• ホーム
  •  > 
  • 500人の笑顔を支える、ネット碁席亭日記

根本席亭ブログ 500人の笑顔を支える、ネット碁席亭日記 囲碁の上達方法やイベント情報など、日々の出来事を発信していきます。


―ん?結構軽いね。札束ではないようだな。



父はデパートの包装紙に包まれた少し大きめの箱を手にして

顔をほころばせた。




こういう軽口は喜んでいる証拠だ。

半世紀近く息子をやっているとわかる。




父の誕生日は正月気分が少し落ち着く1月3日。

今年は喜寿の御祝いに帽子をプレゼントした。




その日以降、散歩のときはいつもかぶっていると母から聞いた。

先日の伯母の葬儀のときも「どうだい、似合うだろ」と

嬉しそうだった。




実はこの帽子、買うときにちょっとした“事件”があった。



売り場にたくさん並んでいる帽子から1つを選んで会計を頼んだ。

店員は店の奥に新品をとりにいった。その時だった。




―あれっこの帽子だけ安くなっているわ。



ショーケースの上に10個ほど並んでいる帽子の中で

1つだけ値札が安く貼りなおされているのをつれが見つけた。




―色も違うし別のだからじゃない?



この意見はすぐに却下された。間違いなく同じもので色違いだという。

もとより細部への目配りで僕の出る幕はない。




―この帽子だけ“わけあり”なんじゃない?



もっともそうなこの意見もスルーされた。

戻ってきた店員をつかまえてすぐ質問している。




―もうしわけございません。

​ 正しくは先ほど
お渡し頂いたお品物に貼られた値段なのですが、

​ お客様はいまこちらの値段を見てしまわれたわけですので…。




実は数日後に始まる初売りセールの準備品が、なぜか1つだけ紛れていたのだ。



動揺の色が隠せない店員は、いったん上司の判断をあおぎにもどった。

結局父の帽子もセール前ながらセールと同じ値段にかわった。



会計をお願いしている途中で5千円安くなるという事件
は、

庶民のテンションをあげるには十分だった。



―これでさっきのランチが浮いたね~



贈った側にとっても心に残る贈り物になった。



子供の頃はいつも、早く終わらないかなぁ

それは「耐える時間」だった。




大人になって、耐える時間から「過ごす時間」にかわった。

儀式として理屈ぬきで必要なものは
歳とともに増える。



最近は過ごす時間から「想う時間」にかわってきた。



通夜と告別式2日間で合計1時間はたっぷりお経を聞く。



その言葉の意味は耳をすまして聞いてもわからない。

だが1時間は、集中してその人を想う時間としてちょうどいい。



同じように想う人といっしょに過ごすがゆえに、

これから想い続ける始まりとして大切な1時間となる。



今日は全碁協(全日本囲碁協会)の打合せで8名が集まった。



2月12日(月祝)に菊池康郎理事長の米寿を祝う「まつり」を

開催するのだ。



打合せがおわり、お酒もいれながら第2ラウンドが始まった。



中心メンバーのUさんが笑顔で



「〇〇さん(女性メンバー)がね、私にすぐ怒る、って文句言うんだよ。

でもね。僕は自分が儲かるとか、得するとか、そういう話で

怒ってるわけじゃないんだよなぁ」



理事長がつづける。

「そうだよ。怒ってくれるというのは大事な存在なんだよ」



目の前にいる〇〇さんも笑顔でかえす。

「だっていつも怒られてばかりなんですー」



ここで思いだした。



―いつも自分の損得で怒る人

―いつも自分のこと以外で怒る人(自分の損得では怒らない人)



世の中には二種類の怒る人がいる。

Uさんはもちろん後者だ。



そして僕が友情を感じるシニアもいつも後者だった。



どんな時も明るく味方してくれた。

47年間、甥としての実感だ。



一昨日、伯母が亡くなった。

2ヶ月半が平均の緩和ケア病棟で4ヶ月以上がんばった。

だが平均寿命まであと干支一周分残っている。早すぎる。



まんなかの母を含め、たまにおしゃべり三姉妹が揃うと、

展開が読めない掛け合い漫才が始まった。

みなが集まる正月やお盆の密かな楽しみだった。



8月の終わりにお見舞いにいったとき手紙をくれた。

4枚の便箋にぎっしりと思い出と想いが綴られていた。

僕は47年間ずっと「あっちゃん」だった。



伯母は30年前に20歳の娘を交通事故でなくしている。

親が子を供養する逆縁は世の中で一番つらいとされる。



今頃あちらで再会しているだろう。

そう思うとき、少しほっとする自分もいる。



伯母さん、ありがとう。



昨日は13回目の石音新年会で31名が集まった。



ネットで仕事をしながら毎回思う。

会うのは楽しい。



10年以上石音で楽しんでいる常連メンバー5人も、

みな80代
になってきているが元気そうだった。



ふだんネット上で見ている顔写真が10年前のままだから、

会うと自然と歳月を感じる。

そして今年もまた会えた喜びがこみあげる。



言葉にするのが難しいが

同年代の友人とは会う喜びの質が違う。



石音を始めてよかったと思う瞬間だ。


 

PAGE TOP