2022/08/12
(1)
これから何回かにわたり「目のつけどころ」の話をする。
当欄でとりあげるのには3つの理由がある。
日々の生活や仕事で閉塞感、マンネリ感が広がるなか、
それを打破して前進するには「目のつけどころ」を
変える必要がある。もちろん「上達」においても同様だ。
そしてAI時代到来で、様々な価値の変化が起きている。
たとえば「知っている」ことの価値は日々さがっている。
クイズ王を決める番組は20年前と比べてかなり減った。
いっぽう、正解のない世界で納得解を導く能力は
一層求められるようになった。AIは正解を見つけるのに
優れているが、人ならではの「目のつけどころ」の
価値は劇的にあがっている。
さらに、この「目のつけどころ」を鍛えるのに囲碁が
非常に役に立つ。囲碁で目のつけどころを鍛え、その鍛えた力
で囲碁が上達する。こんな素敵な循環を起こさない手はない。
ところで「目のつけどころ」とはいったい何だろうか。
1週間考えてみてほしい。
(2)
皆さんは本を読むとき、どこに線をひくだろうか。
すでに知っていることにひくだろうか。
まったく知らないことにひくだろうか。
読んで「なるほど!」と軽い驚きと共感が生まれるとき、
私たちは本に線をひく。
知っていることと知らないことの間。
知っていたはずなのに言われるまで気づかなかったこと。
「目のつけどころ」とは、普段何気なく目にするものや
起こったことに「ちょっとまてよ」と立ち止まり、
線をひくところだ。
「目」をつかう表現で「目利き」というのは正解に近づく
イメージがあるが、「目のつけどころ」にはそれがない。
正解がない世界。それは囲碁もそうだが、奥が深く人を魅了する。
「上達」ともきってもきれない関係にあるのは、まちがいない。
(3)
流れゆく大量の情報の中で、ふと立ち止まり考える。
これが「目をつける」ということだ。
目をつけたところが周囲に軽い驚きと共感を与えると
「目のつけどころがいい」となる。
では、どこに目をつけるといいだろう。
答えは本には書いてない。自分の中にある。
それは「違和感」だ。
あれっと自分が感じた瞬間を見逃さず、いつまでも根にもつ。
変な人と言われようが、暇だねと言われようが関係ない。
効率も正解も求めない。
徹底的に「違和感」を根に持つ。
「目のつけどころ」の芽はタケノコ掘りのように
サインはわずかだ。いったん見つけたら忘れないように
印をつけるといい。
例をあげてみよう。
大学生のとき、初めての海外旅行で帰りに土産を買い過ぎて、
空港で超過料金をとられることになった。体重が倍ありそうな
となりの巨漢の荷物は、普通のリュック1つでそのまま
チェックインしていた。
ちょっとずるいなと思った。
飛行機にかかるコストは、専有面積と総重量の関数ではないのか。
ならば超過料金かどうかは体重と荷物をセットにして決めてほしい。
新入社員のとき、残業で終電になったが月曜だったからか座って
帰れたことがあった。同じ週の金曜日も終電になったが、朝の
ラッシュよりもひどい混雑ぶりだった。
なんで夜なのに、朝より疲れているのにこんなに混んでるんだ。
ひどい鉄道だと思った。
電車の運行コストは、一週間に何本走らせるかではないのか。
ならば終日ダイヤを平日と休日にわけるのではなく、
朝だけ平日と休日ダイヤに、夜は木金とそれ以外の2つにわけてほしい。
どちらも「あれっ」と思ってから四半世紀、ずっと根にもっているが
まだサービスとしてお目にかかったことはない。
だがこうして自分の記憶の中につけた印は、別のジャンルや
経験の中できっと活きてくると信じている。
(4)
流れゆく情報の海の中でふと立ち止まり考える。
こんな癖をつけるには、自分のなかに生まれた違和感を
根にもつといい、という話を前回した。
「あれっ?」を増やすのにひとつお薦めの方法がある。
言葉に敏感になることだ。
朝起きて歯を磨く。あれっ…。
なんでまだ「歯磨き粉」っていうのだろう。
粉ではなくペーストになって50年は経っていそうだ。
