2017/11/23
縦のものを横にしただけで
こんなにインパクトがあるとは思わなかった。
創作料理でワイングラスを横にして器として
つかっているのをある番組で観た。
スプーンを横からいれてジュレをすくうのだ。
その夜、縦を横にするだけで違う世界が広がるものだなぁと
湯船に浸かりながらふりかえったとき、ふとあることを思いついた。
湯船の入り方を、身体の向きを縦横逆にしてみる。
もちろん、足は延ばせないどころか窮屈なあぐらをかくしかない。
そして背中は自然と湯船の縁に圧をかけながらあたり、垂直に伸びる。
まず驚いたのは17年住んでいて見たことのない風呂場の景色だった。
そして、足が窮屈なのより背中が伸びるのが気持ちいい。
呼吸も自然と深くなる。
足を伸ばすのとは別ジャンルのリラックスが感じられた。
下手なヨガをやっているような恰好だが
思わぬ発見にお風呂タイムの楽しみが一つ増えた。
「縦を横に」「横を縦に」である。
ところでヨガの経験はほとんどないが、
お湯の中でヨガをやるのもよさそうだ。
YUGAと名付けられる日がくるかもしれない。
2017/11/21
空きスペースがあればすぐに何かで埋めたくなる。
たくさん並べたほうが効率がいい。
この発想を百貨店病というらしい。
いけてるブティックは、たくさん置かない。
余白に価値を見出している。
余白があるからそこに目がいくのだ。
では僕はいま、余白をつくっているだろうか。
あれもこれもとなってないだろうか。
もっと書きたいことがあるが、
「その第一歩」のためにここでやめておく。
2017/11/15
関口知宏。
彼ほど電車に乗った人はいない。
2004年の日本最長片道切符12,000キロの旅を終えたあと、
翌年JR全線20,000キロの旅へ。
そのあとドイツ、イギリス、スペイン、ギリシア、
スペイン、トルコを一周。
そして中国一周最長片道36,000キロ、200日の大旅行。
あまりに疲れたのだろう。8年間の「休憩」のあと最近また
オランダ、ベルギー、チェコ、オーストリア、イタリア、
ハンガリー、クロアチア、スウェーデン、ボルトガルも一周している。
最初の日本一周の頃からずっと彼と一緒に旅をしてきた。
食卓でNHKの番組を見ながらでだ。
僕が例によって勝手に親近感を感じるのは、10年前の秋、
北京に彼が電車で到着した日に偶然僕も北京にいた、
というだけではない気がする。
いきあたりばったりで偶然の出会いが続く彼の旅が、
遠い昔の自分の旅を想いださせてくれるからだろう。
そして彼のゆるく、温かく、優しい眼差しが好きだからだろう。
2017/11/14
別冊太陽という本がある。
雑誌サイズで迫力ある大きい写真が満載だが
ハードカバーの写真集ほど「かちっと」はしていない。
そんなちょっとジャケットを羽織って近所に贅沢ランチを
しにいくような本が、本屋の棚で偶然目にとまった。
『別冊太陽 星野道夫』
彼とは27年を超える付き合いだ。
付き合いといっても、勝手にこちらがずっと親近感を
覚えているだけだが、それには理由(ワケ)がある。
彼が執筆中の本の構想を練りながら
アラスカ、フェアバンクスの街を歩いているとき、
偶然同じ日、僕もそこにいた。
そのことを20年後、彼のエッセイを読んで知った。
ひょっとして、あのマイナス25℃の街角ですれちがったかもしれない。
胸が熱くなった。
この別冊太陽、今まで何度か目にしたことのある写真と
ふたたび会えたのも嬉しかったが、
巻末に載る奥様の小エッセイ『旅のつづき』もよかった。
僕もまだ、あの旅のつづきをしている。
2017/11/12
ランチのあと、近くのカフェにはいった。
今日で2度目の訪問だ。
苦みの一番強い表示のある「スーパーアロマ」を希望したところ
品切れで、次に苦いというお薦めの珈琲が出てきた。
四谷のレストラン三国に卸している豆だという。
開店直後でまだ暇そうなマスターが話かけてきた。
「いい珈琲は、砂糖をいれてみるとわかりますよ。
苦みがコクにかわります」
いまこのテーブルに「へぇ」ボタンがあれば続けておしている。
いい珈琲は砂糖を入れずに飲むものだと思っていた。
「安い珈琲に砂糖をいれると、苦みは舌の両側に残って甘いだけ。
でもいい珈琲だとしっかり一つの味になるでしょ」
ひさしぶりに砂糖をいれて一口飲んで驚いた。
うーむ。確かにその通りだ。
ブラックで半分飲んだあとにスティック1本追加だから
標準の倍の甘さのはずだ。しかしそんなに甘さは感じない。
別の味、香りがたっている。
イタリア人がエスプレッソに砂糖をたくさん入れる理由は
これかもしれない。
*SMBカフェ(中野坂上・新中野)
https://bankoku-coffee.jimdo.com/直営カフェ/
2017/11/11
