2018/10/01
湯温が42℃と聞いていたが、最初思ったよりも熱く感じた。
見るからに年季のはいった幅広のブナ板が浴底にならんでいる。
少しあいた隙間から時折、ぶくぶくっと湯玉があがる。
両手をひろげ大の字になって薄暗い天井を見上げる。
こんなに高い天井の内湯は記憶にない。
ビル4階の高さに匹敵する12mの高さまで吹き抜けだ。
壁には上までヒバが貼られている。
ここ青森の蔦温泉旅館は、創業100年の建物をまだ利用している。
源泉が湧きだす泉源そのものが浴槽の「源泉沸き流し」だ。
空気にふれたことのない生まれたての「なま源泉」を楽しめる。
お湯に浸かると、肌のまわりの空気と極上の温泉成分が反応する。
それが人に「熱い」と感じさせるという。
だが慣れてくると熱さが優しさにかわる。本当はそこまで熱くない。
子供が炭酸を飲んだとき「辛い」と表現するのに似ている。
究極の鮮度をもつお湯は、温度よりも熱く感じる。
いい温泉を見分ける方法を1つ知った。
*蔦温泉旅館 http://tsutaonsen.com/
2018/09/23
「明の撮影はカメラボタンではなく動画ボタンをおしているのが
たくさんあったわよ。ピントのあわせかたもいまいちね。
でも昨日は朝早くからありがとう。お父さんもよろこんでいたわ」
母からメッセージが届いた。
僕はもとよりガラケーだ。
スマホデビューしたての母に、上から目線の絶好機を
与えてしまったのが少し悔しい。
焦点はあってなかったかもしれないけど
笑点にはあえたでしょ。
こんな返しだと座布団一枚もらえるだろうか。
昨日、後楽園ホールで『笑点』を3人で観覧した。
当選倍率50倍を勝ち抜き、当日3時間半前から並んで
ダッシュしてとったアリーナ席だったが、父をつれて
ゆっくり入場してきた母が後方でさけぶ。
「こちらの席のほうがいいわよ」
たしかにパイプ椅子で平らな前方より、
やわらかいスタンド席前方のほうが、楽で見やすい。
おいおい、僕の3時間は何だったんだ。一瞬頭をよぎったが、
すぐ気持ちをきりかえてガラガラの後方に陣取る。
普段の放送は半分ぐらいカットされているのがわかった。
いつもより長い大喜利2本分も、笑っていたらあっという間だった。
「一生に一度は見る価値があるな」
帰り際、父らしい感想があった。
好みの焦点はあっていたようだ。
2018/09/14
最近、早朝に1時間ほど歩いている。
毎朝同じタイミングで同じところを歩くと、
少しずつ日の出が遅くなっていくのがわかる。
爽やかな朝の空気に触れて、気分がのってくると
自然と口笛が出る。こんな曲だ。
https://www.youtube.com/watch?v=5HVsepZKNso
この前、はじめて和太鼓グループTAOの演奏を聞いて以来、
朝のテーマソングになった。
曲名は「双飛」。
篠笛の美しいメロディーと力強い和太鼓と一緒に
飛んでいきたくなる。
今日も楽しい一日が始まる。
2018/09/11
今年のはじめ、こんなことを書いた。
「ブログの力」
http://www.ishioto.jp/blog/%e3%83%96%e3%83%ad%e3%82%b0%e3%81%ae%e5%8a%9b/
今日ハガキが届いた。
これは「ブログの力Ⅱ」だ。
「三度目も正直」と書いたとたん、
「三度目の正直」となった。
誰か見てるのだろうか。
ブログの神様がいるのだろうか。
いや、書くことで、何かが起きる。
書かなければ、何も起きていない。
そんな気もする。
幸運に感謝しつつ、22日を楽しんでこよう。
2018/09/03
いよいよ始まった。
設計図や完成予想図を見ると、家の中も外もシンプルだ。
お洒落さやモダンさとは無縁の、今風ではない顔つきをしている。
家相や予算の都合もあったが、それだけではない。
「これかっこいいな」
「こんなの素敵ね」
多くの家やモデルルームを見て憧れはあった。
一生に一度のことだから、といい聞かせる自分もいた。
だが、吹き抜け、中庭、勾配天井、格子戸スクリーンに間接照明。
結局どれも採用しなかった。
家ってなんだろう。
自分の家に「帰る」とは言うが、「行く」とは言わない。
