2017/01/04
囲碁, 長谷俊インストラクター
皆さんこんにちは。
ついに最終章を迎えることになりました。
思えばこれまで長い道のりでした。
旅行に行った時間(24×5)くらいかかっていますよ、この旅行記。
それもまたいい思い出です。
皆さん、今後とも長谷インのグローバル囲碁旅行記をご期待ください。
台湾編その10「成長の証」
旅行4日目、時刻は21時45分。
長谷インはすべての終わりを悟っていた。
そう、最終バスを乗り過ごしてしまったのだ。
「・・・・・・。」
もう体力も尽き、精神力もなく、ただ茫然とするばかり。
無心のまま上へ向かって歩き出す。
(しょうがないから今から旅館に飛びこむか、イートインスペースで夜を明かすか、
Gさん達と仲良く一夜を過ごそうか。)
言葉が通じないのに、どうやって交渉しようか。
かといって外で寝たら、野犬やGの餌食になって死ぬかもしれない。
イートインに入り浸ったら、店員さんに追い払われないだろうか。
そもそも一番の懸念は明日の飛行機の時間です。
明日の16時頃の予定だから、まあ間に合うことは間に合います。
しかし、明日は故宮博物館を見に行こうと思っていたのに・・・。
限界まで追い詰められながらも、まだその意欲を失っていません。
それ以前になぜ上を目指して歩いているのか?
実は50メートル先にもバス停があるのです。
(ダメ元でとりあえず確認しに行こう。)
まあダメでしょうね、それはわかっています。
それでも確かめずにはいられない。
この世にはきっと猫バスが走っていることを・・・!
「うっ・・・。」
「あの光は・・・?」
「まっ、まさか・・・!?」
そう、目の前のカーブから一台のバスがやってきました。
何という僥倖、何という奇跡・・・!
しかし、現実はそう甘くありませんでした。
「あ、行き先が違う・・・。」
そうです。
皆さんお忘れかもしれませんが、台湾では「〇〇(番号)」となっている
バスの行先を見るわけです。
(※旅行記3参照。)
そんな都合よく奇跡は起こりません。
この世には神もトトロも存在しません。
そう悟りつつも諦めきれずに歩いていた、まさにそのとき・・・。
「うっ・・・。」
「あの光は・・・?」
「まっ、まさか・・・!?」
そう、目の前のカーブから一台のバスがやってきました。
何という僥倖、何という奇跡・・・!
そして今度こそ、それは本当の奇跡だったのです。
「あれは、忠孝復興行きのバスじゃないか!」
なりふり構わず、必死に手を上げました。
バスはもうバス停を出発してカーブに差し掛かっているところです。
ただでさえ、バス停で手を上げないと止まってくれないのに、
道の真ん中じゃあ・・・。
プシュー。
ウィーン。
今、奇跡の扉が開きました。
猫バスはあったんだ、トトロはいたんだ!
乗りこみながら必死に悠遊カードをタッチして席に座りました。
運転手さん、ありがとう。
トトロはあなただったんだ!
もうズタボロの身体で、すべての気力は潰えても感謝の気持ちは
自然と溢れてきます。
「まだ、まだ油断できない。」
「ここで寝てしまっては、寝過して元の木阿弥だ・・・!」
ここで寝落ちできないのは結構きついですよ。
まあ、疲れすぎてて眠気もそんなになかったわけですが。
忠孝復興まで九?から一時間半かかります。
無事に帰路に着くことができるかどうか。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「ここか、いやここじゃないのか?」
また今どこなのか、わからなくなりました。
もう思考力はまったく残っていません。
「うう、ここは街だしみんな降りてる。」
「ここは・・・見覚えがない、どうする?!」
「ええい、やあ!」
決意の降車。
はたして長谷インの運命は・・・!?
「・・・・・・。」
「およ?」
「ここは、ゲストハウスの真ん前だ。」
そう、そこはまさにホーム。
懐かしい宿の目の前でした。
4日目の朝、ここを出てからどれくらい時間が経ったのだろう。
丸一日?・・・いや、違う。
おそらく一ヶ月、いやそれ以上かもしれない。
もののけが跋扈する九?の地へ赴いたあげく、辛くも生還することが
できました。
もう初日?4日目まで死ぬほど歩きました。
しかも無駄に。
無駄こそが人生かもしれません。
人生でこれほど不毛な道のりを歩いたことはありません。
しかしこれで良いのです。
馬鹿なんだから。
「これでいいのだ!」
バカボンボン。
さて、最終日5日目になりました。
昨日までとはうって変わり、すがすがしい朝です。
心が晴れ晴れとしています。
最終日は故宮博物館に行って、そこから空港に向かい日本へ帰ります。
昼までは荷物を預けておけるみたいですが、もう帰ってくる意味もないので
そのまま宿を出ます。正直、荷物を置いてくればよかったと後悔しています。
また毎度の如く、帰国直前まで死ぬほど迷うことになりましたから。
故宮博物館については割愛しましょう。
長谷インには芸術、文化を理解する目がなかったようです。
行く途中でまた軽く迷子になったり、バスの運転手のおじさんに助けられたりと
そこら辺は相変わらずでした。
問題は空港までの道のりです。
故宮を見学しているときに、うっかり携帯を落としました。そしたら何と
バグってしまい、本来の表示より5時間10分も早くなってしまったのです。
もう見学しながら通常の表示ではないので、気が気ではありません。
係の人に「What time?」と聞くも、なかなか通じず正確な時間が
わかりません。仕方がないので、余裕を持って博物館を出ました。
しばらくすると「あ、PCの時間を見ればよかった」
なんて初歩的なことに気づく始末。
しかし台湾最後の地獄はまだこれからでした。
まず忠孝復興に戻って、それからバスで空港を目指す予定です。
しかし乗り換えを誤って「南京復興」で降りてしまい、貴重な時間を
ロスしてしまいます。さらに忠孝復興で桃園空港行きのバスを探しますが、
まったく見つかりません。
正直、迷える余地がないほど限られた場所の中で、どうしても見つけることが
できません。ネットで旅行者のブログを調べて、そこに載ってあるチケット
売り場にもバス乗り場にもいつまで経っても辿り着かないのです。
搭乗の時刻は刻一刻と迫っています。
ここで乗り遅れたら、九?に取り残される比ではない大失態です。
もう泣きそうになりながら歩き回り、恥も外聞も捨てて道行く人に桃園行の
バス停を尋ねました。
道行く方々「******?」
そう、英語も中国語も発音が悪くて伝わりません。
皆さん一様にわからないと言うばかりです。
もう本当に間に合わなくなります。
どうしようもないので、旅行代理店っぽいところに駆けこんで店員さんに
最後の望みを託しました。
長谷イン「******」
店員さん「******」
もはや自分が何を言っているのか分かりません。
何とか英語と中国語で、紙を示しながら必死にここに行きたいと伝えました。
そしたら“超”流暢な英語で店員さんが対応してくれます。
流暢すぎて長谷インにはとても聞き取れません。
しばらく待っているように言われ、その後外へ案内してくれました。
ウィーン。(コンビニ)
長谷イン「??????」
店員さん「******」
年配の女性「******」
そう、この女性こそチケット売りのおばちゃんだったのです。
バス停はすぐそこにありました。
もう店員さん(背が高い、イケメン)には感謝の言葉もありません。
本当にお礼を言う前に颯爽と去ってしまったので、また代理店に
駆けこんでお礼を伝えました。
店員さんが対応してくれているときは、ちゃんと伝わったかどうかも
含めていろいろ不安でした。もう本当に追い詰められている日本人旅行者に
対して、まさに神対応をしてくれました。
ここで長谷インのアホさ加減をもう一度確認しておきましょう。
?忠孝復興のバス停を探していたが、もともとゲストハウスがあった場所なので
戻って聞けばよかった。
?ゲストハウスから送られていた帰りの道順(バス停)の書いてある紙を、
プリントアウトしていたことをすっかり忘れていた。
どんだけアホなんだよ、まったくもう。
それにしてもチケット売りのおばちゃんは意外でしたね。
だってバスが来る15分前になったら空港へ向かう人にチケットを売るわけですが、
動くチケット売り場なんて見つけようがありません。
ネットで旅行者のブログを探すだけでは、こういう細かいところまでは分かりません。
(一応載っていましたが、想像との相違が大きかったです。)
やっと空港へ向かうことができます。
時間はもうギリギリです。
また空港でもバタバタして、職員さんに案内してもらい、どうにかこうにか
フライトに間に合いました。
どこかで一歩でも間違えていれば、完全に乗り遅れています。
洒落になりませんよ、まったくもう。
ついに帰国です。
長かった・・・辛かった・・・。
そして楽しかった・・・!
