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2022/08/12

中国珍道中 「最初の夏休み(後編)」


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天安門広場に通じる北京の大通りは、日本のそれとはだいぶ印象が違う。

まず幅が広い。片側7、8車線はあるだろうか。そして自転車が多い。



北京に到着した翌朝、寝ぼけまなこで部屋のカーテンをあけたとき、

最初眼下に川が流れているかと勘違いした。眼鏡をかけてよく見ると、

同じ方向に同じ色彩の服をきて走る何百台という自転車だった。



その自転車をよけるように車、そして大型バスが走る。

バスといっても日本の路線バスの2台分が連結されていて、

しかも超すし詰めだ。1台に150人は乗っている。活気あふれる

というより、みな全力で動いている。生きている。



鈴木さんを迎えにきた会社の車は、大通りを縫うように進んでいく。

遮音性の高い高級車の車内からは、外の様子が別世界のように見える。



「まさかMR.NEMOTOが今年入社した新人とはびっくりですよ」

「そうかのう、言ってなかったかのう。根本君はわが囲碁部で実力

トップクラスのホープなんじゃ。がははー」



中国総代表の千葉常務と鈴木さんが後部座席で旧交を温めるのを

助手席で背筋を伸ばして聴く。



ほどなくレストランに到着して5名での会食が始まった。

5名といっても、実質は4プラス1だ。

円形テーブルの話題は、中国の情勢、会社の経営の話に終始した。

話に耳は傾けるが、中身はまったくわからない。

もちろん意見を求められることもない。



自然と僕の興味は、次々と運ばれてくる本場の中華料理に移った。

格別美味な上海ガニを食するのに手間取ったため、それほど

退屈することなくこの時間を楽しめたのはよかった。



食後に鈴木さんを囲んで写真を撮ってもらう。



この10年後、商社に勤務しながら結局一度も駐在することなく「石音」

を起業する道を選んだ僕には、駐在員との交流を記念する貴重な1枚となった。



もちろんそのときは、そんな未来が待っているとは知るよしもなかった。





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宿泊している日系のホテルではフロントでもショップでも

日本語が通じた。ここの従業員は日本語が出来ることが

条件になっているようだ。



着いたときから気になっていたフロント脇のショップに

入ってみた。



「お兄さんは日本のどこの人ですか?」



僕より若いと思われる女性店員から話かけられた。

東京だと答える。



「お兄さんは怪しい上海の人に見えます」



想定外の返しでずっこけた。こういうとき相手に興味をもって

会話をはずませるのが自分の特徴だ。



「どこが上海なの?何であやしいの?(笑) それにしても日本語うまいね」



顔立ちと背が高いところだという彼女達の説に説得力はないが、

そんなことおかまいなしにすぐに3,4人の店員に囲まれて

質問責めにあう。暇つぶしの恰好の相手があらわれたということらしい。



ハルピンの日本語学校で学んだという日本語は、発音も

イントネーションも正確で驚いた。ぼろぼろになった日本語の教科書が

ショーケースの下から出てきて、単語の意味を聞いてきた。

即興の日本語教室が始まった。



北京滞在の4日間、このショップには何度も足を運んで店員とは

皆名前でよぶほど仲良くなった。ツアーメンバーは自分の親より年上の人

ばかりなので、同世代との会話が楽しかった。



朝食後、近くの小さなデパートにも足を運んでみる。

デパートと思ったが、ワンフロアに30ぐらいの小さな店がひしめく

屋台村だった。客引きが盛り上がっている。



ぶらぶらしていると、ジーンズがたくさん天井から下がる店で

きもったま母さん風のおばさんにつかまった。



「お兄さんこれリーバイスよ、安いよ」



つり下がるジーンズのひとつを手にとって僕に見せる。



試しに、いくら?と中国語で聞いてみる。練習してきた中国語のひとつだ。

返答を聞き取れる自信はないが、おばさんはニコリともせずに

電卓をだして数字を見せた。500元、日本円にすると7千円だ。



最初からジーンズを買うつもりはないので、不要(ブヨ)と答えて

立ち去ろうとした。そうすると、また僕の袖をひっぱり電卓を見ろと

ジェスチャーをする。数字が400になっている。



