• ホーム
  •  > 
  • 石音インストラクターブログ

石音インストラクターブログ

2015/09/17

囲碁, 関兵馬インストラクター

兵馬の気づき 『さなぎから蝶へ』

毎月第1・3土曜の夜9時より「碁が旨くなるスパイス講座」を担当しています関 兵馬です。

石音インストラクターの中で1番の古株である私は、根本オーナーに上手く取り入り
月2回のお仕事でお給料を頂いていました。
ところが最近、石音で週4~5回働いている某インストラクターN谷氏より
「インストラクターの中に給料泥棒がいる!」という、至極まっとうなクレームがあった?とか
ないとかで根本オーナーから
「関さん、もうちょっと何かしてくれないかな~」という業務命令が届きまして…。
仕方なしに、何か楽してできる仕事はないかな~と色々考えてみたのですが、
なかなかいいアイデアは浮かびません。

そんな時、私を訴えた某インストラクター長T氏が、台湾グダグダ旅行記を掲載しているのを
思い出しました。そうだ!私もその手でいこう。
ということで、「兵馬のきづき」という題名でコラムを書くことに決定。
ただし、月2回ね。それ以上は無理ですわ。と根本オーナーに伝えると、あっさりOKが出ました。
こんな調子で始まった当コラムですので、普段私が考えていることや感じたことを
何の捻りもなく書いていく決意でございます。皆さんもその覚悟でお目通りを。

さて、栄えある第1回のお題は~さなぎ から蝶へ~です。

ここで急ですが、皆さんに質問があります。
皆さんは 攻めと守り どちらが好きですか?
ちなみに私は、攻めが大好きドS気質です。しかし、家庭ができてからというもの
ありとあらゆる口撃に耐えるべく、さなぎマンになっております。
日頃の鬱憤を石音の指導碁で晴らすのが、私の唯一の生き甲斐でございます。
(興味のある方は是非観戦を!)
どうも生徒さんの中には、私からの愛のムチだと勘違いしている人徳者が多く、救われています。

それはさて置き、囲碁でも攻め派と守り派がありますよね。
どちらが良いとは一概に言えませんが、高段者になるまでは攻めを重視するように
私はお勧めしています。その理由は、攻めることで自分の思いを盤上に表現できるように
なるからです。
それに対し、守ってばかりでは相手の手に対応しているだけになります。それでは
自らの意思を表現する技術が身につきません。なので、下手でも攻めてみるのが大事なのです。

結果を気にせず攻めてみること。

自分の思いを表現できるようになれば、その結果がどうであれ、しっかり体験的に
学習をすることができます。
しかし、ビビッて守ってばかりでは、自らの体験としての学習が進みません。
結果上達が遅くなります。さなぎマンではダメダメなんですよ。
例えば、いくら本を読んでも上達しないのは、体験的に理解していないからといえます。
言うは易し、行うは難し ですね。

ここで気になるのは 攻めって何だろう? ということです。
攻めと一言でいっても、相手をせん滅する攻め、敵の出鼻を挫くジャブのような軽い攻め、
はたまた、攻めるフリをして逃走する見せかけの攻め、と多種多彩です。
ひとつ共通して言えることは、相手に圧力を掛けることで敵の動きを制限し、
自らの選択肢を増やす行為だということです。
まあ、簡単に言うと先手をキープするということですね。

囲碁は、限られた空間を交互に打って領土を取り合うゲームです。
このシンプルなゲームにおいて一番の特権は、「手番を持っていること」なのです。
手番の者にのみ選 択権が与えられ、後手の者は待つより方法はありません。
この理屈がわかれば、守りオンリーはかなりヤバい作戦だと気づくはずです。
なんせ大事な選択権を、いつも相手に献上しているわけですから。
そこで、

皆さんはとにかく攻めるべきです!
相手の着手には、まず無視することから考えてください!
選択権を保持し、自らの選択から実体験を得ること。それが上達への近道です。
そして何よりもその方が楽しいじゃありませんか。