最後に長谷インの成長の証ともいえるエピソードを記しておきましょう。
(機内にて)
CAさん「牛肉のごはんと豚肉のごはんどちらになさいますか?」
長谷イン「!!?」
そう、「ビーフorチキン?」ではなく「ビーフorブタ?」です。
つまり臆病者=チキンの選択肢がなくなっていたわけです。
初日の機内食では「チキンorブタ?」の二択でした。
しかし、長谷インはまだ勇敢なビーフではありません。
そう思った、まさにそのとき・・・。
CAさん「豚肉のごはんにはえび春巻きが付いています。」
長谷イン「!!!!!!」
そうです。何も持たない役なしの「ブタ」であった長谷インへの選択肢は、
確かに広がっていました。
勇敢なビーフなのか、それとも昇龍(えび)を携えたブタなのか?!
長谷インの選択は・・・。
長谷イン「えび春巻き付きのブタです。」
これにて台湾旅行は終わりです。
長谷インはまだ勇敢なビーフではありません。
されど何も持たないブタでも、ましてや何もできない臆病者(チキン)でも
ありません。
昇龍のごとき「えび」を携え、天にも昇るブタになります。
グローバル囲碁旅行記 ー台湾全編ー “完”
長谷インの今後にご期待ください。
「こぼれ話」
帰国するのに必死だったため、桃園空港で両替するのをすっかり忘れていました。
日本で両替して3000円幾らか損することに・・・。
そもそも宿泊代、食事代、席料、交通費で1万そこそこしか使っていません。
飛行機代も往復2万7千円って、どんな旅だよ、まったくもう。
(おしまい)
2016/03/26
囲碁, 長谷俊インストラクター
皆さんこんにちは。
最近、独学で気について学んでいる長谷インです。
アルファ碁が囲碁の未知を解明するのなら、別のアプローチで囲碁の可能性を広げようじゃないかと思う次第です。コンピューターに理論で対抗しても仕方ないですから、第六感を引き出して囲碁の感覚的な視野をさらに広げていきたいと思っています。
(本音はヒグマと戦う準備です。)
〜前回のあらすじ〜
勝負の3日目をようやく乗り越えることができた長谷イン。
予定では3日目までにサクサクっと取材を終わらせて、4日目からは観光するつもり
でした。今回の取材目的には「とある場所」も含まれているので、まだまだ囲碁取材
には時間が掛かりそうです。
台湾編その9「切腹できない侍」
4日目の朝を迎えました。
台湾に来てこれまで、一度として清々しい朝を迎えたことはありません。
前の晩はひたすら翻訳作業に明け暮れていました。
というのも、囲碁取材は個人的にはもうお腹いっぱいなんですね。
何のためかというと、昨日の名人児童棋院へのお礼文をしたためていたわけです。
もちろん海峰棋院にもお世話になりましたが、女の子が可愛かった、もとい皆さんに
すごく良くしてもらいましたから。
(この日は木曜日で、海峰棋院での手合い日だったこともあります。)
とにかくお礼だけはしておこう、そんな気持ちでいっぱいでした。
で、恒例の翻訳タイムですよ。
おそらく7、8時間はかかっていたと思います。
旅行先でそんなことしているアホは前代未聞です。
しかしこういうことは前もって準備できないわけで、端からスマートに旅行しようとも思っていません。
過密スケジュールで観光スポットを巡り、各地の名産を食べて回る。
そんなことより、そのとき必要なことを熱心に取り組むほうが性に合っています。
(ある意味、過密になっていますが。)
今回は今までとは違い、翻訳には特別な工夫がしてあります。
ふふふ、何だと思いますか?
なんと繁体字、日本語、英語の三か国語でお礼文を作りました。
いやー、我ながらナイスアイディアですよ。
昨日お話して思ったのは、翻訳機がそれほど役に立たないことです。
つまり正確にこちらの意図を伝えるのは難しいと言わざるを得ません。
ならば、3つのアプローチでこちらの想いを伝えるほかありません。
謝さんと大学生の女の子は日本語が分かりますし、英語は日本よりも台湾のほうが
習得率も高く流暢に話しています。そして簡単な文章にまとめてしまえば、
こちらの気持ちがストレートに伝わるはずです。
分かりやすい文章とそれぞれの整合性を求めた挙句が、7、8時間の対価
だったわけです。まあ、すこぶる寝不足ですが、やり切った感はありますね。
あとはノートにちゃんと清書すれば完璧です。
(このあとノートを買うため文房具店を探すのにまた一苦労)
ただ今回の囲碁取材の目的はまだ完遂していません。
この機に台湾の囲碁教室のとある秘密を調べてくるように密命を受けています。
それは「対局をさせずに囲碁を教えるという取組み」への取材です。
それをビジネスにしていく動きがあり、すでに中国棋院が権利を買い取っている
という噂です。
“そんな大事な情報を聞き出せるわけないでしょ”と思ってましたが、
密命を受けたので渋々調べに行きました。
事前の席亭からの台湾プチ情報では、「応昌期基金」(財団法人応昌期囲棋教育基金会)
にその秘密があるらしいのです。
さっそく未知の指導法を取材に「応昌期基金」へ!
って、長谷インともあろうアホが簡単に目的地へ着くはずないでしょ?