ホテルに「行く」とは言うが、「帰る」とは言わない。
「帰る」は、ほかに選択肢がない場所のときに使い、
「行く」は、気分で決めていい場所に使っている。
そういえば実家は、帰ると言ったり、行くと言ったり。
家とホテルの中間なのか。
かっこいいところや素敵なところは、これからも時折「行く」だろう。
だが今はしっかり、「帰る」ところをつくってもらおう。
2018/08/29
「よし、今日から心をいれかえよう」
こんな日が僕には1年に3日ある。
元旦と4月1日と誕生日だ。
すでに今年、最初の2つは失敗したが、
最後の砦として3つ目はいまのところ順調だ。
右手首の腱鞘炎を診てもらいに手専門の整形外科を訪ねた。
びっくりするぐらい混んでいて、たっぷり3時間待った。
恐らく人生で最長不倒の待ち時間だが、
不思議なほどいらいらしなかった。
「これはこのあといいことがある前兆だ」
そんな気持ちでゆっくり思索にふけった。
帰り道は、ステロイドの注射が利いてきたのもあって
待ったことも忘れ、ルンルン気分だった。
あと今日から始まる予定の建築現場に行ったら、誰もいなかった。
「あれ、予定が変わるなら言ってくれても」
と愚痴をこぼしたくなるところだが、48歳になった僕は、
「隣人に工事が始まる前に挨拶が出来てよかった」
とほっとした。
そして、つれからのプレゼントには、心から感謝した。
頭の中だけでなく、外も成長させていこう。
2018/08/27
なんとなく気づいていたけど、ようやくはっきりした。
これからは、紙にプリントしたものだけを「写真」と呼ぶことにしよう。
ではネット上のアルバムや、パソコンや携帯にはいっている
膨大な“画像”は何と呼べばいいのか。
あれは、「写真データ」だ。
「いつかプリントするかもしれない、たぶんしない写真」でもいい。
すこし長いか。
ここ数年、めっきり「紙」にすることがなくなった写真を、
ひさしぶりにまとめて1枚紙にしてプレゼントした。
先日実家に帰ったとき、それが額にはいっているのを見つけた。
「これこの前送ってもらった写真だ。こうしてかざっている。ありがとう」
想定外の待遇に、ビックカメラでつくった1枚紙も驚いただろう。
晴れて「写真」となった写真データが、親父の机で輝いていた。
2018/08/21
これから建てる家のカーテンを検討中だ。
電動シャッターをつけるので一瞬いらないかと思ったが、
ある広告文に目がとまった。
「風が見える」
そうだった、そうだった。
光と視線をさえぎる。もう一つ、大事な役割を忘れていた。
そういえば最近見なくなった風鈴だとこうなるか。
「風が聞こえる」
欲張りな僕は、風を見たい。
そして、風を聞きたい。
2018/08/09
ここ数年、人間ドックで身長を測るときに
あごをひくのをやめた。
数ミリとはいえ、少しずつ縮んでいるのを
ごまかそうという魂胆だ。
そういう「小さい」自分は、恒例の背比べのときにも
自然と出てしまう。
アメリカのサンディエゴからくる17歳の姪は
既に173cmを超えた。
すまし顔でバレリーナのごとく爪先立つと
さすがの(なにが「さすが」かわからないが)
アンクル明もあぶない。
こっそり僕も、と背伸びしたところ、
「おじさん、だめー」
と5歳の姪に見つかった。
なんで僕だけ?
小さい自分が、さらに小さくなった瞬間だった。
2018/07/23
映りが悪くなったら斜め上から叩くといい。
テレビの話だが、遠い昔の記憶に何度かある。
説明書には書いてない原始的な方法ながら、一般に広まっていた。
そういえば最近は壊れなくなったからか
テレビを叩く人を見なくなった。
「なぜか効果のある単純行為」が、
身の回りから消えつつあるのは少し残念だ。
ここで一つ提案しよう。
新しいアイデアがどうしても浮かばないとき。
何かにいきづまったとき。
悩みがあるとき。
こんなときはどうするか。
スマホを手にとってはいけない。
パソコンも閉じよう。
椅子に座って腕組をしている場合じゃない。
とりあえず歩く、がいい。
何も考えず、何も期待せず、ただ歩く。
めぐりが悪くなった血が動き出し、
頭の中の映りがよくなるだろう。