2017/10/26
最近、タイトルに惹かれて思わず買ってしまった本が2冊ある。
『それでいいのか 蕎麦打ち男』 残間里江子著
『悔しかったら、歳を取れ!』 野田一夫著
「蕎麦打ち男」は予想どおり面白かった。
「悔しかったら」は予想に反して今必要なく、文字どおり悔しくなった。
あらためて「タイトルの力」を体験で学んだことになる。
僕が一昨年上梓した本『目のつけどころはシニアに学べ』は、
最初の本ながらよくこのタイトルが降ってきたと感謝している。
編集者のアドバイスではなく、自分で決めたこのタイトルは、
練りにねったというより、いくつものアイデアを、幾日も頭に浮かべては
消す作業を繰り返していたら、ある日突然降ってきたものだ。
正直言って偶然の産物だ。
本を読んだ人にはタイトルがいいねと「目のつけどころ」を褒められたり、
そのあと「目のつけどころ」セミナーを幾度も開催するきっかけにもなった。
あの経験は、タイトルに対する取組む姿勢を僕に教えてくれた。
いま新たに産み出そうとしている2つの事業、
『上達の約束』と『名脇役』。
どちらもタイトルが気にいっている。
これは事業をやるうえでとても大事なことだと思う。
2017/10/25
来週開催のシンポジウムでモデレータを務めることになった。
江戸川区の町工場で打ちあわせの午後だった。
https://communicationba.jp/projectSAKURA/
なぜカタカナを使うのかはわからないが、
モデレータとは「盛り上げ司会」だ。
登壇される方は、話慣れているとは限らない。
うまく引き出して会場全体を一つの空気にまとめていく
指揮者でもある。
パネラーは4人の町工場の社長さんたちで、みなそれぞれ熱い。
自分が造った器具で日本人メダリストを誕生させる夢を語っていた。
その夢を会場の聴衆者に届け、心に遺すのが
11月1日の僕の仕事だ。
2017/10/24
この家に住んで17年が経つ。
その間、何度蛍光灯を変えたか覚えていない。
しかし、天井の蛍光灯からぶら下がる紐が外れたのは
今日が初めてだった。
せっかくだから、長い紐にして、寝ながらオンオフできるようにしよう。
ものぐさな方向ではすぐにアイデアが浮かぶ。
円形の蛍光灯のカバー外に出ている、レバーに結び付けて準備OK。
さっそく引っ張ってみた。
あれっつかない…。
もう一度強めに数度引っ張る。
いつも手に伝わる「明るさの段階」がない。
さては何かやってしまったか。紐が外れたときに何かが起きたのか。
そう思ってカバーを外し点検する。
異常は見当たらない。
うーむ。こういう時に人の頭は進化するもんだ。
本当は「いらっ」としている自分を無理やりポジティブに変換して、
違う部屋の同型のものと行き来すること数度。
ようやく原因がわかった。
カバーの外に出ているレバーに単に結びつけるだけではだめで、
そのレバーの奥にある「何か」に紐がつながっていて、
それを引っ張って今まで電気をつけていたのだ。
下から見れば単純にレバーを下げているだけに見えた紐。
17年間、ほぼ毎日何度か使ってきた。
恐らくその回数は2万回は越すだろう。
しかし一度たりともその仕組みに思いをよせなかった。
こんな日常の習慣の裏に、思わぬ仕組みが隠れていた。
少し首が痛いが得した気分だ。
2017/10/22
「春は目の季節、秋は耳の季節」
というとおり、秋は虫の音が似あう。
今日は一日中、雨音の日だった。
僕の耳は顔から立って横に広がっている。
耳大きいねと言われるが実はそれほどでもない。
人の言うことを良く聞いて育ったから耳が立った
と信じているが、真相は逆かもしれない。
ところでジョン・ケージという現代音楽家の本で
ある曲の存在を知って驚愕した。
『4分33秒』
試しに「聴いて」みてほしい。
http://mjk.ac/zZwn7f
音とはなにか。
耳がいくら立っていても
もう一度考えなおさないといけないかもしれない。
2017/10/22
今日、妻が味噌づくりのイベントに参加して、米麹、麦麹、
あわせて5Kの味噌を重そうに持って帰ってきた。
食べられるのは半年後だそうだ。
秋から冬にかけて味噌づくりのシーズンなのは、農作業が
一段落した季節に味噌を仕込んだ名残らしい。
最近みなくなったササニシキは、水分が少なくごはんとしての
需要は減ったのだが、味噌づくりにはぴったりだという。
そんな仕入れたばかりの話をしながらも、味噌の出来栄えには
自信がありそうだった。
そういえば、僕もいま仕込んでいるものがある。
来月から始まる『上達の約束』。囲碁界初の上達保証付プログラム。
https://peraichi.com/landing_pages/view/jotatsu-promise-igo
こちらも「手前味噌」ながら、味には少々自信がある。