迷いましたよ、ここでも散々。
一応断っておかないと、文章ではサクサク着きましたって錯覚しますからね。
もはやデフォ(当たり前)ですから、ここら辺の心理状態は割愛します。
さてさて、着きましたよ、どうにかこうにか。
受付には年配のおばさんが一人でいました。
例によって挨拶文を渡しましたが、もう一つ心強い武器を持っていました。
それは海峰棋院でお世話になった楊さんの名刺です。
応昌期基金へ行きたい旨を伝えたら、名刺を見せれば大丈夫だからと言ってくれました。
受付の女性がおそらく応昌期基金の楊さん(同性)だろうと思い、名刺を挨拶文と
一緒に渡しました。
しかし、まあ見た感じ営業している様子ではありません。
今日は休みかな、と思いながらいろいろと聞いてみました。
ちなみに応昌期基金の楊さんは日本語がまったく喋れません。
それでもさすがに場数を踏んできた長谷インは自信を持ってやり取りをします。
こういうとき、無駄とも思える翻訳作業が役に立ってくるわけです。
しっかり喋ってキーワードだけ伝われば、ちゃんと意思疎通ができます。
カレンダーを指して週6日で営業していて、日曜日が休みという旨を聞き取ることが
できました。とはいっても、今日は木曜日のお昼どきなのに受付の女性しかいません。
ここら辺のやり取りはかみ合わなかったのですが、今考えると午後からの営業だったのかもしれません。日本でも碁会所の営業時間は午後から始まるところが多いですからね。
しかし疑問に思ったことをいろいろ積極的に聞けるようになったことは大きな成長です。
だって日本語がまったく通じないんですよ、どうやって話していたのかは
覚えていませんが。
海峰棋院の楊さんへ電話もしてくれましたが、出かけていたのか繋がりませんでした。
仕方がないので施設の見学だけでもしていこうと思い、「参観」したい旨を伝えて
いろいろ見て回りました。写真を撮りたいので「ピクチャーOK?」と言うと、
OKサインをしてくれました。最初からこれくらいのノリで行けば良かったんですね。
英語の発音が悪くても何をしたいのかをしっかり示せば、伝わるものですね。
「対局をさせずに囲碁を教えるという取組み」=碁盤と碁石を使わずに教える仕組み
について不可思議でしたが、そこの施設は少し変わっていたので“もしかしたら”
という手応えはありました。
まず、碁盤と碁石を完全に机の中にしまうことができます。
机といっても、ものすごく広い会場に縦に連なった机があって、その中に碁盤と碁石が
収納されています。
碁盤が出ているところはせり上がっていて、碁石も左右にガシャガシャやると
せり上がってきます。
文章じゃとても説明できるものではありません。
それとは別の一室には碁笥が半分机に埋まっています。
これも説明しづらいのですが、基本的に碁笥には蓋がないのでこういう独特なことが
できるんだろうなぁという感想です。
※中国ルールのため、アゲハマは相手の碁笥に戻す。海峰棋院には蓋がある。
未知の道具に心躍らせながら、碁盤と碁石を使わない指導法への想像も膨らみます。
“碁盤と碁石を完全に机の中に収納できるんだから、上でプリントでもやるのかな。”
“けど、中国棋院が採用した画期的な方法だって噂だしなぁ”
残念なことに受付の楊さん一人だけなので、詳しくお話を伺うことはできませんでした。
誰もいない(ように見えた)ので、写真を数枚パシャパシャ撮っていると、PCで事務作業をしているおじさんがいつの間にかこちらを見ていました。
どうも不意打ちを喰らうと「你好」とか「ソーリー」といった基本的な対応ができなくなります。奥のほうがやけに薄暗かったので、本当に営業しているのかなって最後まで疑問に思ってました。
※伏線として海峰棋院の楊さんから、向こうはだいぶ寂れてきていると聞いていたため。
ちなみに某プロ棋士のブログで、その「対局させずに」「碁盤と碁石を使わずに」教える囲碁入門の一端が載っていました。今度また台湾へ行く際には、ぜひヒントを掴みたいと思います。
さて、応昌期基金への取材はこれくらいです。
結局、施設の見学だけしかできませんでした。
このあと名人児童棋院の前に、もう一か所「中華棋院」へ向かいます。
ここは碁会所と子供教室を両立させているところです。
ここに至るまで、やはり道に迷って時間を無駄に使ったため、ここの取材はサクサクっと終わらせます。何といっても碁会所ですからね、席料を払えば問題ありません。
やはりアマ六段を名乗るとそれ相応の人が打ってくれます。
碁会所としてはそれほど大きくありませんが、層の厚さはさすが台湾です。
ゴリゴリの力碁のおじさんを負かしたのはよかったのですが、問題はこの後です。
見た目小学5、6年生くらいの子と対戦しました。
院生でも学習生でもないとはいえ、碁の内容は驚くほど大人びた落ち着いたものでした。
ここにきて、長谷インの体力がそろそろ限界を迎えます。
何と有ろう事か、勝負所で「ハガシ」をしてしまいました。
もう、この4日間散々歩き回って、WiFiの電波を探して、夜は翻訳作業に
明け暮れていたわけです。正直、意識がもうろうとしていました。
打って指が離れた瞬間、嫌な筋が見えて反射的に石を打ち変えてしまいました。
まだそこで投げればよかったのですが、「ハガシで負けました」というニュアンス
のことを伝えるのが難しかったのです。小さな声で「ソーリー」と言いましたが、
もはや声になっていませんでした。
ここから先は語るに及ばず、もう内容はボロボロです。
しかも最低なことに投げるタイミングを逸して、投げ碁を結構打ってしまいました。
小学生相手に反則をしたあげく、ソーリーも声が小さいし、碁の内容はボロボロだし、
もう散々です。
日本人としてその場で切腹するのが礼儀ですが、空港には刃物は持ちこめませんし、
切腹すれば現代ではただのクレイジー野郎です。
泣く泣く、恥をさらしながら最後は投了しました。
この時点で相当疲れているのは察してください。
特に「モナリザ」のような姿勢を指導している身としては、ハガシをする余地など
ありません。疲れているときほど姿勢を崩しやすいため、最上級に疲れていたと
言い訳するほかありません。
2局終えて、子供教室のほうを撮影させてもらいました。
碁会所の中にもう一つ部屋があって、そこで子供たちが学んでいます。
デパートの託児所のようなイメージです。
一応「日本語しゃべれる方はいますか?」と聞きましたが、自分の英語力のなさも
大概ですね。
「I’m JAPANESE.」
「japanese language?」(ジェスチャーしながら)
「わたしは日本人です。」
「日本語?」(喋るジェスチャー)、周りを指す。
おばちゃん「???」
まあ、そうでしょうね。
発音も伝わりづらいでしょうし、もう少し文章何とかならんものですかね。
ずっとこんな感じでした。
「私は日本人」
「うんうん、分かってる。」
「日本語・・・しゃべれる方はいますか?」(と言いたい)
「???」
また恥ずかしがりの癖が出てしまい、「speak 」なんて単語をあまり使いたくないんですよね。ちゃんと伝わるのか不安ですから。
やっと伝わりましたが、やはり日本語を話せる方はいませんでした。
取材となると、やはり日本語でのやり取りが不可欠です。
中華棋院で一つ思ったことは、おじさんたちの対局マナーが相変わらずよくないことです。碁会所単体ならそれでも構いませんが、あまり子供たちの教育には良くないんじゃないかなと思ったり。
帰り際にエレベーターに乗ろうとすると、何やら先ほどのおばちゃんがこちらにきて、壁の写真を指差していました。
おばちゃん「******」
長谷イン「???」
長谷イン(子供の写真だけど、さっきの子とは違うしな・・・。)
おばちゃん「******」
長谷イン「・・・・・・、あっ!」
そうです、その写真は日本の囲碁ファンなら誰もがよく知っている顔でした。
それは子供の頃の張羽先生です。
面影がバッチリ残っていましたね。
他の子どもの写真もあったのですぐには分かりませんでした。
もう帰ろうとしている自分に一生懸命伝えようとしてくれたのは本当に有り難いことです。台湾では何かと助けられているので、自分も見習わないといけませんね。
中華棋院をあとにする頃にはもう夕方になっていました。
4日目の間にどうしても「九份」に行きたかったので、もう残り時間はありません。
これから名人児童棋院にお礼文を渡しに行って、台湾棋院を覗いて行こうかなという具合です。
(名人児童棋院にて)
謝さん「おお、ナガタニさん。」
長谷イン「先日はお世話になりました。」
謝さん「どうぞ、中へ。」
長谷イン「いえいえ、今日は手紙だけ渡しにきました。」
三か国語の手紙を渡す。
さすがにびっくりしていましたね、繁体字と日本語と英語でお礼の旨と連絡先が書いてあります。大学生の女の子がいなかったので、ラインのIDをその子に渡してもらうようお願いしました。他意はありません、あくまでも日台友好です。
その足で向かいの3軒隣にある台湾棋院へ行きました。
エレベーターを昇ったら入り口に何やら数人いて、ただならぬ空気で座っていました。
(これはまずいな・・・。)と思いながらも、ダメ元で挨拶文を手渡すとやはり断られましたね。おそらくもう閉める時間だったのか、中で大事な手合いでも打っている雰囲気でした。
本来ならここが一番の目的地だったはずですが、今回ばかりは致し方ありません。
また次回への課題にして、リベンジしたいと思います。
さあ、いよいよ囲碁取材もそのすべてを終えることができました。
今回は5か所回って、取材できたのは実質2か所だけです。
時間を有効に使うことができなかった反省も含めて、初めての海外旅行(一人旅)にしてはまずまずの成果と言えるでしょう。
ここから時系列は「台湾編その5」に戻ります。
はたして長谷インの運命は!?
そして次回はついに完結します。
(最終回「成長の証」へつづく。)
2016/03/19
囲碁, 長谷俊インストラクター
皆さんこんにちは。
囲碁に無限の可能性を感じている長谷インです。
アルファ碁vs李世ドルの対決はついに決着がつきました。
最後まで人類の最高峰としてAI(人工知能)に真っ向勝負を挑んだ李世ドルは
偉大な棋士です。今後はAIを利用して人類がどれだけ高みに近づけるのか、
それともAIが神様になってしまうのか、まだまだ目が離せません。
〜前回のあらすじ〜
やっとの思いで囲碁取材をすることができた長谷イン。
99パーセントのご厚意と1パーセントの勇気で無事に難関を乗り切りました。
この先にはまだどんな壁が待ち受けているのでしょうか!?