―やはりな。こういう場所では値切るのが常識だからな。

 ほれ2割さがった。



そう思うもこちらは買う意思とお金、語学力の3つがぜんぶ足りない。

また立ち去ろうとすると今度は数字が300になった。



―あれっおかしいな。確かにリーバイスってラベルにあるけど

 中古品か不良品かな。



別の興味が沸いたが、ますます買うわけにはいかない。

隣の店にいこうとしたとき、おばさんは驚くべきひとことを発した。



「まったくもう本物のリーバイスなのよ。じゃあ100元でどう?」



―自分で言ってることがわかってるのかな…



心の中で爆笑だ。

手にはいつの間にか天井から取り外したリーバイスがある。

ものの5分で8割引きになってしまったが、本物だと真顔で主張する

おばさんの顔をみているうちに買ってみようという気になってきた。



試着室のような洒落たものはもちろんないので、その場で長さだけ

あわせて100元で「本物の」リーバイスを買うことになった。



あとで知ったがこの建物は有名な巨大偽物市場だった。

買いにくる人もわかって買っているので問題にはならないそうだ。



それはさておき、ホテルに戻りすぐ試着してみる。

サイズはぴったりで切る必要はない。



―1400円ならいい買い物だったかな。やりとりも楽しかったし。



そう思って脱いでいるとき、チャックの上部にあるボタンが

ポロリと取れた。





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ツアー3日目の日中は北京郊外への観光だった。



バスにゆられて90分、明の十三陵とよばれる明の皇帝の

陸墓群についた。第三代永楽帝の墓もある。

着工から完成まで200年、広さは40kmにも及ぶというから

日本とは規模が違う。新宿から八王子まで延々と13人の墓が

並んでいるようなものだ。



次に万里の長城に向かう。北京からは一番メジャーなもので

八達嶺(バーダーリン)長城だ。10数年後、同じく北京郊外

の別の長城に足を運ぶことになるが、そこは幅が1mほどで、

草が背丈ほど生え放題であちこち崩れていた。裏山のがけといった

風情で誰も歩く人はいない。長城と言っても様々なものがある。



ここの長城はもともと馬が4頭横並びで歩けるように造ったもので

広い中国で一番有名な観光地ゆえきちんと整備もされている。

写真でよく見る光景が広がっている。観光地に来ると自然と確認

してしまう、「写真でよく見る光景に会えた」満足感はあった。



だがこの長城より印象に残ったことが3つある。



到着の少し前、車窓から奇妙な看板を目にした。

万里の長城が建設中とある。修復中ではなく建設中だ。

なんと、観光のピーク時にさばききれないため、近くにもう一つ

「新品の万里の長城」を造っていた。これには仰天した。



日本のGWにあたる労働節とよばれる休暇には、近くの高速道路は

延々10kmも路駐のバスが並ぶという。混雑緩和という目的で

遺跡を新たに造ってしまう発想には驚いてしまう。



同じく車窓から、山に大きく掲げられた「緑化運動推進中」の看板が

見えたとき、少し違和感があったので目をこらしてみた。

こちらはなんと、岩肌を緑のペンキで全面に塗っている。

ガイドに聞けば、これも本気で「緑化」を推進しているのだという。

たしかに禿げた茶色が広がるよりは見た目は麗しくなるが、これも

発想の飛躍なのか、それともここではこれが普通なのか。



そして長城の観光をおえてバスに戻ると、長城の絵がはいった

Tシャツを手にした売り子たちが窓の下に集まって連呼した。



「これ千円、1枚千円、安いよ。日本円でいいよ」



日本語である。誰かが窓をあけたら、彼のボルテージはさらに

あがった。勢いに負けて財布から千円札を出すのが見えた。

すると、となりの売り子が2枚で千円と言い出した。



車内は点呼が始まり間もなく出発だ。エンジンがかかる。

買った人が隣の人にちょっと自慢気にTシャツを見せている。

まぁ千円だったらいいんじゃないか。そんなやりとりが

かわされたそのとき、この人に売ったばかりの売り子が

大声で叫んだ。



「20枚で千円!」



―なに!1枚50円か。



後ろの席から様子をうかがっていた僕は噴き出した。



「おい、1枚千円で買っちゃったよ…」



買ったシニアの悲痛な声に、車内は爆笑に包まれた。





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3日目の夜はツアーメンバーと北京ダックの「全しゅ徳」だった。

