値段なわけです。

また保留、保留と先延ばしにするのも直っていません。自分の得意分野、または
やりたいことに対しては、瞬時に判断して決断することができます。
しかし一人暮らしが長いせいか、ご飯を食べるのは楽しみではなく
割とめんどくさい作業になっています。
外で食べるとお金かかるし、家で作ると手間だしなぁ、とか思っているわけです。

普段からそういう意識なので、台湾でも別においしいものを食べることは楽しみにはしていません。ただ旅行記を書くのは至上命題ですから、イベントは多いに越したことはありません。

「小籠包美味しかった ^^) _旦~~」

こんなテンションで書ければ良かったのですが、現実はそう甘くはありません。
何といっても大きいのが言葉の壁です、それを一番気にしています。
結局、先延ばしにしていくだけで一向にお店に入る気配がありません。
さらに台北駅から地下街をてくてく歩いて行くと、多くが閉店時間でシャッターは
ほとんど降りている始末です。

全然活気がない地下街を一つ先の中山駅方面に向かってずうっと歩いて行きます。

"何とかしなくてはいけない、でも何もできない。"

いくら海外とはいえ、ご飯を食べるのにここまで追い詰められる人がいるでしょうか?
お金は持ってるんだから適当に入りなよ、って自分に言い聞かせていました。
そして地下街を歩きながら、自分の大好きな日本のアニメ関連のポスターや広告を
パシャパシャ撮っていました。

そんな意味不明な行動をしていても、事態は一向に改善しません。
そのうち行き止まりになってしまいました。
仕方なく地上に出て中山駅から折り返そうとすると・・・。

「・・・・・・。」

一面大きい道路で、駅らしきものは見当たりません。
地下に戻って壁の地図をよく見てみると・・・。
上を目指していたつもりが、真横に突き進んでいました。
ここから帰るには今歩いてきた道を引き返すしかありません。
ここまで歩くのに一時間〜一時間半程度は掛かっています。

さすがにお腹ぺこぺこ、午前中から歩き回ってもうへとへと。
泣く泣く、進んできた道を引き返しました。
しかしものは考えようでこれは大きなチャンスでもあります。

今まで保留にしてきた店舗を再度通ることになりますから、
今度こそ入店できないわけがありません。果たして・・・って、
さっき入りませんでしたと言ったばかりでした。

別に店内に入るような形式ばかりではなく、店頭でも売ってるしオープンに
なっているところもあるわけですよ。

ある意味妥協しない、余計なところばかり頑張る長谷インだからこそ
すべてスルーできるわけです。ボロボロになりながら宿のある忠孝復興駅に帰ってきました。
ホントにもう暑さで誤魔化しきれないほどの空腹と疲労に襲われています。

"最後の最後、の最後の最後"

最終的な策は用意していました。
それは昨晩から目を付けていた「老蔡水煎包」屋に行くことです。
(具入りの饅頭みたいなやつ)このお店はMRT(地下鉄)の入り口を出て
すぐのところにあり、店頭で販売しています。

"台湾でおいしいものを食べたかったら人の集まるところへ行け"

通行人がちらほら寄っていくここなら、味は少なからず保障されているはずです。
(昨日の食堂みたいなところはお客さんが少なかったです。)

もうこの時点でいろいろな限界を超えています。ここで買えなかったら昨日のまずい食堂へ
行くか、コンビニの弁当で済ませるしかありません。そんなことは薩摩隼人、烏鷺侍の
長谷インのプライドが許しません。ここまで散々歩き回って、ヘトヘトのペコペコに
なってもチンケなプライドだけは守り抜きます。

ええい、やあ!

「これとこれとこれ、一つずつください!!!」

メニューを指さしながら聞き返されないように全種類頼みました。
指さして一つずつのサイン出すだけですよ、やっとできました。

やっと、やっとアゲハマ一つ取ることができました。カス石だろうが何だろうが、
これが月よりも遠かった最初の一歩です。

宿泊先の前に公園があったので、貪り喰らい尽くしました。
夢中で食べながら(写メるんだったか)と思い返しましたが、そんなことはもう
どうでも良いです。思い出よりも、レポートよりも目の前の饅頭です。

三つ食べてあっという間にお腹が膨れました。大した量じゃなかったんですが、
暑いので満腹中枢をすぐに刺激されます。

やっと・・・やあっっと・・・、やああっっっと!!!の思いです。

飯を食べるのにこれほどのことがあろうか、いやなかろうか。

"ありました"

これが長谷イン☆クオリティです。

いまだかつて、こんなアホみたいな旅行記見たことありませんよ。
ご飯でわくわく、食べては美味しかった( *´艸`)が定番ですからね。
ちなみに饅頭の味は、確かまあまあでした。

味を楽しむレベルをはるか超えて、生存をかけた野生の空腹との戦いだったため
記憶が曖昧です。でも豚のやつはうまかったなぁ、台湾に来てからずっとブタな展開が
続きます。コンビニで飲み物を買って、ようやっと宿に帰ることができました。
深夜の店員さんの態度は相変わらずでしたが、やっぱり平常運転というのは落ち着きます。

二日目は戦いきれず撤退を余儀なくされ、かといって妥協もせずで大変な一日でした。
(妥協=コンビニ弁当)

良かったのは対局だけです、本当に疲れました。しかし、まだ保留にしていた最後の仕事
が残っています。時刻は午後11時をとうに回っていますが、ここからオフラインの
翻訳アプリをダウンロードしなくてはいけません。さらにPCでもやれることは
やっておこうと、簡体字のピンインもダウンロードしておきました。

皆さんのPCは日本語か英語(アルファベット)入力だと思いますが、中国語でも打てる
ようにしたわけです。なぜなら簡体字でしか出せない漢字があるからです。

「你好。」の"你"でさえ普通は出せないはずですからね。

とにかく肝心なのはオフラインでの翻訳、特に音声翻訳が可能なことです。
このときはそれができると信じていました。
(夜遅くになってしまい、音声翻訳を検証することはできませんでした。)
2、3時間で作業が終わり、やっと午前2時くらいに寝ることができました。

それにしてもクソ暑くてなかなか眠れず、扇風機をかけても音がうるさい始末です。
このとき精神的に散々追い詰められていた長谷インですが、楽観的思考回路はまだ
死んではいませんでした。眠れない中、いろいろ考えていたらある名案を思い付きました。

"そうだ、ポエムを書こう!"

自分の気持ちを縛っているのは、何よりも帰国後の旅行記です。
失敗する分には書くことがあるから構いません。
問題なのは何も為せずに、ただナメクジのように暑さに干からびて萎びれてしまうことです。

二日目は碁会所でたくさん打ってきました、これでは何もしていないのと同義です。
かくなる上は、こんな惨めな思いを詩にしたらどうか?と思い立ったわけです。
心の描写を詩のようなタッチで書いて行こう。

これで旅行記を長編10連載にできるんじゃないか!?
このときはそんなことを本気で考えていました。

"あの夏もこんな猛暑だった・・・。"

しかもあろうことか、高校生編から語り始めようとしていましたからね。
入学して初めの3か月間は一言もしゃべらずに学校を行き帰りすることが日常茶飯事でした。

※その頃から重度のカオナシ(面目なし)だったわけですが、夏休みにヒカルの碁を
読んで囲碁を始めたおかげで変わりました。

二日目の夜にして、すでに相当追い詰められていることは察してください。
このときはもう暑さで頭がやられていて、わくわくしながらポエムのことを考えていました
から。そんな夢とも現とも分からない境の中で、二日目の夜は静かに更けて行きました。

次回「海峰棋院、ナショナルチーム」に続きます。
(※内容によっては「神の味、究極の一品」に変更するかもしれません。
あらかじめご了承ください。)

"後日談"
今こうして旅行記を書いているわけですが、こんな文量になるとは思ってもいませんでした。
ポエムどころの話ではないですよ、ホント。3日目からが本番で、いよいよこの珍道中も
佳境に入ります。ここから先は自己満足のマイペースで書いていくので、期待せず気長に
お待ちください。

2015/08/09

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記 ~台湾編その4~

〜前回までのあらすじ〜

無策のブタ(役なし)でフォールド(降りる)宣言をした長谷イン。
明日への策を練りながらも一向に改善しないコミュニケーション能力に不安を抱えながら
戦場を後にすることに。

このまま本当に何もできずにただのブタ野郎(役立たず)に終わってしまうのか。
それとも・・・・!?