台湾編その8 「正直、可愛かった」
海峰棋院を後にした長谷インのテンションはすこぶる快調であった。
ルンルルン♪ルルンルルン♪
初めてまともに人と会話できたので、それはもう気分爽快ですよ。
このままのテンションでいざ台湾棋院へ、Go!
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「うっ、また道が分からなくなった。」
そうなんです、またなんです。
誠にアホで申し訳ありませんが、丸い交差点に差し掛かり、またどの方向から
来たのか分からなくなりました。本当ならまっすぐ前に進めば、誰でも駅に着く
はずなんですよ。それがデカくて丸い交差点なもんだから、ルンルン気分で
歩いていたらいつの間にか方向感覚を失いました。
“どこまでアホなんだよ、学習しろよ。”
今どきAI(人工知能)だって学習しているのに、まったくもう原人レベルで
学習能力がありません。またこの後も不毛なウロウロ状態が続くわけです。
こちとら時間がないし、暑いし、疲労がたまって死にそうです。
吉野屋、海峰棋院でだいぶ回復したとはいえ、それはあくまでも気力の充実
であって、体には確実に連日のダメージが蓄積されています。
台湾での行動といえば、「迷子」「検索」「翻訳」のほぼこの三つだけですからね。
碁会所で打ったり、棋院で取材している時間はこれらに比べると致命的に短いわけです。
ヘトヘトに歩きながら、コンビニを見つけては飲み物を買って、また位置検索を
しながら電柱の住所と照らし合わせての繰り返しです。
今思うとすごいですね。
よく迷子になれるし、深みに嵌まるし。何度も言うように、台北市内の道はタテ、ヨコ
で非常に分かりやすい造りになっています。そう、迷う道理がないからこそ
迷ってしまう。一人で何とかできそうだからこそ、諦めが悪くなり、かえって状況が
悪化しています。
もうここの記憶は定かではありません。
どうやってこの無限地獄を抜けだしたのか・・・?
旅行期間中はほぼこのジレンマの繰り返しで、さすがに覚えていません。
というより、適当に歩き回っていてもどこかの駅にぶつかるはずです。
(それでもここでまた2時間くらいは歩き回っていました。)
どうにか駅に着き、そこから台湾棋院の最寄り駅まで移動します。
地下鉄は簡単ですね、だって方向間違っても一駅のロスで済むんですから。
でも最寄り駅からまたもや迷いました、もう何回目だよ、何なんだよ。
昨日来たばかりなのですが、そもそも出口を変えると方向性が分からなくなります。
確か降りた駅も若干近い方に変更していました。余計なこと(ショートカット)を
しようとして、全然時間短縮になっていないところが“長谷インクオリティ☆”です。
さて、何だかんだ(どうにかこうにか)着きました。
もう運動部の合宿か、ってくらい歩き回っています。
不本意ですけど。
さて、着きました。着きましたよ。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「行くか・・・、行かざるか・・・。」
いやいや、ここまで来て行かない選択肢はありません。
ここは行く一手です、行ってから考えるべきところです。
しかし囲碁では目を瞑って切るところも、現実ではそう易々とはいきません。
「行って死ぬのなら、それは本望だ。」
「ただ生き恥を晒した上に、おめおめ生還でもしたらどうする!?」
「行くか・・・、行かざるか・・・。」
そう、これは己との自問自答です。すべての答えを心の内に秘めているはずです。
自らに問い、導き出した答えとは・・・!?
“行こう、たとえ生き恥を晒して生還したとしても。”
大いなる決断の元に、今まさに勇気の一歩を踏み出します。
越えられなかった昨日までの壁を今、越えるために。
「・・・・・・。」
「ん・・・?」
「あ、扉が開いてる。」
そう、昨日までと一転して扉が開いていました。
雑居ビル5階のフロアにある二つの部屋の扉が両方開いていました。
その向こうにはさらにガラス戸があります。
「よし、これなら行ける、行けるぞ!」
「いや・・・、え?!」
「何か物凄く黄色い・・・。」
そうです、左の部屋は事務室的なことがすぐに分かりましたが、右の部屋は一面
黄色い壁紙に覆われています。恐る恐る、ガラス戸を開けて中を覗いてみました。
中の2人「!?」
長谷イン「に・・・你好。」(小声)
女の子「日本人ですか!」
長谷イン「!?」
不意を突かれてびっくりしました。
ひと目で日本人だと分かったらしく、日本語で話しかけてくれました。
※ここで得意の挨拶文を手渡す。
おじさん「どうぞ、中のほうへ。」
この方は謝さんといって、ここの責任者の方でした。
日本語は習得率5割くらいで、難しい話はできませんがコミュニケーションが
取れるレベルです。いきなりの訪問でびっくりされていましたが、何とか取材したい旨
を伝えることができました。
長谷イン「突然のことで申し訳ありませんが、ぜひ台湾棋院を見学させてください。」
謝さん「台湾棋院ならここから3軒先の向かいにあります。」
長谷イン「!?!?」
そう、そうなんです。
実はここは「名人児童棋院」という子供教室だったのです。
謝さんが窓際から台湾棋院の位置を示してくれましたが、
そこはすぐ向かいにありました。
どうしてこのような勘違いをしてしまったのでしょうか?
間抜けといえば、大いに間抜けな話です。事前に台湾棋院の場所を調べるときに、
「某知恵袋」の回答を参考にしてしまったのです。
しかもそれは、「台湾棋院」と打ってウェブ検索したものですが、その回答には
一言も台湾棋院とは記されていません。要するにネット情報をよく見ずに
鵜呑みにして、盛大な勘違いをしてしまったのです。
さて、どうします?皆さんなら。
子供教室を訪ねて、「台湾棋院を取材させてください。」と挨拶文にも記載して、
口頭でもはっきりと言ってしまいました。
しかも親切に場所を教えてくれて、さてどうしたものか、といった状況です。
「・・・・・・。」
「あの、ここも見学して行きたいのですがよろしいでしょうか?」
はい、成長しましたよ、図々しくも。
やはり日本語でコミュニケーションが取れるうえに、乗りかけた船ですからこの機を
逃す手はありません。海峰棋院の楊さんほど日本語は達者ではありませんが、
コミュニケーションが十分に取れるのは本当に有り難いです。
というか、嬉しくてここまで割とハイテンションで捲し立ててしまっているんですよ。
もともと喋るほうですから、通じるとなると鬱陶しいくらい自分の話をしてしまいます。
そんな状況で「勘違いでした、失礼します。」なんて言いたくはありません。
相手のご厚意に甘えて、Let’s取材開始です!