現在は新宿や銀座にも支店を出している北京随一の歴史を誇る名店だ。



ローストしたアヒルの皮を食べるのは知っていたが、薄い生地で

はさんで一緒に食べる食材の種類の豊富さに驚いた。前夜とちがい、

他のメンバーと会話をしながら本場の味を楽しんだ。



昼間がっつり観光をしても、ここ中国には囲碁を打ちにきている。

夜はホテルの一室がずっと対局ルームとして開放されていて、

毎晩日付がかわる頃まで打ち続けた。



中国棋士で日本語堪能な王さんは、夜も指導や検討につきあって

くれた。僕と鈴木さんはいつも一番遅くまで熱心に指導を受けた。



囲碁は中国で4千年前にうまれたと言われる。

さきほどのダックもそうだが、これが「本場の力」というものか。

ここにきてわずか3日で腕が少しあがった気がする。少し冷えていた

囲碁熱も再燃した。



その晩、僕の対局が終わったのが0時半頃。ふと横を見るといつの

まにか鈴木さんがいない。さすがにもう疲れて先に寝ているのだろう。



そう思って部屋に静かに戻ると、部屋の電気はついていて

テーブルにマグネットの碁盤がきちんとセットされていた。



「さて根本君打つかね」



笑顔でビールを飲みながらこれである。

限界を越えろということか。



一週間の旅行中、毎晩2時すぎまで囲碁漬けだった。

とても還暦を過ぎている人とは思えない。

商社マンの体力は恐ろしいものだった。





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ツアー後半には北京から西安に移動した。



国内移動なので飛行機は小型で高度もそれほど高くはない。

眼下に見える中国国土の景色を夢中で楽しんでいると

あっという間に到着した。



西安には秦や漢、隋や唐など歴代の中国の都「長安」が

おかれた。唐の時代に長安は世界一の都市でもあった。



着いてまず目についたのは、市内を取り囲む城壁だ。

600年ほど前につくられた当初の姿のまま現在も使われている。

こちらも古城壁としては世界一の規模で周囲が13.7キロにも及ぶ。

皇居の3倍だ。



北京では中国棋院にいって現地の人やプロと打ったりして、

囲碁の合間に観光、だったが、ここでは観光の合間に囲碁、と主従が

逆転した。色々なものを見て回りたい僕にはありがたかった。



兵馬俑ではまずその規模の大きさに衝撃をうけた。

奥行が200mはありそうな巨大な体育館に案内された。



おそらく発掘現場の上に建物をつくったのだろう。

僕と同じぐらいの大きさの兵士たちが何千体と並んでいる。

みなそれぞれ顔や持ち物が違う。



1974年に偶然発見されて20年がたった今も発掘が

続いている。ほかにもいくつか発掘現場があって、いま

掘り出している最中の様子も間近で観ることができた。



ここ西安はシルクロードの起点だ。そしてこういう文化

と文化が出会う場所は食事が美味しいと相場がきまっている。



昼には小麦の麺にイスラムの香辛料がはいったものと、

冷えてない青島ビールを楽しんだ。



「根本君、ちょっとそこの門のところに立ちなさい。

 写真とってあげるから」



午後の自由行動の時間には、鈴木さんと2人で西安大学にまで

足をのばした。



鈴木さんは自分の写真はさておきなるべく僕を写して

くれようとした。囲碁のときはのぞいてだが。



「根本君、いまのは何だね」



目の前をかなりのスピードで自転車が走り去った。

よく見ると自転車のおじさんは両足を宙に浮かしている。