皆さんこんにちは。
囲碁歴もうすぐ12年、彼女いない歴4年の長谷インです。
彼女なんていたことあったんだ、って自分で思う今日この頃ですが
「こんなカオナシとお付き合いしてくれるなんて、千(千尋)のような人だったんだなぁ」
と、この旅行記を書きながら思い返す次第です。

今回は長編の旅行記となってしまったわけですが、まだまだ先の長い展開が続きます。
読み飽きないように下に今後のタイトル(予定)を載せておきましょう。

台湾編その4「(二日目後半戦)そうだ、ポエムを書こう!」
その5「海峰棋院、ナショナルチーム」
その6「うれしいとびっくり」
その7「お礼状は三か国語」
その8「魔境九份、地獄へのいざない」
その9「Time is life」
その10「再见!機内食は未来への希望」

※このブログは石音の提供とご覧の皆さまの応援でお送りしています。
(席亭の彼女、IGOホールディングス若柳イン、Q位者の集いメンバー、囲碁友達)

「(二日目前半戦)そうだ、ポエムを書こう!」

台湾棋院(とおぼしきビル)を後にした長谷インは二つの選択肢を考えていました。
一つは宿に帰り、翻訳の準備をして明日への態勢を万全にしておくこと。
もう一つは別の取材地に赴くことです。

時間は午後4時くらい。
朝から行動していたにも関わらず5、6時間を散歩とネット検索に当てていたので、
残された時間は多くありません。なぜなら宿に帰っての翻訳作業、というより準備には
何かと手間が掛かるだろうと予想していたためです。

"オフラインでも使える翻訳アプリさえダウンロードできれば、形勢は一気に逆転するはずだ。"

この一事を頼りにするしか、もうほかに手立てがありません。
今からほかの取材地へ向かうのは策もなしに二の舞いを踏むことになるとお思いでしょうが、
一か所だけ当てがあります。

それは「棋聖模範棋院」なる碁会所。

ここは日本の方も腕試しに訪れるということ(ネット情報)
さらに日本語を話せる方もいるということ(ネット情報)
で有力な取材候補地の一つです。

何よりも碁会所というのがミソなところです。
どんな展開になろうとも碁石さえ握れれば長谷インに敗北はありません。
迷った挙句、棋聖棋院に行くことにしました。

さすがにここで宿に帰ってしまっては二日目を丸々棒に振ることになります。
それは帰国後の旅行記がノルマになっている長谷インにはハイリスクな選択と言えるでしょう。
(とにかく行動すること、死んでも騙されても良いから何かしらエピソードを作ること。)

そんな思いを胸にいざ、棋聖棋院へ足を運びました。
と、その前に重要な情報を付け加えておきましょう。
この時点で長谷インは朝から何も食べていません。

時刻は午後4時、5時ですよ。
実はもう暑くて暑くて全然食欲が湧かなかったんですね。
それでも時々お腹が空きます。

空いては暑くて食欲がなくなり、またふとしたときにお腹が減ってきます。
「碁会所に行く前にまずは腹ごしらえだ!」
ということで「棋聖模範棋院」の看板の写メだけ撮って、食べるところを探しに向かいました。
しかし、まあ・・・。

お察しの通り、その通りです。
また「お店に入ったら死んでしまう病」に侵されてしまいました。
皆さんはお店に入っても死なないと思いますか?
自分としては死ぬことになれば本望です。
旅行記は三途の川で書いて、あとは成仏すれば良いだけの話です。

しかし現実的には日本とほぼ変わらない台湾でそうそう死ぬことはありません。
一番恐ろしいのは、眼二つの窮屈な格好で生かされることです。
お店に入ってオタオタ、モタモタした挙句、店員さんにそれなりの対応をされては
武士の恥というものでしょう。

そんなチンケなプライドを捨て切れずにまたもや街をウロウロしています。
「もうどこかのチェーン店でいいや。」
この旅行記には「長谷インの食レポ」も載せようと思っていたので、
チェーン店での妥協は残念でなりません。

台湾まで来てまさかマックに入ることになろうとは・・・ということでマックに入店しました。

(ウィーン。)

「・・・・・・。」
「・・・・・・。」

(ウィーン。)

入って20秒で外に出ました。
チェーン店で妥協するつもりでしたが、そもそも日本のマクドでもよう入りませんわ。

メニューが上のほうに表示されているのは日本と同じです。
いつも目が悪くてレジ前のメニュー表を見ているのですが、それがなかったんですね。
あったかもしれませんが、ないように見えました。

とにかく白石に近づけば攻められて苦しくなるという下手心理がいかんなく発揮されて
しまったわけです。結局、食事は諦めました。

碁会所に向かう途中で吉野家やほかのチェーン店もちらほら見かけましたが、
保留、保留の気持ちで最後は食事まで保留にしてしまいました。
しかしこの道中で見つけた吉野家には後々入店することになります。
「神の味」と評すべき一品をこの吉野家で味わうことになるとは、このときはまだ
知る由もありません。


今、ここまで書いて全然話が進まないことに焦りを感じています。
ここまでの話が全体の約10分の2くらいです。
ここから棋聖棋院〜台北砂漠まで書くとなると、かなりの文量になります。

某席亭の彼女さんに話が長いとか、某記者の囲碁友達に文章がくどいとか散々言われましたが、
今回もここからが本題になります。

その前に皆さんに一つ留意していただきたいことがあります。
それはたいして行動してないために、話の内容が薄いということです。
旅行記その1〜3までを読んでいただいた方には分かると思いますが、
これまでのあらましをまとめてみます。

その1「機内食は未来への暗示」
・打ち合わせでのグーグルアース発言(失言)が発端で台湾行きが決まってしまうことに。
・何の準備もしないことで後々やばくなるとも知らずに意気揚々と台湾に到着。
・機内食の「チキンorブタ?」が後の運命を暗示していたとは。(臆病者か役立たずか)

その2「到着後〜二日目、ひとならざる者」
・空港から市内に向かうバスに乗るのに悪戦苦闘、ここで言葉の壁を思い知らされる。
・宿が(貧乏)仕様だったがそれは想定通りで大いに満足、ガリガリ君と爽のお値段が
2倍弱とこちらは大いに不満を感じる。
・晩飯を食べに外に出るもお財布と勇気を紐で縛っているためなかなか入れず、
やっとの思いで入ったところが普通にまずかった。

その3「二日目前半戦、ビーフorチキンor・・・?」
・Suicaの代わりになる悠遊カードのチャージがうまく行かず、おばちゃんに声をかけられるも
「あ、あう・・・あ、あ。」とひとならざる者(ただのカオナシ)の対応をしてしまう。
・ネット情報で得た台湾棋院の場所へ向かうも探し回って2時間、いざ扉の前に立つまでに
3時間も掛かってしまう。
・結局、翻訳機なしでは勝負にならないことを悟って撤退することに。

まとめると各回、三行で終わってしまいますよ。

台湾から命からがら帰ってきて、まず関インに旅行のあらましを話してみました。

長谷イン「いや〜もう大変でしたよ、迷子になって迷子になって迷子になって・・・
計20時間以上は歩きましたね。」
関イン「いやいや、タクシー使いなよ。時間の無駄でしょ。」