さて、そろそろ私も さなぎから蝶へ 変貌を遂げる時期が来たようです。

あれ?何だかおかしいぞ。  どこに選択権とやらが在るのかなあ。。。

2015/09/11

囲碁, 長谷俊インストラクター

長谷インのグローバル囲碁旅行記~台湾編その5(続き)~

〜前回のあらすじ〜

千と千尋の聖地とされる九份(キュウフン)に辛くも到着した長谷イン。
最終のタイムリミットまで猶予のない観光を余儀なくされることに。
しかしここは観光地ではなく、黄泉への入り口に他ならないのであった。

皆さんこんにちは。今年28歳、独身平民の長谷インです。

教室の生徒さんからお酒の席のたびに「いつ結婚するの?」って聞かれるものの、
まったくご縁がない今日この頃です。
ご縁と碁縁はいつでも歓迎ですので、心当たりある方はぜひご一報ください。

さて、今回は「グローバル囲碁旅行記 〜台湾前編〜」の最終回です。
数々の苦難、困難を乗り越えてきた長谷インの命運も残りわずかの展開になります。
後編の執筆活動は石音フォームまでお問い合わせください。


台湾編その5「魔境九份、地獄へのいざない」(つづき)

九份に着いた長谷インは安堵と不安の両方の感情を抱いていた。
「良かったぁ、セブンとファミマあるじゃん。」
「これで最悪死ぬことはない。」

そう、台湾に来てから幾度となくお世話になっているイートインコーナー付きのコンビニである。
これで命の保証はできた、そう思っていた。
ただ事態は想定を超え、はるかに切迫していたのである。

時刻は午後20時半。
辺りはすでに真っ暗で観光客が帰路に着こうとバス停に並んでいる。
先ほどの女の子たちは例によって写真イェーイ(∩´∀`)∩状態であるため、
サクサク歩いてとっくに追い越している。

ここからは時間との戦いである。
ミッションは提灯の写メを撮って、ご飯を食べて帰ること。

あの一応断っておきますけど、お店に入るかどうかで躊躇なんてしませんよ?
まさかここまで来てご飯食べずに帰りましたとか、そんなチンケな展開にはなりません。
さっさと食べて帰らないと今度こそヤバいわけですから。

とは言うものの。一つ気になることがあります。

それは九份の灯りがないことです。街の灯りは遠く眼下に広がり、
バス停やコンビニの明かりは付近を照らしています。

しかし、肝心の提灯の明かりが見当たりません。
今からどこへ向かえば良いの?って状況ですよ。
観光客の後をついて行くとか、ガイドブックを頼りに動くとか
やりようはいくらでもありますか?

そうはいっても簡易ガイドは宿に置いてきたし、台北フリーWi−Fiは圏外で繋がりません。
っていうか誰もいませんよ、ホント。

こういうとき方向音痴の考えは至って単純です。
「山道を登って行けば着くか。」

山道をずっと登ってきたバスを途中で降りたわけですから、そのまま登れば良いわけです。

ちなみに旅行記書くのに改めて九份の地図を見て、戦慄が走りました。
凄まじいほど的外れな方向感覚ですよ。
これ今考えても相当ギリギリのところだったと震えています。

さて、上へ向かって進もうとしたところで、駐車場とトイレを見つけました。
「何だ、人気があるじゃないか。」と安心した矢先、ふと顔を上げると
目を疑う光景がありました。

"何なんだ、これは・・・。"

そこには断崖にそびえ立つ複数の住宅がありました。

え、え?!

いや、いや、いや。

角度急すぎるでしょ!?
・・・・・・。
・・・・・・。
っていうか、小さくない?