「名人子供教室」
・170人の生徒を抱える囲碁塾。
・将来のプロ棋士を育成している海峰棋院、台湾棋院とは違い、学習塾である。
・数名のプロ棋士とアマチュア棋士が指導に当たっている。
・30級〜7段までの段級位があり、アマチュア講師は5〜7段である。
(7段の講師は27歳)
・分院といって、300人、200人、170人(※古亭)、150人規模の同じ
教室が台湾に14か所ある。
・台湾の有名な囲碁教室は「名人子供教室」と「中華棋院」(分院4つ)、
「長清教室」(分院4つ)である。
(ほかにも囲碁 教室はある。)
・台湾では14年前に比べると子供の囲碁人口が衰退している。
(囲碁は難しくスポーツのほうが人気がある。)
・14年前はちょうど「棋霊王」(ヒカルの碁)が台湾でも流行った時期である。
・名人子供教室は囲碁人口と反比例して生徒数を増やしている。
(新たに分院したところでは300人の生徒を抱えている。)
・古亭の名人教室は碁盤が12面の二部屋で、ほぼ毎日午前、午後で子供たちが
出入りしている。
・内装は真っ黄色。
・受付はアルバイトの子が2人いる。(20歳の大学生と30歳の社会人)
・謝さんは24歳で囲碁を始めて、現在はアマ6段。
※古亭とは今取材している名人児童棋院のこと。(本院)
いろいろとお話を聞くことができました。
しかし、やはり詳しく聞こうとすると謝さんがうまく表現できない単語が出てくる
ようです。そこでまたしても図々しく、携帯をWiFiに繋いでもらいました。
パスワードを教えてもらったので、部屋の中でネットが繋がる状態です。
晴れてオンラインでの音声翻訳(※ほんやくコンニャク)を使えることになり、
さらにテンションが上がります。とはいえ、まだまだ文明の利器は想像を超えるほど
万能ではありません。特に敬語を多用すると、変換がおかしくなります。
また、一般的な会話のできる謝さんと(日本語が分かる)大学生の女の子の前で、
日本語を音声入力するのはこっぱずかしいものがあります。
(※ドラえもんの道具)
大学生の女の子は元気よく発音も良かったので、だいぶ好印象でした。
おそらく学校で習ったであろうテキスト的な受け答えが主でしたが、わかる範囲で
うまく喋っていたのですごく日本語が上手に感じました。
(コミュニケーション能力が高い)
最初、だいぶ若く見えたので(この子小学生か?)と思わず聞いてしまいました。
音声翻訳で「彼女は歳いくつですか?」と聞いたら、細かいニュアンスが伝わらずに、
お互いに顔を見合わせて「?」となる。
翻訳機「******」(歳いくつですか?と聞いたつもり)
女の子「何を言っているのか分からない・・・。」(困惑顔)
長谷イン(しまった。失礼なことを聞いてしまった。)
謝さん「20歳で大学に通ってます。」
長谷イン「そうでしたか。小学生かと思ったもので・・・。」
初めは全然伝わらずに困惑していましたが、どうも音声翻訳の訳し方がまずかった
ようです。それ以前に女の子の歳聞いて、あげく小学生に見えたとか無礼の上塗りを
する始末。当の本人は笑顔で「嬉しい・・・とびっくり!」と言ってくれていたので、
救われました。
もう、二人ともすごく笑顔で対応してくれたので、楽しい時間が過ごせました。
優しくされるとまた無礼な発言が出てしまうのは、長谷インの悪いくせです。
長谷イン「あなたは囲碁をどれくらい打てますか?」
女の子「うーん、ルールが分かるくらい。ここでは2〜30級くらい。」
長谷イン「囲碁教室で働いているのは何のためですか?」
女の子「えー、お金のため。あと子供好きだから。」
もう、こちらのアホな質問にも正直に答えてもらいました。
ちなみに昨日勇気がなくて入れませんでした、って言ったら二人とも笑っていましたね。
よくよく考えたら、扉が閉まっていたので休みだったのかもしれません。
この日はもう夕方になっていたので、残っていたのは謝さんと受付の子2人だけでした。
アマ5段のインストラクターの男性があとで来ましたが、爽やかで
カッコ良かったですね。ここのスタッフは全員すごく人当たりが良かったです。
最後に一緒に写真を撮ってくれて、いい記念になりました。
拙い中国語で「再见。」(さようなら)と挨拶して、名人子供教室をあとにしました。
「ありがとうございました。」
「バイバイ!」(手を振る)
女の子がお辞儀して手を振ってくれたので、コミュ障なりに笑顔でバイバイしました。
謝さんもすごく一生懸命日本語で対応してくれたし、女の子も明るいしすごく良い
雰囲気の教室でした。
長谷イン「また台湾に来たら寄ってもいいですか?」
女の子「もちろん!」
よし、またいつか来よう。
三日目はこの後、士林駅近くの夜市に行きました。
ここでもいろいろ書くネタありますが、これくらいにしておきます。
また「翻訳、迷子、ご飯」の3拍子ですからね。(結局ほとんど食べれませんでした。)
そうそう、台湾棋院にも寄りましたが、もう時刻が遅かったので閉まっていました。
4日目、明日はもう一つの棋院と共に台湾棋院へ最後のリベンジになります。
(明日へとつづく)
2016/03/09
囲碁, 長谷俊インストラクター
皆さんこんにちは。
“プラシーボ効果”絶大の長谷インです。
正露丸を飲んだ途端に腹痛が治まったとか、栄養ドリンク飲んだら体が軽くなったとか、
とかく影響を受けやすい脳ミソです。疑って効果がないより、信じて効くほうが良いですからね。
そんなわけで、そろそろ気功の勉強でもしてヒグマを倒しに行こうかという今日この頃です。
〜前回までのあらすじ〜
旅行先で何時間も翻訳作業に明け暮れる長谷イン。
「いざ出陣!」するも案の定、また迷子になる羽目に。
すんでのところで吉野屋に命を救われ再度、海峰棋院を目指し前へ。
はたして長谷インはたった一人で囲碁取材をやりきることができるのだろうか。
そしてこの旅行記はいつになったら完結することができるのだろうか!?
台湾編その7 「いよいよ囲碁取材へ」
吉野屋を後にした長谷インの体力ゲージはフル充填されていた。
そして目的地「海峰棋院」へ無事に着くことができた。
(いよいよ着いてしまったか・・・。)
実際に着くとすごく緊張しますよ。
もしかしたら潜在的に行くのが嫌で迷子になっていたのでは、というくらいに。
皆さんには申し訳ありませんが、ここから割と普通なので淡々と短くまとめていきます。
ポーン。(エレベーターの音)
ビルの6階、右手に見えるガラス戸の向こうに受付がある。
長谷イン(・・・くっ、予想外のガラス張り。こちらの動きが丸見えだ。)
受付の人「・・・・・・?」
ササッ。(死角に隠れる)
5分後。
心の声(どうする・・・。どういうテンションで行けばいい?)
心の声(ええい、もうここまで来たら!)
スタスタスタ。(扉の前まで歩み寄る)
ガラス戸「・・・・・・。」
長谷イン(しまったぁあ!オートロックだぁあ!!)
そう、オートロックでした。
その瞬間すべてを悟りました、“終わった”と。
“グローバル囲碁旅行記〜台湾囲碁取材編〜 完。”
長谷イン「くっ・・・。ここまでか。」
トットットッ。(女の子が駆け寄る)
ウィーン。(ガラス戸が開く)
長谷イン「うっ、これは・・・。」
まさかのアシストで中に入ることができました。
最後の勇気を振り絞って受付の女性に声をかけます。
「に・・・你好。」(小声)
そして挨拶文を手渡します。
受付の方は何やら困った様子で奥のほうへ。
「後はもうどうにでも、なるようになれ。」ってな気分ですよ。(ハタ迷惑)
もちろん門前払いされてもしょうがないですし、そのほうが気が楽です。
入り口付近には3人くらい子供がいましたが、お昼時なこともあって中から
わらわら集まってきました。
長谷イン(くっ・・・。子供たちに囲まれてしまった。)
(何だその物珍しそうな目は・・・。)
(はっ、よく考えたらこの子達全員院生じゃないのか。)
そうです。棋院に行って子供がいたらそりゃ院生ですよ。
戦闘力(棋力)でいったら長谷インをはるかに凌駕する実力のはずです。
そんな不思議そうな目で見られても・・・。
そもそも不審な人物(日本人)が突然訪ねてきたら、そういうリアクションに
なるのかもしれません。
当の長谷インは挨拶文を持って、ただただ棒立ち状態です。
まさに針の筵、オオカミに囲まれた赤ずきんちゃんの気分です。
ちなみに子供たちと言っても、おそらく中高生くらいの年代です。
台湾の子たちは見た目が特に若いですね。
思い切って声をかければ良かったのですが、そんな余裕はありませんでした。
そうこうしているうちに、裏では職員の方達がバタバタしていました。
改めて挨拶文をマジマジ見られているのが、今思うと死ぬほど恥ずかしいです。
結局「そこでちょっと待ってて」という感じだったので、しばらく待機していました。
程なくすると、何と日本語を話せる方が現れました。
ご多忙の中、イレギュラーな旅行者のためにわざわざ来てくれたみたいです。
日本語の習得率は7割程度といったところでしょうか。
細かい単語は分からなくても日常会話に支障のないレベルです。
今まで「あ、あう。うう。」とかどこのオオカミ少女だよ、って感じの長谷インでした。
しかし、この旅行で初めてまともに会話できる機会に恵まれました。
もうね、物凄く親切にいろいろと案内してくれたり、質問に答えてくれました。
奥にいるお昼休みの子供たちを紹介してくれて、一局打つ機会も設けていただきました。
長谷イン「・・・・・・?」
長谷イン「あの、この子達は院生ですか?」
楊さん「この子たちは学習生と言って、台湾棋院の院生とはまた違います。」
長谷イン(あれ、この子たちどう見ても小学生だよな。)
長谷イン「向こうの部屋の若い子たちは今何をやっているんですか?」
楊さん「今日は台湾ナショナルチームの集まりです。皆プロ棋士です。」
長谷イン「!!!!!!」
そうなんですよ。最初にわらわら集まってきた子たちは全員がプロ棋士だったのです。
長谷イン「今日は大人の棋士の方はいませんか?」
楊さん「うーん、今日はナショナルチームの集まりだから、若い子たちだけです。」
要するに向こうじゃ10代の子たちが世界で活躍する精鋭ということです。
大人じゃ通用しないでしょ、くらいの感じでしたからね。
楊さん「こちらがナショナルチームの監督、周俊勲です。」
長谷イン「あ、あ、どうも。你好。」(小声)
皆さんは周俊勲をご存知でしょうか?