この一言で心がKOされましたよ、ホント。
確かに台北のタクシーが安いのは行く前に調査済みでしたが、そんな発想は
微塵も出てきませんでしたね。

あと「日本語を話したい大学生とアポとって飯でもおごって同行すればいいじゃん」って、
そんな発想は微塵も出てきませんでしたね。

確かにタクシー使えよって話で、日本語を話したい大学生とのアポも
事前にできなくはない話だなと思います。

”駄菓子菓子(だがしかし)”

文字通り命がけで帰ってきてそんな正論言われてもなぁって話ですよ。

やはり事のあらましだけ説明するとそういう反応になってしまうわけですね。
27歳でどうのこうのと言われましたが、初めては皆子供ですよ。
海外初心者、囲碁以外はポンコツであるという前提の元に話を進めないと皆さんに
正しく伝わりません。例えるなら、白模様に単身突っ込んでいく黒石です。
ヨミなし、利きなし、当てもなしってところでしょうか。

ちゃんと心理描写や細かい状況を説明しておかないと、どんどん愚形で目も当てられない状況に
陥っていく長谷インをうまく表現できません。

「台湾旅行楽しかったぁ( *´艸`)ああだこうだぁ(^_-)-☆」
くらいのテンションで書きたかったんですよ、本当は。

閑話休題。さて、ここからが本題です。

これまでコミュ障が祟ってコンビニ以外入れなかった長谷インがついに
碁会所の敷居を跨ぎました。

「あ、あう・・・あ、あ。」(声にならない音)

相手も一瞬「え?」ってリアクションです、見た目では台湾の方と区別できないですから。
オタオタしている姿を見て「日本人?」と声をかけてもらったので、「はい。」と答えて
何とか入ることができました。情報とは違い、片言の日本語しか話せる人がいません。
日本人の日本語レベルを10とするなら1か2くらいのものです。

受付のおばちゃんが「〇〇さん」(台湾語)と日本語しゃべれるおじさんを呼んでいましたが、
大同小異でほとんどしゃべれません。しかし良いのです。
もうここは黒模様の中、長谷インのホームといっても過言ではありません。

だってここは囲碁を打つところでしょう?
長谷イン+囲碁=何か良く分からない自信、水を得た魚、猛暑日の麦茶のようなものです。
散々アウェイのなか悪戦苦闘してきましたが、ついに長谷インのターンがやってきたわけです。

「俺のターン、ドロー!」(某漫画より引用)

やっと自分のターン、ようやく勝負カードの一枚目を引くことができたわけです。

先に席に案内されそうだったので、席料がまだという行動
(ただじっとしているだけ)をとりました。

<理解度> 碁会所のシステム>>マック

ここまでくれば、もう余裕の態勢ですよ。
うちの庭みたいなもんじゃて、ほっほっほ。

席に着くと打ち慣れてそうなおじさんが対面に座りました。
「英語しゃべれる?」(英語)
「ちょっとだけ。」(英語)
「娘が東京に行ってるんだよ。」(めちゃくちゃ流暢な英語)
「Oh!東京!」(めっちゃ良いリアクション)
「〜〜、東京ユニバーシティに行っててさぁ。」(超自慢げ)
「?」(いきなり反応が止まる)

おじさん「東京だよ、東京。」
長谷イン「Oh!東京!」
おじさん「東京ユニバーシティだよ。」
長谷イン「?」(真顔)
おじさん「???」(不可解)

要は娘が東京の大学に行ってるっていう世間話をしてくれたわけですが、
「ユニバーシティ=大学」というのが分からなかったんですね。
娘が東京に行ってるってところでめっちゃ良い反応したのに、
大学ってところで「?」←これですからね。
最後まで伝わらなかったので、おじさんもお手上げみたいでした。

さて、そんなこんなでいよいよ対局開始です。

打つ前に「おやっ?」と思ったのが、碁笥の蓋がないことです。
台湾の囲碁は中国ルールのようで、取った石はアゲハマとして数えず
相手の碁笥に返します。ほかのところも蓋がなかったのですが、
唯一「海峰棋院」だけは蓋がありました。

海峰棋院は台湾棋院に並ぶプロ組織で、国内棋戦も運営しているところです。
それは次回以降のお楽しみとして、いよいよ台湾での初対局に臨みます。

(旅行に行く前の打ち合わせ)

「台湾に武者修行に行ってきます。自分を磨いて一目強くなって
帰ってきます!(人間的に)」

「万が一、何もできず何も為せなかったら碁会所で一目強くなって
帰ってきます!(物理的に)」

現状、何もできずに碁会所にいるわけですからね。
これはもう、いざとなったら打ちまくってアマ七段レベルになるしかありません。
ちなみに旅行中はずっとアマ六段と名乗って対局しています。

ここでも「何段?」と聞かれたので、「六段」と自信満々に答えています。
ちなみに日本では教室、碁会所、囲碁会の段位が甘いので、場所によっては
七段で通用してしまいます。

台湾は日本と違って段位が辛いだろうと思いましたが、一応免状を持っているので
六段を名乗りました。

対局の内容はさておき、対局中のおじさんのマナーがまぁひどかったですね。
机というか盤を置いているテーブルに「バシ、バシッ」と石を叩きつけているので
何かと思いましたが、あれは麻雀牌を叩きつけている動きと同じでした。
麻雀好きな紳士の方は牌でそんなことはしないと思います。
碁会所慣れしている自分でも「ちょっとなぁ」と感じましたね。

特に最近は教室で「モナリザ」を合言葉に皆さんの姿勢を正していますから、
余計に気になってしまいました。
もちろん長谷インはモナリザの姿勢です、対局中にこれを崩すことはありません。

対局は互先で、長谷インが勝ちました。
相手の方は五段くらいの実力でゴリゴリの力碁でしたね。台湾は日本と比べて圧倒的に
力碁が多かったです。対局中、他の方が来てあれこれ言ってましたが、
何を言っているのか手に取るように分かりました。

「ここをこうしてああして、どうなの?」
「いやいや、ダメでしょ。そこはああなってこうだよ。」

言葉はまったく分かりませんが、盤上のことは良く分かります。
二人のリアクションを見ていると日本の碁会所のおじさんと何ら変わりありません。
そのうち後ろから歌声が聞こえてきました。
何だか本当に日本の碁会所(東京郊外)にいるような気分になってきました。

初戦のおじさんがギブアップしたため、もっと強い方との対戦になりました。
結果は互先で一勝一敗でしたが、この方はまあ強かったですね。

おそらくアマ七段、自分よりも確実に一子上の強さを感じました。
周りを見渡してみると平均棋力が初段〜三段レベルのようです。
東京郊外の碁会所なら平均棋力3級〜初段が良いところでしょうから、
2子くらいは強い印象です。対局は特に問題ありませんでした。

しかし困ったのは整地です。
整地の仕方が日本ルールとはまるで異なります。
そもそもアゲハマは相手の碁笥に戻しますし
(実際はいちいち戻さずに碁笥の前に置いている)

中国ルールでは最後に石を盤上に埋めて計算します。
ところがアゲハマは最後に碁笥の中に戻したのに、盤上の整地は日本のように
四角い空間にしています。もう何が何だか分からなかったので、整地になると
オタオタして全部お任せしてしまいました。

一局目はおじさんが何目勝ちだよ、と必死に伝えようとしてくれましたが、
このときはコミュ障のカオナシ(面目ない)にまた逆戻りです。
二局目以降は全部中押しだったので、何とかなりました。
三局打って時間はもう午後7時を回っていました。
もう十分打ったので帰りたかったのですが、対局以外ではうまく意思表示できません。

「相手がいないからちょっと待ってて。」
「あ、いや・・・。」
「Go home.」(小声)

相手の言いたいことはボディーランゲージでだいたい伝わるのですが、
こちらは手足をもがれたオタマジャクシのようなものです。

(そういえば、GO home.って文頭に持ってきたら帰れ!って意味になるんだっけ?)