よくよく近づいてみると一軒家の10分の1ほどの小さい社でした。
びっくりしたぁ。

何これ、どういうセンスしてるんですか。
頭上に社が乱立しているわけですよ。
海沿いの急斜面に建てられた家々のような感じです。

薩摩半島の最南端にあるおばあちゃんちを思い出すような光景でした。
何とも説明し難いので、とりあえず写メに撮っておくことに。

「・・・・・・。」

全然写らへんやないかい。
辺りが真っ暗ですぐ近くの景色も写すことができませんでした。
古びたトイレで用を済まして、いざ山道を上へ向かいます。

てくてくてく、てくてくてく。
「・・・・・・。」

てくてくてく、てくてくてく。
「・・・・・・。」

てくてく・・てく、てくてく・・てく。
「はあ、はあ、はぁ・・・。」

もう疲れましたよ、いい加減。

100メートルほど進んだところで、なけなしの体力が切れました。
九份に着く前にも死ぬほど歩いているのに、さらに山道を登るのは険しすぎます。
山道とはいっても、アスファルトの道路ですが。

「もう少し、もう少し。」

自分にそう言い聞かせながら、頑張って前へ進みます。

てくてくてく、てくてくてく。
(おかしい、一向にそれらしきものが見当たらない・・・。)

ちょうど先の見えるところまで登ってきましたが、それでも電灯や建物の明かりが
わずかに見える程度でとても観光地のそれとは思えません。

(もう少し、もう少しだけ歩いてみよう。)

体力はとうの昔に限界です。もはや死者の歩みになっています。
ゾンビのように重い体を一歩一歩前に進めながら、もう100メートルほど進みました。

(ヤバい、これはキリがない。)

いくら明かりを目指して進んでも、あるのはただの電灯です。
もしくはポツンとした民宿で目指す場所は一向に見当たりません。
魅入られるようにわずかな光に吸い寄せられるのは、息絶え絶えのまさに虫の息だからか。
もう限界です、体力的にも精神的にも。

いつの間にか社の群れを眼下に見下ろすところまで登ってきていました。
このまま当てもなく進んでいけば、本当に帰れなくなるかもしれません。
ここですべき最良の選択は、今来た道を引き返してバスに乗って帰ることです。

しかし何もせずに帰るわけにはいかない・・・。
体力的にも今来た道を引き返すのは、死ぬほど辛くて苦しい選択です。

でも・・・だけど・・・。
いや・・・しかし・・・。
ええい、やあ!

ついに英断を下しました。
山道をショートカットして帰ることにしたのです。
ここまできて何もせずに帰ることを選択できたのは称賛に値します。

急斜面の社の群れを上から見ると、石段があることに気が付きました。
もちろんこの石段が下まで繋がっているとは限りません。
もし行き止まりなら大幅な時間のロスになります。
それでもここで急いで戻らないとタイムリミットが危ういのも事実です。

社を近くでパシャパシャ撮りつつ、階段を下りて行きます。
途中でデカい神社を発見しました。
お前が親玉か、と思いながらパシャリ。
何でも良いから思い出に撮りまくることが、今できる精一杯です。

急斜面の石段はずっと下まで繋がっているようです。

「よしよし、このまま下りて行けばバス停にたどり着ける。」
そう思っていた矢先、何やら雰囲気の違う場所へ出てきました。

ん?んん!?

何ですかここは、住宅地ですか?

住宅地という表現が適切かどうかは分かりませんが、民宿や一軒家がいっぱい
出てきました。途中、駄菓子屋みたいのとかいろいろ通り過ぎて下りていくと、
狭い路地に差し掛かりました。

(これはさっきまでの空間と全然違う。)

道路沿いに登ってきたときはまったく人の気配がなかったのに、
急に町の中に紛れ込んでしまったようです。
"これは・・・神隠しなのか。"

もはや長谷インの常識が通用する範疇をはるかに超えています。
トンネルを抜けると異世界へ紛れ込んでしまった、
まさに千と千尋の神隠しそのものです。

おそらくショートカットしようと石段を下って行ったところで、
異世界へ踏み込んだのかもしれません。

このままでは千尋と同じく名前の一字を奪われてしまいます。

荻野千尋→千
長谷俊→???