どこか旅に出ようとなったとき、優先順位の一番には来ないが
これがあるとグンと味がひきたつようなもの。
これを“旅のスパイス”と呼ぶとしたら僕には2つある。
1つは国宝。もう1つは寅さん。
「国宝」は数年前から僕の中でゆるやかに興味が上昇中だ。
旅先でお堂や仏像、書画などに偶然会えたら、それはもう特注料理
の比ではなく得した気分になる。
最近だと福井の永平寺で観た『道元の坐禅を勧める書』がそうだった。
そして「寅さん」とはそのロケ地のこと。
何度も同じシーンを見ているとその場所への憧れは強くなる。
京都に行ったとき、丹後の伊根まで2度も足をのばしたのを思い出す。
この2つのスパイスを同時にふりかけられそうな場所を最近みつけた。
まだ行ったことのない琵琶湖周辺を近いうちに歩いてみようと思う。
2017/11/09
最初は高校の世界史の授業だった。
いつか著作を読んでみようと思った。
それから時が20年近く流れたある日、北京の街を独りで散歩していたら
偶然その人の博物館の前を通りかかったのでふらっと入ってみた。
平日の昼間、誰もいない建物の中をゆっくり見てまわった。
実際に暮らしていた家も移築されていて、使っていた机や
ベッドもそのままだった。
忘れていた興味が静かに沸いてきて
帰国後にその人を解説した新書を読んだ。
それから10数年たったある初夏の日。
恩師が眠る鎌倉円覚寺の境内の一角にモクレンの木があった。
「その人」から贈られた木だと説明書きを見つけて驚いた。
それも恩師が生まれた昭和8年のことだった。
そして先日、新橋駅前の古本市で偶然目にとまった本があった。
26年前のものだが、新品同様の綺麗なもので200円。
すぐに財布を開いた。
『魯迅居断想』 阿部正路
その人とは魯迅。中国の文学者、思想家だ。
この本を読み終えたあと、30年来の満を持して
彼の著作とむきあうつもりでいる。
2017/11/07
先週末、『丸ノ内農園』という東京駅前の道路300mぐらいが
農業に関連した出店がならぶマルシェのようなイベントがあった。
東京駅前なのに牛も数頭いるのが驚きだ。
このイベントの主催は農水省で、担当に友人がいることもあり、
昨年に続き今年もぶらり歩きを楽しんだ。
ふつうのマルシェよりも試食が充実していて、
今日はお腹をすかしてこなかったことを少し後悔する。
ある出店の前で声をかけられた。
「マロンをシールに描くとプリンがもらえますよ~」
意味がよくわからないが、プリンがもらえると聞いただけで、
横にいたはずの人はそこに吸い込まれている。
マロンを描けと急に言われてもなぁ。
適当に10秒でささっと色ペンで描く。
そのシールを冷蔵庫から取り出したプリンの容器に貼る。
隣で爆笑している人がいる。
絵心がなさすぎるのを指摘されるかと思いきや
どうやら塗りつぶすところが「逆」らしい。
これがマロンのロマンなんだ。
と悔しまぎれのセリフが浮かんだのは
その場を離れて少したってからだった。
2017/11/03
大菩薩峠の一軒宿を出て、「道の駅 甲斐大和」で
特産市場のおっちゃんと世間話しながらシャインマスカットを買った。
帰り道に八王子の実家に寄ってお土産を渡そうと思いついたのだ。
途中電話してもつながらないが、留守でも玄関前に置いて帰ろう
ということで、そのまま向かう。
到着して呼び鈴を数度鳴らすも、やはり反応がない。
せっかく久しぶりに来たので、裏庭に生えてる柚子の木から数個拝借する。
予定どおり置手紙を書き、ドアに葡萄をぶらさげて帰ろうとしたとき、
2Fの親父の部屋の電気がついてることに気がついた。
おかしいな。親父はつけっぱなしで出かけるタイプじゃない。
ねんのため再度呼び鈴をならすと、
「はい」という返事が。
なんだよ、いるのかよ…。笑うしかない。
「俺です。明です」
「はい、いま行きます」
インターフォンごしに会話して少しして玄関があいた。
「なんだ、明か。宅急便かと思ってハンコウもってきちゃったよ」
手にはハンコウが握りしめられていた。
あれっさっき「俺、明」と言ったんだがなー。
「俺、明」に騙されないからいいのか、
本人の声がわからないから危ないのか。
警鐘を鳴らすべきか思案中だ。
2017/11/02
関東で最古の木造建造物。
こういう表現をはじめて目にした。
出来てから720年あまりがたっている国宝のお堂だ。
山梨の勝沼ICからほど近い大善寺。通称「ぶどう寺」。
国宝の薬師堂と厨子にくわえて、
本邦唯一、ぶどうを手に持つ薬師如来(重文)や
日光・月光菩薩(重文)、十二神将(重文)など見応え十分だ。
作は運慶一派の蓮慶。
入口の山門前では新撰組あらため甲陽鎮撫隊の近藤勇が官軍と戦ったとか。
秋の紅葉シーズンだが、平日ということもあり
ほとんど貸切のひと時だった。