2014/07/05
親友で写真のうまい奴がいます。
本業ではないの彼の写真はなぜかいつもひっぱりだこ。
碁的でも昔から彼の写真が多く掲載されています。
席亭と吉原由香里六段の対談の様子も彼が撮影。
写真は囲碁将棋チャンネルのカレンダーにも使われました。
http://www.ishioto.jp/contents02/
彼はいつも汗だくで撮影しています。
そして撮影後はぐったり疲れた表情を。
決して太りすぎ(110k?)だからだけではないようです。
「いやー、この人どんな人なんだろう、と考えながら撮るの、結構つかれるんだよ。」
彼はいい写真を撮ろうの前に、相手を知ろうと一生懸命でした。
ちょっとした会話からヒントをつかみ、人物を想像し、
その人が今までどんな人生を歩んできたかまで思いを巡らせ、
次にどんな表情を見せるか予想し、どんな角度が一番素敵かを考えて
一瞬のチャンスを逃さない。
それは10分の撮影でもクタクタになるはずです。
彼からこの「撮影裏話」聞いたのはもう5年も前です。
席亭が囲碁入門で
「まず相手を知って、その人が囲碁好きになるルート開拓に注力」
という基本に気づくきっかけになりました。
いい写真を撮ろう、囲碁を優しく教えよう、の前に
相手を知ろう、なのです。
2014/06/11
新システムになってユーザーから色々な声を頂いている。
「あれが出来るようにしてほしい」「これはもっとこう変えてほしい」
発信してくださるというのは、想いが強いということ。
貴重な意見に耳を傾けつつ、反省、修正すべき点を一つずつ対応してここまで来た。
しかしあえて対応してない事がある。
それは、”挨拶の自動送信” 機能。
旧石音にはあったが新石音ではあえて外した。
チャットの苦手なユーザーや、毎回同じ文言を打つ面倒をサポートする機能だ。
挨拶以外にもよく使う文言が定型文となり、備わっているネット碁が一般的だ。
石音は囲碁に限らずオンラインゲームの世界で、”交流度世界一”を目指している。
匿名、アバターが当たり前の世界に、文字通り一石を投じたいと思って創った世界である。
便利さを多少犠牲にしても大事にしたいことがある。
以前こんなことがあった。
80代のメンバー。チャットはほとんど出来ずしばしばローマ字に。
対局後にいつものように
「チャット無理しないでください。あそこはこう打つのもありましたね・・」
何本かコメントを打つも反応なし。
こちらは事情が分かっていることも伝え、終了しようとしたその時だった。
「敗軍の将、兵を語らず」
正しい変換で見事な一言が返されてきたのである。
チャットが打てないのではなく、打たなかったのである。
短い言葉だったが、そのタイミング、その空気、そのお写真から
色々な情報が発せられているように感じた。その時、あぁこれだと気づいたのだ。
年代の幅が広いファン層、当然チャットの得手不得手はある。
もし挨拶できなくても、相手が年配の方なら、当然苦手なんだろうなと想像できるだろう。
またゆっくりでも、一言でもコメントがあれば、その想いは通常の人より伝わるだろう。
逆にチャットに不自由しない年代の方が、何もコメントせずであれば、
それがその人だということだろう。
自分流にカスタマイズしたコメントを保存、送信する機能も
今のところ実装の予定はない。
面倒でも、その日、その瞬間、その相手に対して、発したいと思う一言を、
無理せず出来る範囲でチャットしてほしい、そう願っている。
2014/06/10
あれだけ置石があったのに・・
こんな下手の心の声が聞こえてきそうな置き碁の終盤戦。
置碁ではしばしば、終盤の最後の最後に上手が逆転、が起こります。
それもそのはず。盤上にある石の比率が、序盤と終盤では全然違うのです。
例えば9子局。1手目を白が打った時点で、盤上は黒石9個、白石1個。
つまり黒石の盤上占有率は90%。
しかし91手目の盤上は、黒54個、白46個で黒石占有率は54%。
終盤の191手目だと、黒104個、白96個で黒石占有率は52%。
そうです。9子局でも終盤はほぼ互先の状態。1手の価値がどんどん終盤に向けて
小さくなるので、上手の逆転の余地は限られますが、それでもそこまでに黒は
かなりの「貯金」をしないとだめなのが分かります。
つまりこんなことが示唆されています。
『量より率に注目!』
さて最近、周囲の同年代、特に女性の「私は内面重視よ」「外見は関係ないわ」