こいでいないのにペダルが猛烈な勢いで回転している。

ここは坂道ではない。



「何でしょうか。原付バイクに自転車のペダルがつい

 たようなものですね。でも何でペダルが…」



遠目に見てもペダルの猛烈回転がユーモラスだ。

免許をもってない人の苦肉の策なのだろうか。



談笑しながら小1時間歩きまわったが、他人からは37歳違う

僕らはどう見えるのだろう。そう思うと少しおかしくなった。



親子にしても会社の上司部下にしても歳がはなれすぎている。

もちろんおじいさんと孫ではない。



今おもえばそのとき鈴木さんと僕は、ただの「友達」だった。



もとより盤上では友達同士のように囲碁を楽しんでいたが、

ここ中国にきてそれが盤外にも飛び火した瞬間だった。





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37歳離れた「スーさんとネモちゃん」の中国囲碁旅行は、

いったんはじまったら途中から時間がぐんぐんスピードを

あげてすぎていった。



帰りの飛行機では、マグネットの碁盤をトレーにおいて

隣同士で対局に没頭した往路とはちがって、2人とも

目を閉じてしずかに過ごした。



隣からはかすかに寝息が聞こえるが、僕は心地よい疲れを

感じながらも眠ることはなく、旅の印象的なシーンを

思い返していた。



離陸直後に対局を始めた僕らが、すぐにスチュワーデスに

怒られて小さくなったこと。



鈴木さんのおかげで現地の駐在員に歓待されるも、歳が

離れすぎて僕がMR.Nemotoだと気づかれなかったこと。



中国囲碁界のレジェンド、陳祖徳九段の隣で夕食と会話

を楽しんだこと。



その時はもちろんだが、四半世紀が過ぎた今でもどれも

はっきり思い出せる。



旅は家につくまでとはよく言ったもので、今回は成田空港に戻って

おしまい、とはならなかった。



「えっ根本君は車で来てるのかね。それじゃねぇ、

   申し訳ないけど家まで送ってもらえるかな」



空港まで自分の車できていたので、大船にある鈴木さんの自宅まで

送っていくことになった。だいぶ遠回りになるが、面倒ではなかった。

どこかでもう少しこの旅を続けていたいと思ったのかもしれない。



飛行機の隣の座席や、対局しているときも互いの距離は近いのだが、

マイカーの空間はひとあじちがった。



それは、不思議と心地よい緊張感をともなう近さだった。

きっと、この一週間、寝食と盤上盤外を一緒に過ごしたからだ。



あのときは愉快だったなぁ。あれは美味しかったのう。とつづく

感想のやりとりが、車が鈴木さんの家に近づくにつれて、そして旅が

ほんとうの終わりに近づくにつれて、どんどんボルテージを

あげていった。



玄関から出てこられた奥様に初めて挨拶した。

温和な表情と語り口のむこうに芯の強さがうかがえる方だった。

鈴木さんに聞こえないように声のトーンを落として言った。



「楽しい旅行だったようですね。主人の顔を見れば

   わかりますよ」



奥様の目が少しいたずらっぽく笑った。

言われてすこし嬉しくなった。



囲碁という不思議な魅力をもつ道具によって、ふだん

経験できないような旅ができたことは幸せだった。



思えば仕事中の一本の内線電話から始まった、

僕の「最初の夏休み」が終わった。 



ー最初の夏休み(完)ー


 

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