中国語はもちろんのこと、英語もこの程度のレベルでは到底まともなコミュニケーションは
取れません。結局、四段くらいのおじさんともう一局打って、何とか「もう帰ります」
の合図で棋聖棋院をあとにしました。それにしても最後のおじさんは姿勢がよかったなぁ、
碁の内容にもそれが如実に表れていました。

ここの碁会所はネットで調べて行きましたが、写真とは全然印象が違いましたね。
時間帯が夜だったこともありますが、何となく場末の碁会所といった雰囲気でした。
もうちょっとライトな雰囲気で、活気があるところを想像していました。
まさかここまで日本と同じとは。

この旅行の目的は囲碁が盛んな台湾を取材することです。イメージではもっと若い人が
たくさん打ってるのかなぁと思ってましたが、やはり現地で確かめないことには分かりません。
ただ一人強そうな若者が棋譜並べをしていましたが、彼との対戦は望めませんでした。

さて、と。

対局も十分したし、そろそろ恒例の晩飯タイムに入りますか。
それにしても書くのに疲れてきたので、一旦ここで区切ります。

台湾編その4「(二日目後半戦)そうだ、ポエムを書こう!」(つづく)

2015/07/31

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記 台湾編その3

~前回までのあらすじ~

グーグルアース発言が発端となり、台湾囲碁取材を敢行した長谷イン。
無気力、無計画、無駄に弱気なことが災いして一日目から海外の洗礼を浴びてしまうことに。
果たして現代っ子の長谷インは今後どのように難局を切り抜けて行くのだろうか。

皆さんこんにちは。

全碁協ランキング大会「準優勝」、台湾囲碁取材「努力賞」の長谷インです。
思い出は胸に秘めているうちが花だと思いますが、甘酸っぱい蜜を吐き出しながら
書いていきたいと思います。

「二日目前半戦、ビーフorチキンor・・・?」

さて、やっと二日目ここからが本番です。
一日目をウナギの寝床のような宿で過ごした後、朝から行動を開始します。
寝起きは朝日の差さないカーテン部屋ですっきりせず、朝風呂では虫を警戒しつつ
シャワーを浴びて汗を流します。しかしこれしきのことはまったく意に介していません。
こっからはもう自分の領分である囲碁の取材です。
昨日までのようにウダウダ、グズグズしてしまうと思ったら大間違いです。

さてさて、台北市内を移動するためには電車かバスを利用しなくてはいけません。
バスには全車両に番号が振られています。東京では「~駅行き」となっているバスが
どこに停車するのかを見ますが、台湾では「〇〇(番号)」となっているバスの行先を
見るわけです。

台湾ではこちらが乗る意志を示さない限りバス停で停車してくれませんし、降りるときも
降車ボタンを押さないとそのまま通り過ぎてしまいます。観光地や空港行きのバスなら
分かりやすいですが、街中でバスを利用するのは慣れないと難しそうなので移動は
電車にしました。

ここで手に入れておくべきアイテムが「悠遊カード」です。
Suicaと同じで電車やバスを利用するときに使いがってが良く、
電車とバスの乗り継ぎがお得になったりMRT(地下鉄)の運賃が2割引きになります。
これは事前に調べていたので、さっそく購入するべく忠孝復興駅の券売機に向かいました。
悠遊カードの発行は調べていた通りでスムーズにできました。

次は券売機でカードのチャージに向かいます。

「・・・・・・。」

券売機が4つあって3つは人が並んでいます。
一番端の券売機はちょっと仕様が違う感じで、悠遊カードの目印がありました。
「これだと」思いさっそくチャージを試みます。繁体字で何が書かれているかイマイチ
分かりませんが、適当に金額を選んで100元札を投入。
「*******」(繁体字で何やらいろいろ書かれている模様)

どうも様子がおかしいのでチャージされたか分からずに一旦券売機から離れます。
どうしようか携帯で調べていると後からおばちゃんが来ました。
「*******」(台湾語もしくは北京語で何やら言われています)

そのおばちゃんが100元札を差し出して何か言っているようなので、察するに
「これあなたのじゃないの?画面がまだ終了してないわよ。」
的なことを言われている模様、こちらはコミュ障をフル回転させて
「あ、あう・・・あ、あ。」(※実際は声にならない音)
と身振り手振りで気にしないでください、お構いなくのポーズ。

というより違います、違います何でもありません的な感じだったでしょうか。
まあ100元はおそらくチャージされていない自分のお金だったので受け取りましたが、
あとは慌てふためいて笑って誤魔化していました。

おばちゃんも何だこの若者は?と思ったことでしょうね、自分自身なんだこいつはと
思いましたから。しかしまあ、おばちゃんのリアクションは世界共通なのでしょうか。
何を言ってるのかだいたい伝わりましたから。
(※田舎にいそうな、ちょっとあんたあんたおばちゃん。)

(誤字)昨日までのようにウダウダ、グズグズしてしまうと思ったら大間違いです。
(訂正)昨日までのようにウダウダ、グズグズしてしまうと思ったら大正解です。

ここで自分のコミュニケーション障害(shyボーイ)のひどさが
露わになってしまいました。昨日までは心の中の葛藤が9割方でほとんど自己完結
していましたが、「あ、あう・・・あ、あ。」
とかどこのカオナシ(千と千尋)だって話ですよ。

悠遊カードは隣の普通の券売機でチャージすることができました。
最初に試したやつは定期の券売機っぽかったです。(結局良く分かりませんでした。)

駅の改札を通ると「板南線」の青い標識が見えましたが、すぐには覚えられないので
「南北線」と勝手に日本の沿線に脳内変換していました。(青いし、南なので。)
ここから二度ほど乗り換えをしましたが、難なく目的の駅に着くことができました。
台北の地下鉄は東京に比べると非常に分かりやすいので、方向音痴の自分でも
ホームの路線図を見れば乗り換える駅はよく分かります。そう言いつつも反対方向に
幾度となく乗ってしまいましたが、一駅のロスで済むなら楽なものです。

「淡水信義線」は橙だから「中央線」にしようとか、スムーズに動けることで
自信を取り戻してだんだん楽観思考になっていきます。
とはいっても、ここまでSuica(悠遊カード)を購入して駅間を移動しました、
というだけなのですが。

電車に乗りながら早くも勝利を確信しています、根拠もなしに。
この楽観思考こそが長谷インの長所であり、長所でもあります。

この日の目的はまず「台湾棋院」に行くことです。
台湾棋院とは日本棋院のようにプロ組織を運営しているところです。
取材の筆頭候補で、かつ一番簡単に潜り込めるだろうと思いこんでいました。
日本棋院のような場所ならとりあえず一階には簡単に入れるだろう、と。

そもそも住所だけ調べて、あとはほぼ情報なしの状態ですからすべて想像でしかありません。
実際にどういう場所かは行ってみて確かめるしかありません、鬼が出るか蛇が出るか。
目的地の駅に着いて地上に上がったとき、ここからが本当の勝負だと感じました。

なぜなら「安心安全」の迷子機能を標準装備している長谷インが自分の足で歩いて
無事にたどり着けるのか、経験上甚だ疑問だったからです。このときの装備はノートPCに
携帯です。着替えの荷物はもちろん宿に置いてきましたが、現地でいろいろ困ることを
見越してノートPCをここまで持参してきました。このPCが軽いやつじゃなくて
家でもメインで使ってる普通に重たいやつなんですね。
さらに充電器も入れているので結構な重量になっています。

実はここまで間に、初日にリサーチしていなかった「台北フリーWiFi」の感度を
忠孝復興駅から乗り継ぎのMRT駅内でも調べていました。まあ地下鉄ではそこそこ
繋がりましたね、場所によるといった感じです。目的の街に出たとき、駅を離れると
やっぱり繋がらなくなりました。アクセスポイントが多いとはいえ、グーグルマップだけが
頼りの長谷インには少々頼りない存在です。

というか駅やコンビニ、電話ボックス、そこら辺のどこかで繋がることはつながりますが、
迷子になったここぞのときは大抵役に立ちませんでしたね。歩きながらマップを使っても
位置情報が切れしまうので、慎重に現在位置と目的地の場所を何回も確認しながら
かつネットが繋がるポイントを探しながらの歩みになります。しゃがみながら道端で
PCと睨めっこしている姿は周りからは滑稽に映りますが、そんなことを気にする余裕は
少しもありません。

なぜなら今回は最低5か所の囲碁処(いごどころ)を回る予定ですから、初っ端から
もたもたしているわけにはいかないのです。
しかし「方向音痴は検索音痴」という格言の通り、歩き回ってダメなやつは地図を見ても
大抵ダメなものです。下手に迷子にならないようにと慎重に調べれば調べるほど
時間を使ってしまい、モタモタのグダグダになってしまいました。

結局、徒歩5分のところを二時間かけてようやくたどり着くことができたわけです。
え、何をどうしたらそんなに時間が掛かるのかって?