世界タイトルを取ったこともある台湾のプロ棋士です。
台湾の囲碁ファンなら知っていて当然の存在です。
しかし自分が微動だにせず固まっていたので、楊さんが顔のことなど慌てて
説明してくれました。(※)
※周俊勲の顔には特徴的な痣がある。
いや、ちゃんと知ってましたよ。
知ってましたが、海外のプロ棋士はやはり顔よりも名前で覚えていることが多いです。
顔を見たときに「あっ、この方は・・・。」と思いましたが、名前を聞いてやっと
世界チャンピオンだと分かりました。
(実際に著名な方を前にすると、ミーハーなリアクションを取れないものです。)
プロ棋士が集まって打っているところの見学はさすがに遠慮しました。
後は施設を一通り説明してもらって、奥の部屋でいろいろとお話を伺いました。
以下箇条書きにします。
・海峰棋院は財団法人で国内でのプロ棋戦を運営している。
・台湾主催の国際戦は、台湾棋院が取り仕切っている。
・各棋戦の優勝賞金は次の通り。
棋王戦100万元(400万円)、天元戦80万元(320万)、
王座戦40万元(160万)、海峰杯60万元(240万)
・5、60代の棋士もいる。
・海峰棋院では「学習生」というプロの卵がいる。(台湾棋院の院生とは別)
・台湾棋院がプロの免状を発行しており、海峰棋院には権限がない。
・院生は半年ごとに入れ替わり、18歳まで在籍できる。
・院生のプロ制限年齢は18歳まで、社会人は21〜2歳
・学習生は週5日海峰棋院に通っており、昼間は囲碁を打って夜に勉強している。
・学習生の制度は一昨年立ち上がったばかりでまだ2年目。
・院生は土日台湾棋院に通う。
・学習生+院生は合わせて週7日、棋院に通う。
・学習生は義務教育課程でも学校に通わない。
・棋院が学力をチェックして学校に申請すれば卒業証書がもらえる。
・この制度は囲碁に限ったものではなく、ほかの専門分野でも認められている。
・台湾では中学、高校に囲碁のクラスがある。一般的な勉強も行われている。
・60人規模の囲碁クラスがある高校もある。
・台湾は少子化で一時期よりも囲碁人口が下降気味である。
皆さんどうでしょうか。
びっくりしますよね、タイトル戦の優勝賞金が日本の10分の1ですよ。
自分が台湾に行った限りでは、物価は日本とそう変わりません。
やはりトーナメントプロ一本で生活するのは厳しいと仰ってました。
それからプロ組織は台湾棋院と海峰棋院の二つですが、台湾棋院のほうが何かと
権限が強いようです。プロの段位免状の発行から国際棋戦の開催まで、要するに
台湾棋院が日本棋院に匹敵する役割です。
あとは「学習生」です。
台湾棋院の院生とは別に海峰棋院でプロを目指している子たちですが、プロを目指すため
院生にもなります。何せ、台湾棋院がプロの免状を発行しているわけですから。
週7日、毎日棋院に通っているみたいです。(学習生5日、院生2日)
学習生の事情を知り、“不遇でも、必死に頑張っているな”と思いました。
だってプロになっても生活が苦しいのに、その上プロになるのも狭き門です。
義務教育そっちのけで囲碁ばかり打って、落ちた子はどうするんだよって話ですよ。
(それでも、昼休みにゲーム機で遊んでる姿はまさしくただの小学生でした。)
そして、向こうの囲碁界の事情は日本とあまり変わらないのにも驚きました。
一つ目は「少子化」です。
単純に子供の数が減ったのと、ほかの人気競技に比べて囲碁に憧れる子はいないと。
囲碁が流行ったのは14年前の「棋霊王」(ヒカルの碁)の頃で、そのときから囲碁人口は
下降線を辿っているとのことです。
「それって日本と同じじゃん!」
台湾でもヒカルの碁が流行って、ブームが去るとどんどん廃れていったようです。
まあ、なかなか「囲碁打つ人カッコいい、素敵!」とはなりませんからね。
しかも2日目に行った棋聖模範棋院(碁会所)は場末の雀荘のようでしたから。
二つ目は「人気の女性棋士」がいるということです。
プロ棋戦のトーナメント表を見せてもらい、そのとき女性で準々決勝まで勝ち上がっている
棋士がいました。
楊さん「黒嘉嘉(ヘイ、ジャアジャア)って知ってるでしょ?」
すいません、知りませんでした。その方は日本でいうと吉原由香里プロに当たります。
美人で実力もある人気棋士です。
台湾の棋院を訪ねるくらいなら、当然知ってるでしょ?ってレベルですが、
まったく予備知識がありませんでした。帰って検索したら、なるほど可愛いですね。
やはり容姿に実力が伴うと、人気が出るのはどこも同じですね。
今後、院生(学習生)の子たちが毎日勉強し続ければ、日本のみならず、あるいは中韓に
追いつくのではないか。そんなことを聞いたら、
楊さん「いやいや、国際戦ではまだ全然ダメだから。」だそうです。
そもそも運営するのに資金が足りないような話をしていたので、現実は厳しいなと
痛感しました。
そんなこんなで、お昼休みの学習生の子と対戦することになりました。
楊さんは多忙のため出掛けてしまいましたが、碁盤を挟めば日本も台湾も関係ありません。
言葉が通じなくても、石で会話をするまでです。
楊さんには、最初の手合いと時間設定だけお願いしました。
長谷イン「日本ではアマ六段で打っています。」
楊さん「この子がアマ七段くらいかな。」
ということで、秒読み20秒3回、互先での対局です。
アマ六段なのに、こちらが握ろうとしたらその子はキョトンとしていましたね。
細かいやり取りはできないので、目の前にあった白石を握って始めました。
内容は学習生の子がだいぶ粗削りな打ち方でした。
序盤早々、明らかにやりすぎな疑問手を打ってきたので相応に咎めます。
こちらが優勢になったのも束の間、時間に追われてヨミを微妙に間違えてしまいました。
長谷イン「くっ・・・。30秒あれば・・・。」
結局こちらがモタモタしているうちに、潰しきれずに形勢逆転して負けました。
驚いたのは検討のときです。
少年A「ここ、おかしい。」
片言の日本語で先ほどの疑問手の場面を指摘します。
長谷イン「うんうん。」
喋れないので、とりあえず頷くリアクション。
少年A,B,C「ここをこうしたらこうだし、こうなんじゃない。」
おお、さっき自分が読み切れなかったところをスラスラと解いていきます。
対局した子も負けじと「じゃあ、こうしたらこうでこう打つ。」
ああ、見ていると力の差がはっきり分かります。
長谷インが30秒欲しかったところを、3秒くらいでスラスラ解いてその先を考えている
のです。それに粗削りなのは大局観で、部分的な折衝は死ぬほど粘り強く読んでいます。
これが「台湾のプロの卵かぁ」と感動しました。
それと同時に「日本のほうがレベルが高い」というのも実感しました。
おそらく皆、東京都代表、神奈川県代表レベルくらいはあります。
でも、検討の内容が自分にとってちょうど良かったんですね。
自分より2〜3子くらい上手で、程よい解説(理解できる範囲)だったということです。
4子以上の差なら多分言っていることが理解できないでしょうから。
(もちろん言葉は通じず、全部盤上の会話です。)
棋力とは関係なくすごいなと思ったのは、こちらの緩着をまったく指摘しないところです。
形勢有利の場面から何度もこちらにチャンスがあったという図を作りつつも、基本的には
相手の子のミスを議題にしていて、こちらのミスについては言及していませんでした。
うーん、人間的にも2〜3子上手だったか。(長谷インよりも)
取材の一環で施設の写真を撮らせてもらいましたが、パシャパシャ撮りまくるのも
失礼なので3枚くらいにしておきました。
もうちょっとコミュニケーション撮れたら、皆さんと一緒に写真を撮ったのになぁ。
帰り際、もう楊さんがいないので、受付の女性に挨拶をしました。
当然、まったく喋れないのでオフラインでの翻訳で簡単に
「今日は見学できて良かったです。ありがとうございました。」
と携帯を見せたらちゃんと伝わりました。
やはり意志疎通は人間にとって一番大切なことです。
お礼を伝えて海峰棋院を後にした長谷イン。
初めてゲストハウス以外でまともにお話することができたので、テンションはすこぶる
快調です。精神力全回復!次に目指すは昨日撤退を余儀なくされた「台湾棋院」。
台湾旅行3日目、長谷インの戦いは終わらない。
(つづく)
2016/02/27
囲碁, 長谷俊インストラクター
皆さんこんにちは!