あれ、「俊」の一字を取ったらナナシですね。
情けで人偏だけ奪われたとしても「ムニハニタ」になっちゃいますよ。
人偏にムにハに、タ(のような字)で俊っていう字ですから。

そもそも長谷インから人偏を取ったらもう人ではなくなります。

"カオナシ、ナナシ、ヒトデナシ"ってどんなインだよ。

魔界の虜になって帰れなくなるかもしれない、そんな不安に押し潰されそうになりながらも
ひたすら道なりに下りて行きました。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

そうそう、ここは野良犬がいっぱいいますね。
野良猫よりも犬のほうが多いんじゃない?ってくらいよく見かけます。
さっきの山道でも野良犬三匹に囲まれてピンチでした。

高校生のころ、帰り道をずっと犬に追いかけられたことがあります。
さっきは知らんぷりしてやり過ごして、何とか事なきを得ていました。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

それにしても、ですよ。
やっぱり暑いというか、亜熱帯というか。
大きいですね、非常に。
そこら辺にいますよ、Gさんが。

民宿があるからですか、異常に多いんですけど。

しかも血気盛んというか、活きがいいというか。
いやはや、赤茶のでかい奴は日本ではあまり見かけないですからね。
まあ、自分には関係ありませんよ。

カサカサ・・・カサカサ・・・。

G「ぎぃいいいいい!!!!!!」

俊「ぎゃあああああ!!!!!!」

ズダダダダダンッッ。

はぁはぁ、ふぅ、危うくひっくり返るところでした。
傾斜のある石段を下りている途中でやつらの一人が奇声をあげてきましたからね。

泣きそうですよ、ホントにもう。
はっきり言ってまた迷子になってるし、Gの脅威には晒されるし。
いざとなったら、ここに泊まることを覚悟しました。

まだ言葉の壁を感じている上に、夜も遅いしちゃんと泊まれるのか。
この期に及んで一泊いくらかかるのか、ぼったくられないか不安なわけです。

帰りのバスは正直諦め半分でした。
最悪の事態を想定して動かないともうどうにもなりません。
しばらく下りるとまた違う雰囲気の場所に出てきました。

これは・・・提灯?・・・まさか!?

そう、そのまさかです。
期せずしてやっと目的の観光地に到着しました。
途中で地図が載っている案内板を見つけたので、
今までのルートを確認してみます。

身震いしましたね、正直。

さっきの「ええい、やあ!」のところが地図のてっぺんにあります。
つまりあそこで決断をせず、そのまま登り続けていたら遭難していました。
もう本当にギリギリの戦いです。
とにかく地図を見る限り、このまま下りて道路沿いにあるバス停に行けば帰れます。

本来なら九份でお土産を買おうと思っていましたが、
ほとんどのお店のシャッターは閉まっていました。
もちろん観光客の姿もほとんどありません。

脚立付きのカメラで夜の九份を撮影している人たちしか残っていませんでした。
彼らは帰りどうするんだろう?たぶん宿に泊るつもりでしょうね。
こんな時間にふらふらセーブポイント(宿)もなく歩いているのは自分くらいのものですよ。

シャッターの閉まった商店街(?)を抜けると大きい三階建てのようなお店の通りに出ました。

「ここで飯でも食べていくか。」

もう時間は21時を回っています。管理人さんから21時半がリミットと言われましたが、
はっきりした最終バスの時間は分かっていません。
こういうときに、自分の都合の良いほうに考えてしまうんですね。

"まあ、何とかなるだろう。"

断っておきますが、長谷インの脳ミソは暑さに茹っていて正常ではありません。
もう暑いんですよ、
とにかく。疲れてるし、暑いし、不安だし、まともな判断は期待できません。
ただ入るお店を探している暇がないのは重々承知していました。

"クーラー利いてます。"

長谷イン「ここだ!」

開いているお店自体が少ないので、選択肢はそんなに多くありません。
営業しているか確認しようとした矢先に、魅力的な文句を見つけました。
その一言に惹かれて、ふらふら近づいていくと中のおばちゃんに声をかけられました。