昼食で回転ずしに入る。本日の特売と書いた札とともに
大トロが流れてくる。続いて中トロも。あれ…。
なんで小トロがないんだろう。
おやつに有名な「おさつスナック」に手をのばす。
ふと裏をみると原材料のところにさつまいもと並んで
「焼きいも」とある。あれ…。
焼きいもの原材料がさつまいもなんじゃないか。
夕食の準備をする。
最近は手間のかからない無洗米しか使わない。あれ…。
なんでお米は「洗う」ではなくて「研ぐ」なのに
無研米とよばないのだろう。
季節をあらわす言葉に目をむける。
いまは暖かい日と寒い日が数日おきにやってくる。
いわば三温四寒だが、そうはいわないのはなぜだろう。
そういえば初冬の暖かい日を小春日和というが、
初夏の肌寒い日を小秋日和とはいわない。
あたりまえに流れている言葉をうのみにせず、
自分の頭で考える。
この力を磨くと目のつけどころが鍛えられる。
千本ノックのごとく、周囲にあふれる言葉に
目を向けるのは、誰でもいますぐできる簡単な訓練だ。
そして見つけたらどんどん友達に話してみよう。
暇な奴だなー、と笑われるかもしれない。
それでいい。
(5)
目のつけどころを鍛えるには、「違和感を根に持つ」といい。
そうするには「言葉に敏感になる」といいと前回つたえた。
くわえてひとつ大事なことがある。
それは「調べない」ということだ。
なーんだ、そんなことかと思った人のなかに
この1週間、一度も検索していない人はいるだろうか。
電車の時刻や、これから行く店の評判、
見る予定のテレビ番組や映画。
スマホと優秀な検索エンジンを手にした僕らは、
まるで呼吸のように意識せず、「不確実な未来」を
確実にしようと日々調べている。
その都度、気づかないうちに2つ損をしている。
1つは、不確実な未来に起こったかもしれない出会いや
感情の動き、友達に話したくなるネタ、何より自分が
「面白い」と感じる出来事が消えている。
まるで、お金を払ってはいったお化け屋敷で、どこで
どんなお化けが出てくるかを事前に調べてしまったかのように。
もう1つは、自分の頭をつかって考える機会が消えている。
別の言い方をすると、「好奇心」が少しずつ減っている。
好奇心を育むのは本当に難しい。
増やすのが難しいならば、せめて子供の頃に育んだものを、
大人になってどんどん失うのを止めたい。頭髪のように。
損をしたくないと思って検索していると、
結局損しているというのは皮肉だが、これが現実だ。
ではひとつ、調べないで考えて頂きたい。
一日千秋。
なぜ「秋」なのだろう。
秋の夜長にどうぞ。
(6)
目のつけどころを鍛えるには、違和感を根に持つといい。
その時は調べないのが大事だと前回つたえた。
2番目の目のつけどころの鍛え方は、「視座を変える」だ。
視座を変えるとは、立場を変えて見るということ。
対局中の「棋譜見せて」や将棋の「ひふみんアイ」は、
相手の立場から見て新しいアイデアを探す苦肉の策といえる。
あまり知られてはいないが、社会では多くの新しいサービスが
この「立場を変えて見る」から生まれている。
簡単にできるわりに多くの人が気づかない。
目をつけるにはもってこいのワザなのだ。
「世界一の朝食」で有名になった神戸のホテルが
朝食に目をつけたきっかけは、チェックアウト時間を
守らない客対策だったという。
ふつうホテル側にたって注意喚起の方法に目が向くが、
「美味しい朝食を提供すれば客は喜んで起きる」は、
立場をかえて客から見たからこそ生まれた発想だ。
そういえば、『上達の約束』も「立場をかえて見てみよう」
から1年前に始まった。
囲碁教室ではふつう先生の「教え上手」に目がいきがちだが、
どうしたら生徒が「教わり上手」になれるだろうかと考えた。
ゼロからスタートした教室がこれから伸びるかどうかは、
この目のつけどころにかかっている。
それでは、この10数年ずっと世間を騒がせ続けている、
この問題はどうだろう。
「オレオレ詐欺を減らすにはどうしたらいいか」
もちろん「調べずに」自分なりに考えてみてほしい。