ついに、根本席亭の本が出版されます!
皆さんより一足先に、席亭より直々に本を頂いて読んでみました。
ん?私の話が出ているじゃないの~。ああ、あの話ね。根本さん、覚えてたのね。
ということで、元ネタのエピソードを今回はコラムに書いてみました。
題名「思いのままに打つ」
あるカルチャー教室でのこと。碁をはじめて一年ほどした生徒さん(年配の女性)が、
私に相談があるというのです。
「囲碁は面白いけど、ちっとも上達しない。せっかく教室で習っているのに、一向に
上達しないなんて、私、碁の才能がないんじゃないかしら。もう教室やめようかな」
急な告白に、私は言葉を失いました。彼女がそんなに苦しんでいるとは、思いもしなかった
からです。その時私の脳裏に、対局中に懇々と考え込んでいる彼女の姿が、ふと
浮かびました。
「そうか。彼女は碁を楽しんでいたのではなく、苦しんでいたのか」と、その時はじめて
気づきました。まあ、ダメな先生ですね。しかし、相談に来るということは、まだ望みは
あるはずです。囲碁は面白いと言っているし、上達したいということは、裏を返せば碁が
好きだと言っているわけですから。この方は、私からの的確なアドバイスを望んでいる
のだ、と思いました。
そこで私は
「あまり色々な事を考えずに、シンプルに自分の打ちたい手を打ってみてはどうですか」
と言いました。とりあえず、対局中のあの辛そうな時間から、彼女を解放してあげたい。
そんな思いから、このようなアドバイスとなったのですが、正直効果があるのか
どうだか・・・。
それからです。彼女の様子が見違えるほど変わったのは。
今までは長考派で、かなり慎重に打っていたのに突然、小気味良く着手が早くなり、
以前彼女から感じられた対局中の息苦しさが無くなりました。表情も明るくなり、まるで
この世の春が訪れたかのように、自由を楽しんでいます。変わったのは様子だけでは
ありません。何と囲碁が上達しはじめたのです。一体、彼女に何が起きたのでしょうか。
私は彼女のある変化に気づきました。それは
「悪い手をたくさん打てるようになった。」ということです。
良い手を打てるようになることが上達だと思っていた私には、正直驚きの発見でした。
「良い手を打て」と教える指導者はいても、「悪い手を打て」と教える指導者はいません。
良い手ばかりを打たせようとする今までの私の指導法は、どこか間違っていたのではないか。
そして、どう打てば良いかという「答え」だけを求める生徒さんの学習姿勢にも、
何か重大な落とし穴があるのではないか。そう思った私は、さらに彼女の変化を深く
考察してみることにしました。
どうして悪い手を打てるようになったら強くなったのでしょうか。
普通、悪い手を打てば碁は負けるので良くないことのはずです。それなのに彼女は明らかに
上達した。私のアドバイス「自分の打ちたい手を打ってみる。」に従い、彼女は自分の
思いのままに碁石を置くようになりました。そうすると、見たこともない奇妙な形
(愚形とも言う)や定石や手筋にない手が、盤上にたくさん現れました。それらは、
人や本から教わった「知識の手」ではなく、彼女の意思が生んだ「考えた手」だったのです。
自分の思い通りに打つことで、大げさに言えば自身の囲碁観を盤上に表現できるように
変わったわけです。その表現が多少まずい「悪い手」であっても、自らの考えで
打たれた手であれば、何が悪かったのかを体験的に理解できるようになったのです。
その理解は、本の解説を見て覚える表面的なものではなく、自身の内面から湧き出てきた
より深いもののようです。そして、悪い手を体験的に理解す ることで、その反対の
良い手を暗記ではなく自分の力で導けるようになったのでした。
得てして大人は結果を早く求めたがります。失敗しないでどうやって事を成すか、
上手くいく「答え」だけを知りたがります。そしてその教えをマニュアル化し、
どの局面でも判を押すかのように繰り返します。下手をするとマニュアル通り打ってこない
相手に対し、「それは定石ではない」などと言ったりして。
一方、指導者も「答え」を教えることが良い指導法だと勘違いし(以前の私もそうだった
が)、知らぬ間に答えを覚えることを生徒さんに強要してしまいます。暗記することを
義務づけられた生徒さん達は、覚えられないことに落胆し、自分は囲碁に向いてないと
思うようになるわけです。これは両方にとって不幸な話です。
どうやら囲碁は覚えるのではなく、考えて体験してみると良いようです。そもそも囲碁は
人に教えてもらうものじゃないのかもしれません。と言い切ると、私の仕事がなくなって
しまいますが。それは置いといて、囲碁は自分で考え体験し学んでいく自ら創造する
ゲームだったのです。
いや、ゲームというより芸術に近いもののように思います。形式に拘りいつも同じように
打っていては、それは誰かのコピーにすぎません。そこには「あなた」である理由が
何もない。結果など気にせず、自分の思いのままに打てば良かったのです。
それが正しい学びの姿勢であり、何より囲碁の楽しみ方ではないでしょうか。
それから私は指導方針を改めました。知識に縛られず、自分の思いをしっかり表現すること
を指導しました。その時に、失敗することもありますが、それが学ぶことですよ、と
伝えました。人生で失敗すると取り返しがつかない事もありますが、囲碁なら「もう一局」
と言えば良いわけです。むしろ、失敗しなきゃ損ですよ、くらいに言いました。
すると効果はてきめん、ほとんどの方が上達の扉を自ら開けていくのを実感しました。
広い意味では「悪い手」なんて存在しない。
悪い手もしっかり体験すれば、むしろ素晴らしい手と成り得る。それが私の気づきでした。
思えば子供たちは、自分の思いのままに悪い手もひどい手も躊躇なく打ちます。
そうやって頭ではなく体験的に囲碁を覚えていくので、上達が早いわけです。
大人は失敗を恐れて、知識に囚われがちです。
皆さんももっと自由に、自らの考えで囲碁を打ってみませんか。きっと楽しいですよ。