おばちゃん「ほらほら、入って入って!」

確か片言の日本語だったと思います。
もう台湾語だろうが日本語だろうが相手のリアクションで
言いたいことはほぼ汲み取れるようになりました。

おばちゃん「はいはい、選んで選んで。」

すごい勢いで煽ってくるので、いつものようにグダグダしている余裕はありません。
扇風機のある外のテラスに案内されたときは「騙された!」と思いましたが、
一方的に捲し立ててくる感じは嫌いではありませんでした。

そうでもしないとまたあーでもない、こーでもないが始まってしまいますからね。

メニューをゆっくり選べなかったので、台湾に来たらぜひ食べたかった小籠包と
麻婆豆腐とウーロン茶を頼みました。

こっちが値段を気にして躊躇していても、どんどん話を進めてきて
三つ選んだらやっと満足そうに奥へ引っ込んでいきました。

ギリギリの戦いの中でも、値段の計算を怠らない長谷イン。
ちなみに4日目前半までに食べた合計はおよそ2000円程度でしたが、
ここで食べた金額も2000円くらいです。

今にして思うと何であんなに値段を気にしていたんでしょうか。
ウーロン茶が一杯で600円だったからでしょうか。

あれは卑怯ですよ。
お冷もなく、死ぬほど暑い中ウーロン茶飲めば、そりゃうまいに決まってますからね。
台湾にきてようやく普通の食事ができました。
しかし疲れて頭がボーとしていたため、美味しいかどうかははっきり覚えていません。

3日目に食べた豚丼を10とすると、機内食7、小籠包&麻婆豆腐が5
といったところでしょうか。小籠包は美味しかった気もしますが、
帰りの時間が不安で舌鼓を打つ余裕はありませんでした。

湯婆婆並みの押しの強さに助けられた長谷インは、無事に観光地での食事を済ませて
今度こそ帰路に着くためバス停へ向かいます。

とにかく下へ下へと降って行き、やっと道路に出ました。
到着時の場所よりだいぶ下のほうに出てしまい、バス停までまた道沿いに
登って行かなくてはいけません。

忠孝復興駅行き、1062番のバス乗り場へ急ぎます。

ここへ着いた時点で悠遊カードが残高0であることを思い出し、
一旦近くのコンビニへチャージしに向かいます。

セブンでもファミマでもない地元のコンビニでしたが、レジの悠遊マークを見て安心しました。
中は閑散としていてお客さんは一人しかおらず、店員さんもウォークインに籠って
飲料の補充をしていました。

長谷イン「Excuse me.」
店員さん「・・・・・・。」

長谷イン「Excuse me!」
店員さん「・・・・・・。」

長谷イン「Excuse me!!」
店員さん「・・・・・・。」

長谷イン「Excuse me!!!」
店員さん「・・・・・・。」

長谷イン「Excuse me!!!!!!」
店員さん「・・・・・・。」

長谷イン「エクスキューズミィ゛ー!!!!!!」
バタン。
店員さん「・・・・・・。」

もうはっ倒そうかと思いましたよ。
いつもなら深夜の店員さんに取り乱すことは絶対にありません。
なぜなら深夜のコンビニで働いていたので、相手の状況がよく分かっているからです。

しかしタイムリミットは刻一刻と迫っています。
自分のエクスキューズミーの発音が悪くても、ウォークインの中にいて聞こえづらくても、
形振り構っていられません。こちとら命が懸っているわけです。

さきほど「最悪の事態を想定して」と言いましたが、そうはいってもです。
Gがわんさか出るような民宿に泊まれますか?って話ですよ。

ファミマのイートインはテラスだし、野良犬もいるため一晩過ごすにはちょっと不安があります。
寝ずにやり過ごそうかとも思いましたが、体力的にも限界で土台無理な話です。

朝になって宿に戻ったとしても、うっかり寝て帰りの便に間に合わなかったら
それこそアウトです。長谷インの「自由に打とう!13路に定石なし!in台湾」
が現実になってしまうかもしれません。