という発言を耳にする機会が増えてきました。
40代も半ば近くなると、こうした声が増えるのは分かりますが、
「外見まったく関係ないとか本当かなー」と思うことあります。
今までは
「本当は少し外見も気にするけど、いつまでもそんなこと言ってるのは
恥ずかしいから体裁考えて・・でしょ」
ぐらいに思っていたのですが、先日ふとこの置碁の法則から、
"教え"が降りてきました。
つまり、体裁を気にしての発言ではなく、
その人の「外見重視の割合」が下がっただけ、
「外見重視の量」は変わってないのでは、ということ。
ではなぜ量はかわってないのに、外見関係ない!となるのでしょう。
人は成長とともに、経験をつんで「選球眼」が成長します。
20代の時に「10」あった選球眼(相手を選ぶときの要素)。
そのうち「9」が外見、「1」が内面だとしましょう。
(この時は、かなりの面食い)
それが30代には選球眼が成長して「20」に増えますが、
外見は1しか増えず合計「10」、内面は9増えて「10」に。
(この時は、バランスよく外見も内面も重視)
40代には選球眼がまた成長して「30」に増えますが、
外見は「10」のまま。内面だけが10増えて「20」に。
こうして自分の中での比率は逆転して内面2:外見1。
(この時は、内面重視に)
しかしここ10数年、増えているのは内面の分だけなので、
外見に対する自意識が薄れてしまい、
「私は外見関係ないわ、内面重視よ」
となるわけです。
どうでしょうか。
勿論これ以外にも「内面重視にはもっと深い理由がある」とは思いますが・・
2013/11/16
今年はクリスマスソングがかかるのが2,3週間早い気がします。
音楽の世界では、1ヶ月前、勤労感謝の日ぐらいが解禁の暗黙の了解があったと聞きましたが。。
街のイルミネーション、商戦も11月入ってすぐに始まっています。
ちょっと待ってほしいなぁ。もう少し秋を楽しみたいなぁ。
と愚痴ったところで、街中歩けば僕の聴覚、視覚、冬を感知。
長い暑い夏が終わり、小さい秋が見つかるかな~という頃に、季節外れの台風。
それが終わると突然冬のような寒さ到来。
今日は久しぶりに暖かいなぁ、小さい秋に戻ったかなと思ったら
「今日は小春日和の天気になりました」とニュースキャスター。
そうか、こういう時に便利な秋言葉がないのか。
自然には逆らえませんが、せめて人間が創りだす季節感は、
1つ1つ順番に、そして大事にしたいものだなぁと思う席亭です。
2013/11/12
ガス使用量の年間最大日は、最も寒い日ではなく、前日からもっとも気温が下がった日だそうです。人はこの落差に弱い、ということなんですね。もちろん僕もです。^^
ここ数年、「想定外」という言葉をよく聞くようになりました。これも落差の一種でしょうか。想定の範囲の落差を超えてしまった、外にはみ出てしまった。
少しエクスキューズも込めて表現するのに便利な言葉です。
誕生日などによく決行される「サプライズ」も落差活用ですね。
感動を産む落差、サプライズ、僕も大好きです。
ただサプライズも頻発しすぎると、落差が小さくなって「想定内」の範疇になって効果も小さくなります。
そういえば昔昔、期待する→期待はずれる→がっかりする、
のサイクルを繰り返して少し疲れていた時期がありました。
その対策として若かった自分が編み出したのが「期待しない法」。
期待しない→期待はずれてもがっかりしない→たまにうまくいって喜び倍増、
というサイクルにすることで楽になることを発見して、喜びました。
この「期待しない法」、これ最初は精神的にも安定して、うまい方法見つけたと喜んでいたのですが・・・段々毎日がつまらなくなって辞めました。
今思えば日常から「落差」がなくなってしまったからかもしれません。
自分が「落差を愛するタイプ」なんだと気づいていなかったようです。
ビジネス上で顧客満足をアップする手法として、「期待値を下げる」があります。
これも落差活用でしょう。値下げでも製品の質向上でもなく、人の心に潜む「落差に対する弱さ、感度」の活用。
落差予想でリスクマネジメント
落差があるから感動がある
落差なくして精神安定
落差調整で商売繁盛
自分にあった落差との付き合い方を見つけることが、楽しい毎日につながるということでしょうか。
皆さんはどのように落差とつきあってますか?