ついに、ついに、ついにやってきました!
「台湾旅行記〜the完結編〜」
長谷インのひと夏のおもいで、そのすべてを公開します。
本当は「台湾旅行記〜the簡潔編〜」そのすべてを後悔します、ってなもんですよ。
だって涙が出ちゃう、長いんだもん。(話が)
旅行記を待っていてくれた方、そしてとっくに忘れていた方へ前編のあらすじを
説明しておきましょう。
旅行前 “ノー準備、ノーライフ”なのに特に何もしない。
一日目 言葉の壁を感じる。ただ無駄にプライドが高いので、身振り手振りなんて
モンキーな真似はしない。
二日目 「ビーフorチキン?」「No.I'mブタ.」そして絶望する。
三日目 新展開1
四日目 新展開2 その後、消息が途絶える。
五日目 すべての答えが機内で明らかに。
タイムスケジュールはこんな感じです。
旅行記1〜5までの間に前章、一、二日目と四日目後半まで書き終えています。
ここからは三、四日目の囲碁取材についての回想になります。
「そもそも何しにいったの?」
「修行なの、何もしてないの、バカなの?」
って彼女がいたら言いそうなもんですよ。(いたらねぇ)
ではでは、さっそく新章を語りましょう。
「長谷インのグローバル囲碁旅行記〜台湾編その6〜」
〜前回のあらすじ〜
魔境九份(キュウフン)にて最終バスを逃してしまった長谷イン。
このまま千と千尋のようにハートフルな妖怪ファンタジーが待ち構えているのか。
はたまた体力の限界を超えたその先に待つのは無情な結末か。
その行く末や如何に?!
ご紹介が遅れました。
熊を倒す(予定の)男、長谷インです。
「片腕はくれてやる。」くらいの名言は残したいなと常々思っています。
命あっての物種とはいえ、いつその命を燃やし尽くすかに人生の美学を感じます。
異国の地で命の火を燻ぶらせている場合ではないんですよ、まったく。
台湾編その5「進め、進め一歩前へ」
時間軸は三日目に戻ります。
二日目までご飯を食べるのもままならず、空腹感と何もできなかった絶望感に満たされ
つつも日は昇り、そして朝を迎えます。
「今日は寝れたな。」がこの日最初の感想です。
言わずもがな、一泊300元(1200円)のゲストハウスで迎える朝は
清々しいものではありません。
7月初旬の台湾は日本の猛暑と同じくらい暑く、羽織っていたシャツは信じられないくらい
臭くなっていました。
(シャワーを浴びて、洗濯でもするか。)
後ろのデカい虫を気にしつつも、シャワーで汗を流します。
洗濯も勝手にやって勝手に干すようなもの(有料)だったので、洗濯が終わるまで
適当にウナギの寝床のようなベッドで過ごしていました。
“危機感がまるで足りない。”
悠長に朝を迎えて、シャワーを浴びて、洗濯ものやっている場合ではないんですよ。
起きたのが9時台、行動開始したのが11時台とか、余裕かましすぎ。
正確に言うと1時間の時差があるから向こうの時刻で8時起き、10時出になりますが、
二日間を棒に振った人間の行動とは思えません。
しかし、何の策もなく三日目の朝を迎えるほどのたわけでもありません。
そう、それは確かに完成していたのです。
“ほんやくコンニャクお味噌味!”
ご覧のスポンサーの提供です。(子供たちに夢を与えるネコ型ロボット)
ドラえもんはさておき、オフラインでの翻訳作業を前の晩にある程度終わらせて、
なおかつ朝もその作業を繰り返すこと計5時間。ようやくできました、挨拶文。
いまだに内容が手元にあるので、恥ずかしながら日本語訳だけでも紹介させていただきます。
(以下原文)
こんにちは。私は日本の旅行者です。突然の来訪申し訳ありません。
私は囲碁愛好家で、このたび台湾の囲碁教室を見学させていただきたく来た次第です。
しかし残念なことに私は中国語を全く話せません。また英語もほんの少ししか知りません。
PCの翻訳機でこの文章をしたためてきましたが、オフラインではほとんど使うことが
できません。ご迷惑かと思いますが、少しだけでも見学させていただければ幸いです。
少しで良いので、ぜひ海峰棋院の様子を見学させて下さい。
(原文まま)
如何でしょうか。とても良識ある大人が書いたとは思えません。
しかもなぜこんな短文を書くのに5時間以上も費やしてしまったのか。
まず引っかかってしまったのが「敬語」です。
日本語より英語に近いので、事細かな表現はしません。
「させて頂きます。」なんて翻訳しようものなら意味不明な文になってしまいます。
「させて頂きます」→「する」くらい簡明にしないととても初心者に翻訳など
できないわけです。
あと過去形(了)とか、とにかく余計なものを排除して簡潔にまとめる必要があります。
日本語を打ちこんで中国語(繁体字)に変換し、その文をまた日本語に変換します。
(例)こんにちは→你好→こんにちは
これでなるべく誤差が出ないようにひたすら調整していくわけです。
こうなると丁寧にすればするほど厄介になるため、簡易にまとめることに徹しました。
一例として
「我是圍棋愛好人,這次請容我们參觀台灣的圍棋教室來了。」
(訳:私は囲碁愛好家で、このたび台湾の囲碁教室を見学させていただきたく
来た次第です。)
多分これ、まともな翻訳になっていません。
日本語の入れ方によって文法も前後するし、それによって意味も変わってきます。
ちなみに同じ翻訳サイトで上記の文を日本語に再変換したものがこちら。
(訳:私は囲碁の趣味人で、今回は私を収容してください。台湾を見学する囲碁教室は
来ました。)
もうね、なんだよこれは。ちなみに再チャレンジしてみた結果がこちら。
(日本文)私は囲碁ファンです。台湾の教室を見学に来ました。
(繁体文)我是圍棋愛好者。到參觀來了台灣的教室。
(再翻訳)私は囲碁の愛好者です。台湾の教室を見学してきたまで(に)。
今やってもこんなもんですよ、もうアカンてホンマに。
こんなことをひたすらやり続けて5時間。
「後は清書するだけだ、ヒャッホイ!」
なんてテンションではありませんが、相当な手応えを掴んでいました。
ゲストハウスでは清書するスペースがないので、いざ外へ。カフェに寄った後、
海峰棋院を目指します。場所はグーグルマップで調べは付いています。
宿泊場所の忠孝復興駅の隣、忠孝敦化駅から大通りをまっすぐ下へ降りるだけ。
“超簡単、猿でも分かるルート検索。”
途中の円形の大きなT字路に差し掛かれば、もう勝ったも同然です。
右へ行って下へ降りるだけ。
とはいえ、ここまで道に迷って苦汁を舐めつづけているのも事実。
復興南路一段から敦化南路一段までの道のりを慎重に横移動します。
ゲストハウスを出てしまうとまともにネットを使える環境ではないので、
スクリーンショットした地図を必死に確かめながら慎重に足を運びます。
そして、そして・・・ようやく着きました、目的の大通り。
下へ向かって行くとそこには円形の大きなT字路が。
「勝った・・・。計画通り。」(某人気マンガより引用)
こんな猿でも分かる道を歩めたことが、嬉しくて堪らないのはなぜでしょうか。
ここでファミマを見つけたので、中のイートインスペースで先ほどの清書に移ります。
ここのイートインスペースは「カフェか!」とツッコみたくなるくらい広いです。
もうね、暑いんですよ、とにかく。
飯もろくに食わずにグダグダしていたとはいえ、これまでに買った500ミリペットボトル
の数は10本を超えていました。まあ今日は手こずらないで来ているので、幾分前日よりは
体力、気力ともに余裕があります。慎重に清書を進めていますが、書いている紙は何と
ゲストハウスの案内のコピー用紙の裏。まったく何を考えているんだ、最近の若者は。
以前碁会所で「若者じゃなくて、馬鹿者。」と冗談で言われていましたが、
本当にアホなのか君は。
一応言い訳をしておくと、書ける紙が手帳と旅行の案内、フライトの案内用紙くらいしか
なかったんですね。あとは普段使っているテキスト(棋譜or問題)の原本。
何も用意せずにきた挙句この様なわけですが、コンビニにノートが置いてなかったんですよ。
ノートが置いてある店を探すのにまた迷子になったらただのドアホですから、
アホに甘んじたわけです。丁寧に丁寧に書き連ねてようやくできました、挨拶文。
実際いまになって見ると汚い字ですよ、まったく。
結構丁寧に書いたつもりですが、残り少ない時間への焦りを感じます。
ついに対決のときがやってまいりました。
“誰と戦うかって?”