正確な帰りのバスの時間は分かりませんが、直感でもう相当ヤバいことは察しています。

ザッザッザッ。
はっはっはっ。

ザッザッザッ。
はっはっはっ。

重い体に鞭を打って山道をバス停目指して走ります。

ザッザッザッ。
はっはっはっ。

ザッザッザッ。
はっはっはっ。

ようやく始めのバス停に到着しました。
ここか、ここより少し先のバス停に行けば帰りの便があるはずです。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

え?
ゴシゴシ。

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

いや、いや。
ゴシゴシ。

「・・・・・・。」

"平日 最終 21時30分"
"携帯 時刻 21時44分"

「はは、はぁ・・・。」

忠告通り、最終の時間は21時30分でした。

もうすべて終わった・・・。

そう思う気力すら残っていません。
ただ頭がボーっとしていて、静かに現実を受け止めていました。

そういえば、いつ思ったんだろう。
石段を下りて行く途中、Gに奇声を発せられたときかな。
そのとき確かにこう思いました。

"こんなところで死んでたまるか。"

町の造りが田舎のおばあちゃんちそっくりだったんですね。

"自分はこんな田舎で死ぬために東京に出てきたんじゃない。"
"囲碁を教えながら死ねるなら本望だ。"
"帰って皆さんの上達を見届けるまで死ぬわけにはいかない。"

そんな決意、思いとは裏腹に現実は非情なものでした。
最終バスを乗り過ごす。

言葉も通じないこんな田舎で。
体力も気力も何一つ残っていない。
もう何も考えられない。
綱渡りで紡いでいた糸は事切れました。

ついに長谷インの命運はここで尽き果てます。
そして未来への希望も。

グローバル囲碁旅行記 〜台湾前編〜 "完"

長谷インの来世にご期待ください。

2015/09/08

囲碁, 松村和明インストラクター

私が遭遇した事件

6月から金曜日14時~の枠で石音インストラクターとして
レッスンをさせていただいている松村です。

私とあまりなじみのない方も多いと思われますので
自己紹介を混ぜつつ書かせていただきたいと思います。

私が初めて囲碁を知ったのは小学生の頃でした。
祖父の家に碁盤碁石があったことや、当時「ヒカルの碁」という漫画が
大ヒットしていたこともあり興味を持ちすぐにルールを覚えました。
そんな私を見た両親は地元の囲碁教室に通わせました。

しかし、私は困ったことに勉強が大嫌いでした。毎週出される詰碁の宿題など
一度もやっていったことがなかったと記憶しています。
囲碁教室も囲碁もすぐにやめてしまいました。

そんな私ですが、今は囲碁インストラクターを仕事にしています。
どうしてそうなったか...。「事件」が起こりました。

大学時代、ひょんなことから囲碁部に入部し、囲碁を打つようになった私は
学生の団体戦に出るため小学生の頃には考えられなかったほど囲碁に取り組み
始めました。色々なことをバネにし、気づいたら棋力を伸ばすことに
夢中になっていました。

そして3年生になり本格的に就職活動を考えた時、私には就きたい職が
ありませんでした。ずっと囲碁していたい...。
それで頭がいっぱいだったかもしれません。

そんな時、訪れた転機であり事件が行きつけの地元の碁会所で期間限定の
入門教室をやってみないかというお話でした。

実際に教室をやらせていただくと想像をはるかに超える楽しさと喜びが
ありました。興味津々な生徒さん、初めて使う大盤、初めての指導する側での
指導碁、もう語りつくせないほどでした。その大きさはあまりに衝撃的で
私の人生観を変えることとなりました。

この事件はそのまま今の私に直結しています。
私にとっての天職は囲碁インストラクターであり、多くの方のご協力があって
今石音や様々な場所でレッスンをさせていただいています。

棋力向上だけでなく、囲碁インストラクターとしてのスキルももっと向上
できるのではないかとレッスンに毎回工夫をこらすのも楽しくありますし、
充実した日々を送らせていただいています。

