2017/09/15
「強くなりたい」
囲碁を習っている人の大部分がそう願っている。
自分が前よりも強くなったと感じる喜びは、習い事共通のご褒美だ。
しかしシニア中心に、なかなか強くなれないと悩む人は多い。
では教える側はどこまでそこにコミットできるだろう。
自分の教える技術にどこまで自信を持っているだろう。
「強くなりますよ」
ではもの足りない。
「絶対強くなりますよ」
まだ教える側の覚悟が足りない。
「強くなることを保証します」
こう言い切りたい。
「保証」
この言葉は重いし責任がともなうが、自分をワクワクもさせてくれる。
だからそんな場を創りたい。
2017/09/14
ある時2人のシニアと話をしていて、言っていることが同じなのに
伝わり方が違うことに気がついた。
何が違うのだろうか。
それはキャッチボールとドッジボールだ。
相手が取りやすい玉を投げるのか、
それとも、
相手に当てることだけ考えて投げるのか。
悲しいことに、歳をとればとるほど後者の割合が高くなる。
後者とは、自分はキャッチボールをしているつもりでも、
「何を話すか」に夢中になっていて
「相手が何に興味を持つか」にまで気が回っていない人のこと。
そういう自分も、話すのが大好きで、ふと気づくと発信に意識の
ほとんどがいってしまい、慌てることも多い。
ある人のアドバイスをうけて、講演のときは、自分が話す言葉を
漫画の吹き出しのごとき風船と考えて、それを一人ひとりに
手で届ける気持ちで話すようにしている。
それはキャッチボールというよりボール配り。それぐらいの意識で
丁度いいということなんだろう。
2017/09/13
先日、夜遅くに自宅そばのファミレスで打合せをしていたら
携帯に妻からメールがきた。
「いま目の前の電線を、2匹のイタチ?が歩いていた!」
寝ぼけるにはまだ早い時間だ。
ここは東京の中野。新宿まで歩いて20分。大通りの青梅街道から
ほんの50m入ったところにある。16年住んでいるが、犬猫以外の
歩行動物に会ったこともなければ、近所で出没情報も聞いたことがない。
しかもベランダは地上4F。目の前の電線といってもかなりの高さで、
それも細い。
「あれはぜったい猫じゃないわ。顔が違ったもの。スマホで撮ろうにも
一瞬だったから残念!」
翌朝、興奮さめやらぬ口調で主張する。検索したのだろう。
都会の電線の上を歩いているハクビシンの写真も「準証拠」として
送られてきた。
本当にあの夜、2匹が電線を歩いていたのだろうか。
どこに住んでいて、どこに向かっていったのだろうか。
最近夜、ベランダに出る楽しみが増えたのは確かだ。
2017/09/12
「平八茶屋、よかったですよ!」
玄関で会うなり、ご夫婦の笑顔がはじけた。
先週京都に旅行に行くというので、3ヶ月前僕らが偶然訪れたお店を
お薦めしたのだ。
豪華な料理というより、麦飯とろろが名物の創業400年を超える茶屋だ。
京都中心部から少し離れた洛北の街道沿いにある。
僕はそのとろろの美味しさに加えて、お店の雰囲気や応対の素晴らしさも
強く印象に残っていた。
シニアご夫婦は3日間の旅程で、初日2日目は満席で、帰り際のランチに
ようやく予約が取れて駆けつけたという。
僕の言葉を聞いて、何度もトライしてくださったこと。
実際によかった体験として心に残ったようだったこと。
どちらも喜びとして僕の心にも残った。
*平八茶屋の歴史
https://www.heihachi.co.jp/service/origin.php
2017/09/11
石音を始めて12年。
ひとりでずっと電話応対を続けてきた僕は
シニアのPCサポートには少し自信がある。
電話のむこうでどんな状況になっているのか。
詳細の説明が期待できない中、想像で原因をつきとめて
カタカナを使わずに解決にむかう。
昨日訪問したばかりの87歳のシニアから今日電話があった。
PCの電源がつかないという。
いつものサポートと違って、自分が見たばかりのPCのことだ。
電話がかかってきたときすぐに解決できるとふんだ。
電源コードはきちんとPCにささってますか?
延長コードの元はコンセントにきちんとつながっていますか?
PCの電源をゆっくり5秒ぐらい押してますか?
いずれもYES。
それでは別の部屋にもっていってどうですか?
状況変化なし。
うーむ。昨日一緒に作業したとき、PCに問題は感じられなかったなぁ。
しかしほかの原因が考えられないなら、本当に壊れてしまったのかも。
僕は一旦原因追究をあきらめた。
その人は僕との電話のあと自分で家電量販店にもっていって診てもらい、
原因はすぐにわかった。
「PCの電源コードが他のPCのものです」
なんでこんな簡単なことに気づかなかったのか。
それは「見る」が「聞く」より、解決に有効だと決めつけていたからだ。
いつもの「聞く」だけのほうが一生懸命頭を働かせていたのだ。
百聞は一見にしかず。その逆もまた真なり。