“昨日までの自分とです。”
前日に名誉の撤退をした自分に恥じるところはこれっぽっちもありませんが、それでも
前に進めなかった無念を晴らすために。いざ、海峰棋院へ!
ウィーン。(ファミマを出る音)
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「どっちから来たんだっけ?」
不覚にもさっき来た道が分からなくなってしまいました。
大きなT字路をどう来たのか、どっちに向かって行くのか。
ここで一旦止まれば良いものを、生粋の迷子は一味違います。
「よし、こっちこっち。」
基本的に立ち止まらずに突っ走るのが迷子の特徴です。
分かっているつもり、何とかなるだろうと思って同じ轍を二度も三度も、
いつまでも踏んでしまうわけです。
まあここから迷いましたね、迷いました、迷いました。
グーグルマップで「海峰棋院」と検索してみてください。
上に丸いT字路があって、その上に忠孝復興駅と忠孝敦化駅があります。
どうやって迷子になるの?君いくつ?ってレベルですが、それができれば苦労は
しないんだよ。簡単が故に安易な行動を取ってしまい、ドツボに嵌って行く。
いつものことです。
ちなみに三日目のお昼時ですが、まだご飯を食べていません。
もう少し正確に言うと、ここまでの食事はご覧の通りです。
一日目 機内食、クソ不味い麺と水餃子
二日目 饅頭3個
三日目 まだ水分以外に口にしていない。
初日の機内食は美味しかったですよ。
その晩は滅多なことで「不味い」と言わない長谷インを驚嘆せしめた食堂のメニュー。
二日目の饅頭はお腹空きすぎてて、味はどうでも良かったです。
三日目のお昼、腹ペコで右往左往の繰り返し。
唯一の救いは暑すぎて食欲が減退していた分、飲み物で誤魔化せていたという点でしょう。
しかしもうそれも限界です。
ここで行き倒れになってしまうのでしょうか、はたして日本の若者を台湾の方は
助けてくれるのでしょうか。若者といっても当時27歳ですけどね、ただのバカ者ですよ。
そうこうしていたら希望の光が見えてきました。
『吉野家』
これって昨日スルーした吉野家ではないですか。
『復興南路二段、吉野家大安店』
興味のある方はグーグルマップで検索してみてください。
長谷インがどのようにグルグル迷子になっていたのか、よく分かります。
「吉野家かぁ、外国まで来てチェーン店に入るのは妥協だよね。」
「・・・・・・。」
「よし、妥協しよう。」
3秒で諦めました、いろいろな見栄を。
照りつける猛暑の中、迷いに迷って予期せぬ砂漠の泉にたどり着いたわけです。
皆さん、砂漠の泉が「アルプスのおいしい水」だったらどうしますか?
「何だ、砂漠くんだりまで来てミネラルウォーターなんて飲めるか。」
「ご当地の湧き水だよ、湧き水。」
そんな硬派な態度でいたいですよ、修行で来た身ですしね。
でも「みずぅ・・・み、みずをぉ・・・だれかみずぉを。」って状況なのをお忘れなく。
ウィーン。(吉野家に入る音)
心の声(前にお客さんが一人いる、やり方を見ておかねば。)
(くっ・・・、お焼香と同じくらい見えづらい。)
(うう、自分の番か・・・。行くしかない!)
長谷イン「你好。」(小声)
店員さん「******」
長谷イン「あー、うー。」(メニューを指さしながら)
店員さん「******」
心の声(くっそぉ、メニューが小さくて指しきれない。)
店員さん「??(汗)」
そりゃあ店員さんも困惑しますよ。だって見た目は台湾の方とそう変わらないですから。
あとメニューを指して頼むんですが、AセットBセット的なものがあって、さらに
ドリンクも選ぶシステムらしいです。
そういうマック的な「サイドメニューはどうしますか、ドリンクは何になさいますか。」
的なものは苦手なんですよ。こういうときでも値段を気にして安い豚丼を選ぶあたりが
さすがだなと思います。(ダメなほうの意味で)
さて適当に選んで、あとは横でしばし待ちます。
マックと同じシステムと分かったから良いものを、自分の前に誰もいなかったら
どういう失態を犯していたのか想像もつきません。
そして待ちに待って、待ち焦がれたチェーン店のまともなご飯です。
セルフの紅ショウガを取って、席に付いてようやく落ち着きました。
「豚丼うめぇ!!!」
「紅ショウガうめぇえ!!!!」
「冷たい紅茶最高ぉおお!!!!!」
「枝豆うまいよぉおおお!!!!!!」
死ぬほどうまい、何これ、ホント何これ。
今までの人生の中でベスト3に入るくらい、もう形容し難いほどうまい。
日本語って不便ですね。
“美味しい”の最上級の表現を持ち合わせていないなんて。
本当に、ほんとうに本当に、いや本当に・・・。
この味だけは生涯忘れられないと言えるほどの超絶美味。
参考までに長谷インの人生ベスト3のメニューがこちら。
(順不同)
・北海道の小樽で食べた真冬の塩ラーメン。
・真夏のちゃんぽん屋で飲んだ氷水。
・猛暑の台湾で瀕死の状態で食べた豚丼。
これを見るに、極限の状況下だからこそ忘れられない味に出会えるのかもしれません。
小樽の塩ラーメン、ちゃんぽん屋の氷水も感動するくらい美味しかったんですが、
もうね、豚丼。台湾まで来て、ただの豚野郎になってしまった長谷インの心とお腹を
ここまで満たしてくれるとは。(※台湾編その3参照。)
紅ショウガも信じられないほどうまい、こんな紅ショウガ食べたことない。
セットメニューになぜ枝豆?って思ったのも束の間、ツッコむ暇もなくただ口に
放り込んでいく美味のハーモニー。
皆さん今、食を知らない貧しい青年に見えていることでしょう。
良いんですよ、幸せは値段じゃありません。
日本でぬくぬく生活していた過去の自分の言葉と、“大きな災難小さな幸せ”を体験した
今の自分の言葉とでは比べるべくもありません。
心もお腹も満たされて、精神力もフル充填!
元気100倍アンパンマン、もとい長谷イン!
まるで新しい顔に生まれ変わったような、清々しく晴れ晴れした気分です。
吉野屋の位置から目的地までの方向も見当が付いています。
後は恐れずに向かうのみ、それいけ長谷イン!
(一歩前へ、つづく。)