以前、東京駅徒歩1分の八重洲の囲碁センターに行くのに一時間半彷徨ったあげく、
交番に道を聞きに行った長谷インにそんな野暮なことは聞かないでください。
これはもう(ポンコツ)仕様です。

(誤字) 「安心安全」の迷子機能を標準装備
(訂正) 不安で危険な「徘徊機能」最新モデル搭載
「方向音痴は検索音痴」 (引用元、長谷語録)

このとき時間はもうお昼時で、最近の猛暑日が続く日本に負けないくらいの暑さです。
台湾旅行は6月29日~7月3日の5日間で約1か月ほど前のことになりますが、
亜熱帯気候の向こうの暑さは1か月前倒しです。

途中コンビニに寄って飲み物を買ってイートインでゆっくり飲もうと思ったら
すでに満席でした。持っているバッグがPC用のそれなので、飲みかけのペットボトルが
はみ出て間抜けな感じになってしまいました。捨てる場所もなく、こんな状態で
訪ねに行くのもなぁと思いつつも気持ち的にはまだ余裕があります。自分の仕様では
二時間彷徨い歩くのは想定内で、むしろ早目に到着できたくらいの気持ちです。

この後は取材を敢行するだけです。
一息ついていざ、台湾棋院へ!

「・・・・・・。」

「いやいや、ここで功を焦ってはいけない。」
「ここは一つ慎重に検索してからにしよう。」

ということで、台湾棋院を目の前にしてネット検索開始。
調べて行くうちに個人ブログを見つけたので見てみると・・・
「台湾棋院にアポなしで行ったら誰も日本語しゃべれなかった。英語は通じたので
何とか見学できました。」
と書いてありました。

いや~そうかぁ日本語通じないかぁ。
いや~そうかぁ日本語通じないかぁ。

分かっていたつもりだけど、この場合どうするんでしょうね。突撃して玉砕するのは
良いとしても、相手の陣地に入って行って眼二つの生きでは辛いんじゃないかな。
囲碁取材しに行って取って喰われて死ぬなら本望だけど、何もできずただ苦しく生きる姿
しか想像できないんだけど。

今思えば、雑居ビルの入り口まで来てネット検索してしまうのはメンタル弱すぎますね。
日本で調べてくるか、もうそのまま行けよって思いますよ、ええ今なら。

というかそもそも意外だったのが、台湾棋院が雑居ビルのアパートの一室みたいな
ところにあったことです。これは後々発覚することになりますが、このときはもういろいろ
間違っていたんですね。

ただこのとき勘違いが後に自分の心を救ってくれる出会いに繋がるとは、運命とは
不思議なものです。薄々おかしいと思っていたのが、ビルの下の看板に「名人子供教室」
って書いてあったことです。このときは子供教室も一緒にやっているのかな、としか
思いませんでした。だって住所が番地までちゃんと合っていましたから。

雑居ビルの一階ではネットが繋がっていますが、中に入れば当然公衆Wi-Fiは
遮断されます。一階の外で必死に言葉の壁を超える策を練っていましたが、ここで一つの
妙案を導き出しました。

「そうだ、翻訳すればいいんだ。いや、でもこれは反則か。」

現地の目的地の真ん前まで来て翻訳しよう、そうしようってどないやねんってなわけですが、
背に腹は代えられません。

この旅行は武者修行の意味合いを兼ねているので、翻訳機とか文明の利器に頼るのは
そもそも発想になかったわけですが、こうなってしまった以上仕方ありません。
ここまで来て言葉の壁を気にして動けないくらいならやるだけやってやろうってなもんです。

このとき打開策を見つけた気になってまたもや楽観思考になっていました。
この一つでもポジティブな材料が見つかるとすぐに楽観思考になるところが、
長谷インの長所であり、やっぱり長所でもあります。

しかし翻訳に関してまったくの無知だったためにできるかどうかはまだ半信半疑でした。
こういうときはすぐにネットで他者の声を調べます。
「台湾 翻訳 オフライン」
くらいで検索して翻訳アプリがあることを確かめます。
これをダウンロードして使うことができれば鬼に金棒、猿に言葉です。

フリーWiFiが繋がるところでインストールしますが、これがめちゃくちゃ遅くて
全然進みません。そもそも台北フリーWiFiの通信速度が遅いのは、先ほど
モタモタしてしまった一因でもあります。後述しますが、宿のWi-Fiは
通信バッチリでインストールもスムーズに行うことができました。

結局ここではオフラインの翻訳アプリをあきらめるしかありませんでした。
代わりにオンラインのグーグル翻訳を試してみましたが、これは普通に使えます。
手帳に翻訳した挨拶文を書いて、いざ5階にある棋院とおぼしき場所へと足を運びました。

今までのくだりは雑居ビルの一階や近くでやっているので、人の出入りがあるたびに
オドオドしながらも、とうとうドアの前までたどり着きました。この階で合っているのは
外のポスターやなんやで間違いなさそうです。扉はマンションやアパートと同じタイプで、
閉まっていました。

このときいろいろおかしいことに気づくヒントがいっぱいあったわけですが、
そんな気持ちの余裕など少しもありません。インターホンを押すか、押さないか。
このときのプレッシャーは文章ではとても表現できません。

駅からこの場所にたどり着くまでに二時間、下でウダウダやっていた時間がおよそ三時間。
計五時間かけて今扉の前に立っているわけです、どういう状況かは察してください。

人生には進むべき時と引くべき時があります。
台湾囲碁旅行の最大の目的であるプロ組織の取材、二日目にして大きな岐路に
立たされています。この扉の先に進むべきか、それとも引き返すべきか。

ここで一つ大事な情報を付け加えておきます。
オンラインの翻訳を外で使うことができましたが、ここはもう雑居ビルの中なので
ネットは使用できません。軽い挨拶文だけしたためて、後は自分のリアクション、力量で
勝負しなくてはならないのです。

「BET or フォールド?」
ポーカー勝負なら賭けるのか、降りるのか?

「ビーフ or チキン?」
勇敢なビーフなのか、それとも臆病者のチキンなのか?

ここで長谷インの人間性、度量そのすべてが天秤にかけられます。

果たして・・・・・・。


既の所で思いとどまり、長谷インは雑居ビルを後にしました。
これは決して臆病者の決断ではありません。
このときの判断は勇気ある行為、戦略的撤退です。

なぜなら・・・・・・。


天の声 「ビーフ or チキン?」
心の声 「No. I am ブタ!」
天の声 「え、どういう意味?」
心の声 「いや、だからブタ(役なし)でした。」

結局、気づいてしまったわけです。
「勇敢か、臆病者か」 「BETするか、降りるか」
それ以前に準備が足りない、何も手がないブタだったことに。

某漫画の大好きなシーンで
「戦場で生き残るのは強者と臆病者だ。勇者は死ぬと相場は決まってる。」
と言っていたのを思い出しました。

何の策も準備もなしに何とかなるだろうで台湾まで来て、いざ現実を目の前にすると
これが答えだったわけです。

しかしこのまま引き下がるほど見下げた果てた男ではありません。
苦虫を噛み潰すような思いをしながら、明日への誓いを立てていました。

「今は引くしかない。一旦宿に戻って態勢を立て直してから
明日必ずリベンジしに戻ってくる!」

この固い決意を胸に秘めて、戦場を後にしました。

明日に希望はあるのか、それ以前に策はあるのか。
長谷インの戦いはまだまだ続きます。

"To Be Continued."

