2018/01/15
―ん?結構軽いね。札束ではないようだな。
父はデパートの包装紙に包まれた少し大きめの箱を手にして
顔をほころばせた。
こういう軽口は喜んでいる証拠だ。
半世紀近く息子をやっているとわかる。
父の誕生日は正月気分が少し落ち着く1月3日。
今年は喜寿の御祝いに帽子をプレゼントした。
その日以降、散歩のときはいつもかぶっていると母から聞いた。
先日の伯母の葬儀のときも「どうだい、似合うだろ」と
嬉しそうだった。
実はこの帽子、買うときにちょっとした“事件”があった。
売り場にたくさん並んでいる帽子から1つを選んで会計を頼んだ。
店員は店の奥に新品をとりにいった。その時だった。
―あれっこの帽子だけ安くなっているわ。
ショーケースの上に10個ほど並んでいる帽子の中で
1つだけ値札が安く貼りなおされているのをつれが見つけた。
―色も違うし別のだからじゃない?
この意見はすぐに却下された。間違いなく同じもので色違いだという。
もとより細部への目配りで僕の出る幕はない。
―この帽子だけ“わけあり”なんじゃない?
もっともそうなこの意見もスルーされた。
戻ってきた店員をつかまえてすぐ質問している。
―もうしわけございません。
正しくは先ほどお渡し頂いたお品物に貼られた値段なのですが、
お客様はいまこちらの値段を見てしまわれたわけですので…。
実は数日後に始まる初売りセールの準備品が、なぜか1つだけ紛れていたのだ。
動揺の色が隠せない店員は、いったん上司の判断をあおぎにもどった。
結局父の帽子もセール前ながらセールと同じ値段にかわった。
会計をお願いしている途中で5千円安くなるという事件は、
庶民のテンションをあげるには十分だった。
―これでさっきのランチが浮いたね~
贈った側にとっても心に残る贈り物になった。
2018/01/14
子供の頃はいつも、早く終わらないかなぁと
それは「耐える時間」だった。
大人になって、耐える時間から「過ごす時間」にかわった。
儀式として理屈ぬきで必要なものは歳とともに増える。
最近は過ごす時間から「想う時間」にかわってきた。
通夜と告別式2日間で合計1時間はたっぷりお経を聞く。
その言葉の意味は耳をすまして聞いてもわからない。
だが1時間は、集中してその人を想う時間としてちょうどいい。
同じように想う人といっしょに過ごすがゆえに、
これから想い続ける始まりとして大切な1時間となる。
2018/01/11
今日は全碁協(全日本囲碁協会)の打合せで8名が集まった。
2月12日(月祝)に菊池康郎理事長の米寿を祝う「まつり」を
開催するのだ。
打合せがおわり、お酒もいれながら第2ラウンドが始まった。
中心メンバーのUさんが笑顔で
「〇〇さん(女性メンバー)がね、私にすぐ怒る、って文句言うんだよ。
でもね。僕は自分が儲かるとか、得するとか、そういう話で
怒ってるわけじゃないんだよなぁ」
理事長がつづける。
「そうだよ。怒ってくれるというのは大事な存在なんだよ」
目の前にいる〇〇さんも笑顔でかえす。
「だっていつも怒られてばかりなんですー」
ここで思いだした。
―いつも自分の損得で怒る人
―いつも自分のこと以外で怒る人(自分の損得では怒らない人)
世の中には二種類の怒る人がいる。
Uさんはもちろん後者だ。
そして僕が友情を感じるシニアもいつも後者だった。
2018/01/10
どんな時も明るく味方してくれた。
47年間、甥としての実感だ。
一昨日、伯母が亡くなった。
2ヶ月半が平均の緩和ケア病棟で4ヶ月以上がんばった。
だが平均寿命まであと干支一周分残っている。早すぎる。
まんなかの母を含め、たまにおしゃべり三姉妹が揃うと、
展開が読めない掛け合い漫才が始まった。
みなが集まる正月やお盆の密かな楽しみだった。
8月の終わりにお見舞いにいったとき手紙をくれた。
4枚の便箋にぎっしりと思い出と想いが綴られていた。
僕は47年間ずっと「あっちゃん」だった。
伯母は30年前に20歳の娘を交通事故でなくしている。
親が子を供養する逆縁は世の中で一番つらいとされる。
今頃あちらで再会しているだろう。
そう思うとき、少しほっとする自分もいる。
伯母さん、ありがとう。
2018/01/09
昨日は13回目の石音新年会で31名が集まった。
ネットで仕事をしながら毎回思う。
会うのは楽しい。
10年以上石音で楽しんでいる常連メンバー5人も、
みな80代になってきているが元気そうだった。
ふだんネット上で見ている顔写真が10年前のままだから、
会うと自然と歳月を感じる。
そして今年もまた会えた喜びがこみあげる。
言葉にするのが難しいが
同年代の友人とは会う喜びの質が違う。
石音を始めてよかったと思う瞬間だ。