これからも今まで以上にたくさんの人に、
今まで以上の「囲碁インストラクター松村」としてレッスンを
させていただきたいと思っています。

2015/09/04

その他, 井桁健太インストラクター

事件を引き起こすもの

その人の性格・個性は盤上では棋風として表れる。
私の場合であれば、「温厚で優しさ溢れる、マザーテレサのような棋風」
といってもおかしくない。そんな「歩く世界平和」のような私であるが、
周囲に迷惑をかけてしまった事件がある。

今は囲碁インストラクターとして活動をしているものの、以前はとある会社
で営業職として働いていた。新入社員として働き始めた最初の金曜日の夜。
同期10人で、一週間の振返りをメインとした飲み会だ。
それぞれ違った部署に配属されたので、仕事の話で盛り上がる。
私はもともと人見知りの面もある。

同じ部署とはいえ、今まで付き合ったことがない世代の先輩達との一週間は、
自分でも気付かないくらい緊張していたようで、その飲み会では普段より
お酒のペースが早くなっていた。
同期もいっしょに盛り上がり、さらに楽しくなってくる。

二次会に行って、またみんなでひたすら盛り上がりながらお酒を飲む。

そして目が覚めた時には、私はとある駅のホームで横になっていた。
後で同期が言うには、二件目を出た後で、近くのラーメン屋の看板に攻撃も
していたらしい。新入社員としての社会人ライフはそんなスタートだった。

時は経ち、私はその会社を退職することになった。
今度は同じ部署の上司や先輩が送別会を開いてくれたのである。

新たな一歩を踏み出す私に、先輩は色々と励ましてくれて、一人ひとり
いっしょにお酒を飲んだ。上司も私の今後を応援してくれた。その途中で、
店主が大きな盃を持って来た。相撲で優勝した関取が飲んでいるような盃の、
少し小さいサイズではあったが、もちろん十分に大きい。
どうやら店主さんが気遣ってくれたようで、
日本酒をそれに入れて持ってきてくれたのだった。その場にいた全員で
少しずつ回しながら飲んでいたのだが、トリを務めるのは誰か。

もちろん送別会主役の私である。

そういう流れの時には、だいたい予想を上回った量のお酒が残っている。
多少びびりながらも、上司、先輩、そして会社への感謝の気持ちを
抱きながら盃を空にした。

その後、私は二次会にも参加した。
日本酒というのは囲碁で言う「利かし」のような効力があって、
すぐには酔わないが次第に酔いが回ってくるものである。
そして目が覚めた時には、私はタクシーの運転手さんに大きな声で
起こされていた。後で先輩が言うには、二件目を出た後で、近くの道路で
横になろうとしていたらしい。
そんな締めくくりをして会社を辞めたのである。

これだけ聞くとお酒ばかり飲んでいるように見えるかもしれないが、
冒頭でも述べた様に、普段の私は温厚で優しさに満ち溢れている。

その人の性格・個性は盤上では棋風として表れる。
某酒造メーカー主催の囲碁大会があるが、今後出場する際には盤上でも
事件を起こさないよう、十分に気をつけて臨もうと心に決めている。

2015/09/04

囲碁, 泉勝徳インストラクター

私の遭遇した事件

この時期といえばスイカ、海、花火と色々と夏の定番があります。
そんな、夏の風物詩にちなんだ事件を体験したので紹介します。

天神祭という日本三大祭りの一つの花火を見てたのですが、友人の子どもと
一緒に見てましたが、小1の子なのでじっと見ているのが飽きてきた
みたいで、ずっと謎なぞしよーっと私にいうてくるので相手をしていると
ハマったみたいで周りにいてる大人たちを巻き込んで謎なぞの出し合い合戦が始まって大人たちが花火の打ち上がってる中真剣になりはじめて
子どもも夢中になった時…
子どもが叫びました!

なんと、お漏らしをしてしまいました。
子どもが花火を咲かしてしまい事件が勃発しました。
この事件が最大の私の遭遇した事件です。
でも、こどもの事件は笑って許してしまいますね~(笑)

泉勝徳

 

PAGE TOP