※この文章は制作に5時間を費やしています。(一部文章の消失が三回ほど起こったため)
この先の展開は気長にお待ちください。

2015/07/24

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記 台湾編その2

皆さんこんにちは。
日本人有段者、海外初心者の長谷インです。
前回は台湾に着くところまでの話を書かせていただきました。
この先の展開は皆さんお察しだと思いますが、想像以上に不甲斐ない展開になります。
今回は言い訳半分以上の内容でお送りしたいと思います。

「到着後〜二日目、ひとならざる者」

台湾に到着後、入国カードを記載していなかったため、若干の足止めを喰らって
しまいました。その間に日本人観光客、および帰国してきた台湾の方々との集団から
離れてしまうことになります。こうなると得意技「人の後に何となくついて行く」ことが
できなくなり、ここからは単独行動になります。
(※そもそも一人旅ですが。)

高速バスで台北市内の「忠孝復興駅」を目指すことになりますが、チケットを買うところで
危惧していた問題が発生しました。
「忠孝復興駅までのチケットをください。」
と言えないことです。

そもそも漢字が分かっても発音ができなければぐうの音も出ないわけで、台湾人の
ちょっと怖いおじさんに話しかけるのはまあハードルがあるわけですね。
隣に「台北駅(メインステーション)」行きのチケット売り場があって、
こちらは台北市内の「忠孝復興駅」行きとなっています。

ちなみに両替所ではお金を差し出せば向こうもすぐに理解してくれましたが、
チケットは三つくらい行き先があったので意思表示しないとどうすることもできません。
とりあえず台北と書いてあってので「台北(taipei)」と言うと、おじさん「隣だよ」
的なポーズ。どっちも台北と書いてあるのですが、一方は台北駅で自分が行きたいのは
台北市内の忠孝復興駅なわけです。

ここで何とかならないものかと思考を巡らせて少々グダグダ。

よくこんなところでつまずけるなと皆さんお思いでしょうが、長谷インには
「人見知り機能」が標準搭載されていることを忘れてはいけません。
囲碁の世界では「ちょっと図々しいお調子者」で通っていますが、外に出ると
コミュニケーションがまともに取れない今どき(?)の若者になってしまいます。

さて、スタート地点でつまずいてしまった長谷イン(のび太)はこのあと
どうしたのでしょうか?

①ドラえもんに助けを求める。
②道具に頼る。
③早くも野垂れ死ぬ。

だいたい海外初心者ののび太(=眼鏡)がドラえもんの助けもなく生きて行けるわけが
ありません。ここで良いことを思い出しました。最低限準備した中に宿泊先の
ゲストハウスの道順をプリントアウトしていたこと。しかも送られてきた道順のメールには
チケットの買い方も書いてありました。

「我想去忠孝復興站(巴土)」

「これだ!」とやっと打開策を見つけてテンションが上がりました。
これを見せればあとは一発ですね、ちょっと怖いおじさんは親切にも簡易ガイドに
目的地の印を付けてくれました。
とまあ、最初の一歩でこの調子ですから先が思いやられるわけです。

バス(巴土)に乗って約一時間、忠孝復興駅(站)を目指します。
ここに来て、昨日ろくに眠れなかったことと、長い移動の疲れが出てきました。
しかし電池の切れそうな携帯で時間を確認しながら、長谷インは一片の油断もしていません。
なぜなら迷子機能フル装備の自分が目的のバス停を乗り過ごしたら、戻る自信が
まったくないからです。時刻は20時半くらいだったでしょうか。(時差ちょうど一時間)

ちなみに時刻表示はすべて日本時間です、持っていた携帯がずっと日本時間の表示
だったので。駅に着くのが台湾時間で20時半くらいですから、夜迷子になると
目も当てられません。このときは旅行中で一番集中していました。

これから何度もやばい場面に遭遇しますが、このときが一番体力、知力、精神力ともに
充実していて頭が冴えていました。後に暑さにやられて、すべてのステータスが
無に帰してHP0の瀕死の状態に追い込まれます。
(※HP=ヒットポイント、HP≠ホームページ)

台湾のバスは降りる駅で降車ボタンを押さないと止まってくれないと事前に調べていたので
近づくにつれて緊張感が増して行きました。さっきおじさんが印を付けてくれたので、
方向音痴&地図音痴の自分でも何とかなりそうだなと思いつつも不安を抱かずには
いられません。結局、忠孝復興駅が思っていたよりも大きな駅だったため
無事降車することができました。

ここから宿を目指すわけですが、地図と道が分かりやすかったのでここは難なく
指定の電話ボックスまで向かえました。5元入れて電話、日本人宿なので日本人の
管理人さんが迎えに来てくれました。ここでようやく一安心です、
「セーブポイントを確保したのでここから先は楽勝だろう」
とまたも楽観主義の能天気思考になっています。

宿泊先は「台北ゲストハウス101」です。興味のある方はHPを見てみてください、
臨時ドミトリー(カーテン部屋)で一泊300元(1200円)です。
(※HP=ホームページ、HP≠体力)

自分としては宿泊中何の不満もなく、まあお値段相応の環境だったわけですが、
皆さんからしたらとても泊まれるような場所ではありません。幸運なことにカーテン部屋の
宿泊客が自分一人だけだったので、余計な気を遣わずに済みました。
ただし、カーテン部屋がさらにカーテンで仕切られていて、二段ベットの下の寝るところ
以外はまったくスペースがありません。
分かりやすく例えると潜水艦の中で寝るようなものです。(←何となく)
しかもカーテン部屋にはエアコンがないため扇風機を使うのですが、これが中、強、強
しかないため(微風なし)寝るとき結構うるさいのです。ほかの部屋の方にも迷惑かな
と思い、初日はほとんど使わずに過ごしました。

寝床は二段ベットの下段で、あとは扇風機が一台やっと置けるような通るのに
ひと苦労するスペースしかなく、さらに窓がないので朝方日光が差しません。
これは寝るところさえあれば良いという自分だからこそ余裕で泊まれるわけで、
皆さんには想像しがたい環境でしょう。もちろん風呂とトイレは共用でユニットバスです。

宿泊客が入れ替わりで常時自分を含めて三人ほどだったので、風呂トイレは気兼ねなく
使えました。さて、ここまで書いて全然話が進まないことに焦りを感じていますが、
一日目はまだ終わりません。ここから晩飯タイムに入ります。

その前にゲストハウスで良い情報をゲットしました。
台北市内の「龍山寺駅」を降りると何やら外で囲碁を打っている人たちがいるとか。
こういう情報は現地でしか手に入らない貴重な情報です、取材場所が増えてテンションが
一気に上がりました。貴重な情報をゲットした後、晩飯を求めて忠孝復興の街へ。
ここで自分の見識のなさというか、台湾に対するイメージが完全に変わりました。

何となく中国の田舎のイメージで、日本より20年くらい遅れているような光景を
想像をしていたのですが、まったくの的外れでした。

「東京都内かここは」

まあ、やたらでかいデパートやビルがそびえ立っている様は山手線内の都心と
変わりありません。新宿>忠孝復興≧高田馬場くらいの街並みです。
こんなでかい街に迷子機能フル装備で歩き回るなんて過去の体験からすると
無謀の極みなわけですが、台北市内の道はびっくりするほど縦と横しかありません。
Googleマップで確認はしていましたが、よもやここまで綺麗に道が
整備されているとは。

日本の場合は町が街に発展し行ったような造りですが、道路を見る限り、
始めから街を作ったのかと思うような造りでした。世界地図で国境を見るときの
違和感と同じです、街に線を引きましたという感じです。
ご飯を食べる前に現地のコンビニに入りました。

コンビニといってもファミリーマートとセブンイレブンしかありません。
台北市内を旅行中ずっと歩き回りましたが、ほとんどこの二つしか見かけませんでした。
セブンイレブンに入ってまず驚いたことはイートインスペースです。日本ではミニストップ
以外ではあまり見かけませんが、台北市内のセブンとファミマにはほぼすべて
イートインスペースがありました。

忠孝復興のセブンのイートインは最悪な位置取りで、店内のど真ん中に高々と設置して
あって、三つしかない場所を若者が占拠していました。あそこでくつろげる度胸は
さすがにないですね、他の店舗は場所によってはカフェ並みのスペースを確保している
ところもありました。

ここで店内を見ている長谷イン(ジャパニーズ有段者)に衝撃が走ります。

アイスの棚を見ると、ガリガリ君が29元。
アイスの棚を見ると、ガリガリ君が29元。
って、約120円だと・・・。

あのリッチ何とかのガリガリ君ではなく、税込63円のガリガリ君が
116円もするとは・・・。

ちょっと隣を見るとそこには爽の衝撃のお値段が。
ちょっと隣を見るとそこには爽の衝撃のお値段が。
爽バニラ 59元(236円)
(※ちなみに旅行中は一元4円で計算しています。)

いやいやいやいや。
いくら台湾が暑くて、かつ日本から輸入していて、さらに円安といっても
お値段二倍弱もしますかね。
こういうところで超庶民派の長谷イン(タイペイ初心者)は敏感に反応してしまいます。
後でファミマでも確認したところ、当然同じ価格でスーパーカップのバニラが50元
(200円)でした。

お酒を見ても日本製の第三のビール(約200円)が300円くらいしたり、
日本製は何かと高い印象を受けました。台湾は物価が安いとか何とか(ネット情報)
聞いた気がしましたが、コンビニの商品を見るとほぼ日本と同価格です。
ここでちょっと購買意欲が削がれてしまいました。

この後お店を探すときも値段を丹念に見ながら歩き回りました。
台湾に着いたばかりで見た目に惑わされそうになりますが、掛ける4で計算していくと
やっぱり高い、高い。もちろんこれは超庶民派の長谷インの話で、皆さんの海外旅行とは
一線を画します。後述しますが、皆さんの感覚と自分の感覚のズレはかなりのもので、
帰ってきてから話を聞くといろいろずっこけました。

晩飯を食べるお店を探すことおよそ一時間。
途中から大切なことに気づいてしまいました。

初めこそ値段が高いで敬遠していたわけですが、手ごろな店でも入る勇気が出てきません。
日本でも慣れた場所じゃないと気が差さすのに、言葉が通じない状況でどうやって
お店に入るというのでしょう。それこそ店内に入ったら席に案内されて、適当に注文して、
食べて、お会計して出る、くらいになりそうなのは分かっていましたが、
どうしても入る勇気が出ません。

これは初心者の悪い癖で、失敗を恐れているんですね。

飲食店に入って何をどう失敗できるのかって話ですが、囲碁コミュニケーション以外
まったくコミュ力がない(人見知りな)のは前述の通りです。

何だか歩きながら情けない気持ちになっていきました。この日はもう夜で気温も
さほどではないので、判断力がまだ正常に機能して簡単な道を迷子にならず
グルグル歩いていました。

店頭で売っている惣菜っぽい饅頭屋(?)みたいなところで簡単に済まそうかと
思いましたが、それすらできません。コミュ力不足に加えて、言葉を奪われているわけです。
言語は人類進化の源でDNA、視覚以外で具体的に情報を伝達する人類固有の英知です。
それを奪われた以上、コミュニケーションをまともに取ることができません。

幼稚園生、いやチンパンジーや猿レベルでしょうか。
ましてや幼稚園生や猿でも意思表示できるわけですから、まさに人にあらざる者です。

しかしかといってコンビニで弁当を買って済ますわけにもいきません。
今回は台湾武者修行という名目の「人材育成」の側面があるのと、帰国後に旅行記を
書くことになっているからです。つまり何もしないで帰ってきましたでは、
石音(囲碁界)から追放処分になりかねないわけです。

ちなみにこの旅行中はコンビニに死ぬほど立ち寄りました。
暑くて飲み物が必須なのと、イートインがどこでもあって結構便利で、
しかもコミュニケーションの必要もありません。宿泊先近くの夜のファミマの店員は
それはもう態度が悪かったですが、逆に安心して買い物できました。

そうこうしているうちに時間は夜の22時〜23時になり、どんどん閉店するお店が
出てきます。時差はマイナス一時間なので、現地時間で21時〜22時ですね、
入ろうかと思っていたお店も閉店時間になっていよいよ追い詰められてきました。
だいたい今日はこのあと寝るにしても、明日から囲碁取材で動き回らなくてはいけません。
飲食店に怖くて入れません、なんてゆとり世代の第一人者のようなことを言っている
場合ではないのです。
(※同世代の方々にお詫び申し上げます、なかなかこんなポンコツはいないと思います。)

まあ入り慣れていないとマック(日本)でも緊張してしまいますからね、最初の第一歩が
重要なわけです。そろそろ本気でお腹も空いてきたので、裏通りの食堂みたいなところに
入りました。入った瞬間、隅に置いてあるカードに注文の印を付けて渡すシステム
だったようですが、指さされても良く分からなかったのでたじろいでしまいました。

どうしようかと思って一旦店を出かけましたが、「日本人?」と片言の日本語で
話しかけられたので何とか思いとどまり席に移動しました。持ってきてくれた注文票を
見ると
「おお、何か読める読める。」
と思ったらそれは日本客用で、店員のおばちゃんが向こうの注文票と照らし合わせて
やっと注文が取れました。ワンタンの水餃子っぽい麺のやつと水餃子二種類4個ずつです。

自分が台湾に行くと聞いて皆さんこぞって「台湾はご飯がおいしい」と言っていましたが、
果たしてその味は・・・!?

「・・・・・・。」
「・・・・・・。」

お世辞にもおいしいとは言えませんでしたね。

はっきり言って人生で食べた中でもワーストのほうに入るかな、と思ったり。
これは教室の皆さんと自分の認識がはるかにズレていたために生じたことでした。

よくよく聞いてみたら「おいしいお店を事前に調べて行く」とか「一流の〜」とか
「最高級の〜」とかそんな感じでした。でしょうね、やっぱり。
何でこのお店入ったかって、値段がやたら安かったですから。
腹いっぱい食べて640円くらいだったかな。日本の某フランチャイズの中華店でも
こんなに安くはないはず、ということでお値段相応の味でした。
やっとの思いで腹ごしらえが済んだ頃には手元の時刻は0時近くになっていました。
宿に戻ってウナギの寝床のようなところで就寝、暑かったものの疲れてたおかげで
よく眠れました。

まったく先が思いやられる展開になってしまいましたが、2〜5日目を考えると
一番楽な一日だったことは間違いありません。

今回は二日目まで書き上げるつもりでしたが、余計な尺を使いまくってしまったので
二日目以降はまた次回にしたいと思います。

〜台湾編その3〜「二日目前半戦、ビーフorチキンor・・・?」に続きます。
乞うご期待ください。

※この調子で行くと計10回の長期連載になってしまいますが、どうぞ気長にご覧ください。

2015/07/20

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記 台湾編その1

皆さんこんにちは。

囲碁高段者、その他級位者の長谷インです。
今回は台湾武者修行(半強制イベント)に行って参りました。
初めての海外旅行を何の準備もなしに完全個人旅行で行ってしまうのは果たして勇敢なのか、
はたまた無謀なのか。短編5回に分けて皆さんにお届けしたいと思います。

「初日、機内食は未来への暗示」

そもそもなぜ今回台湾へ旅立つことになったのか、その経緯を軽く説明しておきましょう。
基本的に人見知りで方向音痴なので、好んで旅行に行くことはありません。
これまでも友達と何度か囲碁旅行に行ったくらいで、一人でどこかへ行こうというのは
あまり気が進みません。

事の発端は石音の打ち合わせのときでした。

ベトナム帰りの根本さん(席亭)「そういえば長谷君は海外旅行は行ったことある?」
長谷イン「(興味)ありません。」
根本さん「どこか行こうと思わないの?」
長谷イン「グーグルアースで十分なので。」

まあ、この後の展開は語るに及ばずで、だいたい若輩者がこういう発言をすると決まって
火に油を注ぐことになるんですね。

(30分後)
根本さん「じゃあ石音で旅行費を毎月天引きして積み立てるから半年~一年以内に
行ってくるように。」
根本さん「行かなくても良いけど、その場合は積立金を石音で有効に使わせてもらうから。」

まあ、おおよそこんな感じでした。
その場の雰囲気とかいろいろ割愛していますが、とにかく半強制イベントで海外旅行が
決まってしまったんですね。

そもそも一人で海外に行ってテロとか拉致に巻き込まれたらどうするんだと言うと、
だったら一番行きやすい台湾にしたら、とのことで台湾行きが成り行き決定した次第です。

自分にとっては旅行自体あまり興味がないので、準備はぐだぐだでした。
打ち合わせのたびに準備できてるか聞かれるので、仕方なくパスポートを取り、
さらにチケットを予約するころにはきっかけから半年以上過ぎていました。

旅行は行く前にウキウキしているのが一番楽しいと言いますが、全然乗り気がしないので
「囲碁取材」という名目を自分に課してやっと重い腰を上げることになりました。

さて、当日までの準備ですが、チケットは一か月前に予約してLCCで往復2万7千円、
宿も一週間前に予約して一泊1200円の4泊5日です。このときのモチベーションは
とにかく安く済ませて、囲碁取材だけして来ようという気持ちです。

一応ネットの事前調査は軽くしましたが、「Taipei Free」という無料の公衆Wifiの
事前登録だけであとは取材先の住所をグーグルマップで確認したくらいです。

最初こそ海外は危険だと思っていましたが、調べるうちに台湾くらい楽勝で行ける、
むしろ全然修行イベントにならないじゃないか、と考えるようになっていました。

まあそもそもが無知なわけで、動画で台湾に日本のフランチャイズ店があることに
まず驚いて、もう少し田舎のようなイメージをしていたのですが、
そんなこともない様子でした。

出発前日にはもう行った気になっていましたね。

まさか極限まで追い詰められることになるとは、この時点では想像もしていませんでした。

前日は段級位認定大会だったので、皆さんにはお酒の席で散々嘯いていましたね。
何も事件が起こらなかったら話のタネに女の子に声をかけてくる、とか言うくらいの
余裕っぷりでした。

当日は飛行機に乗り遅れて寅さんになるのだけは避けようと、14時半の出発予定なのに
あまり寝れませんでした。とにかく怖かったのは出入国で、向こうに行けばどうとでも
なると考えていました。

朝になってやっと荷物をまとめましたが、着替えとタオルとノートPCくらいで
田舎(鹿児島)に帰るのと同程度の装備です。ノートPCに関しては向こうで使えたら何かと
便利と思って持って行きましたが、なかったらかなり危なかったです。そもそも一番準備
せずに後悔したことはポケットWi-Fiを契約して持っていかなかったことです。
着替えとタオルとPCくらいしか準備していないつもりでしたが、自分には「迷子機能」が
標準装備されていることをすっかり軽視していました。

この呪いのような迷子機能のおかげで散々な思いをすることになります。
今となっては事前の調査と準備をしっかりやって、その上で常にネットと繋がれる環境を
用意しておくんだったと反省しています。

しかし、今回は長谷インの修行イベントというコンセプトなので、「ほぼ無計画で行く」
という計画を立てていたんです。
宿も決めずに何も調べずに行こうかと本気で思っていましたが、さすがに現地でうろうろ
歩いて迷子になったら時間が勿体ないかなと考えて最低限の準備はしました。
今思えば、それすらやってなかったら普通に野垂れ死んでいましたね。

無計画を計画する、というただの無謀な挑戦をしていることに全然気づかなかったわけです。
基本的に何とかなるさの楽観主義者ですが、それは日本だから通用する話で言葉の通じない
海外ではどんな目に合うかという話です。

初日は昼に出発だったので、向こうに着くのは夜頃になりました。
出入国に関しては特に問題はありませんでした。
関税のところはどうするんだろうと思いましたが、関係ないのでそのまま抜けました。
eチケットだとかパスポートだとか初めてのことで不安でしたが、ここら辺はまあ
何とかなりますね。

成田空港まで二時間、二時間前に到着してフライトは三時間予定ととにかく時間か
かるなぁと思いながら無事にチャイナエアラインの機内に入りました。ラッキーなことに
ほかのお客さんと隣り合わせにならなかったので、割と快適でした。

(途中で席を移動してきた家族連れの台湾人っぽいおじさんが鬱陶しいと思いましたが、
降りる頃にはただの親切なおじさんだったので良かったです。)

機内では暇すぎてモニターのゲームやったり、映画見たりしましたが、英語とか中国語
ばかりでまともに日本語で面白そうなものは見つかりませんでした。しょうがないので
英語版(中国語字幕)のアナと雪の女王を観ましたが、あれは普通に面白かったです。

一時期テレビで耳にタコができるほど主題歌が流れていて敬遠していましたが、
ミュージカル調で展開していくシーンには心踊らされました。中国語はもちろん英語も
ほとんど分かりませんが、アニメーションはキャラクターの動きで意図することが
雄弁に伝わりますね。

そうこうしているうちに機内食が運ばれてきました。機内食には結構憧れていて、
鹿児島に帰省するときなんかアップルかオレンジジュースの選択肢しかありません。
一番驚いたのは飲み物にお酒もあるということです。当然「アップルorオレンジ?」
とか思っていたらワインやビールの選択肢もあるんですね。
台湾製のビールにしましたが、ビールは日本のほうがおいしいです。
それ以前に乗り物酔いしやすいので、ビール飲んだら少し気分が悪くなりました。

よく聞く「ビーフorチキン?」が来るかと思って待ち構えていたら「チキンorブタ?」
と聞かれてちょっとびっくり。
そこはポークじゃないんだ、と心の中でツッコミ入れながら、「え~と、ブタで」と
こちらを選択しました。

まさかこの「選択肢」がこの先の未来を暗示しているとは、このときは夢にも
思いませんでした。

そしてブタを選択したのも定められた運命だったのかもしれません、あるいは潜在意識が
選んでしまったのか。
いずれにしてもパクパクのんきに食べている場合ではなかったでしょう。

ちなみにこの機内食は旅行中に食べた中でベスト3に入る味だったことは、
もちろんこの時点では知る由もありません。

と、まあ何だかんだで台湾に無事到着しました。

入国カードを一人だけ書いていなかったようで、「ナンバー、ナンバー!?」と
捲し立てられてちょっと困りましたが、ここも難なく切り抜けました。

もうこの着いた直後は「あっけなかったな、あとは適当に取材して終わりだな」
くらいの余裕の気持ちでしたね。

そう思った矢先、10分後には現実を思い知ることになりますが、
それはまた次回にしましょう。

~台湾編その2~「到着後~二日目、ひとならざる者」に続きます。
乞うご期待ください。

2015/07/08

囲碁, 関兵馬インストラクター

私は囲碁講師

昨年。3人の生徒さんが対局中に倒れました。
皆さん苦しい碁を逆転した瞬間、意識を失ってそのまま帰らぬ人となりました。

急な最期に、残されたご家族の方は心の整理がつかないご様子でしたが、
亡くなられたご本人は、とても晴れやかな表情を浮かべていました。

「かあちゃん、やったぞ」と。

私は囲碁講師。
今日も明日も生徒さんに囲碁を教えます。

最期まで。

関 兵馬

 

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