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2022/08/14

笑顔の法則(後編)


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住職さんの柔らかな笑顔が好きだ。



笑顔というより微笑みに近いかもしれない。

口をあけて大声で笑うということはあまりない。

落ち着いた優しい心が顔に自然にあらわれる。

不思議とこちらもおだやかな気持ちになる。



そんな住職さんを二度、素で驚かせたことがある。

僕は人を驚かせるのも好きだ。



三年前の夏、その住職さんが長年務めた京都の西本願寺を

案内して頂くことになった。



彼は私の囲碁サイト『石音』の常連で、毎日顔写真を拝見して

もう8年にもなっていたが、会うのは初めてだった。



「あらーほんまにぎょうさんですなぁ」



目が真ん丸になって笑っている。無理もない。



最初は1人で伺う予定が、つれと2人でとなり、さらに

弟家族、妹家族、両親と増えて10名の「ご一行様」になっていた。

つれも一緒にいいですか、と確認した際に

何名でもどうぞ、と言われ、ついその言葉を真に受けたのだ。



普段非公開の場所を、ぞろぞろとついていく。

安土桃山時代から今に残る国宝が次々に登場する。

僕は感激と興奮で口があけっぱなしになった。



途中、国内最古の能舞台を前に、3歳と5歳の姪が

仲良く座っていた。国宝にそそうがないか少し心配になる。

2人を見つめる住職さんはいつもの笑顔に戻っていた。



そして一昨年の冬、琵琶湖のまわりを旅行中にふと

思い出した。



ーたしかあの住職さんのお寺は彦根のほうだったな…。



西本願寺を案内して頂いてから一年以上が経っていた。

旅の道すがらアポなしで訪問するのも面白いかもしれない。

普通の家だと躊躇するが、お寺は自由にお参りが出来て便利だ。



午後2時頃に到着したが、家の呼び鈴に反応はない。

つれと手分けして探すも、お寺も境内も人の気配はなく

ひっそりとしている。



留守かなと思ったそのとき、つれに気づいた住職さんが

何か御用ですか、とお堂から出てきた。



「あっ石音の根本です。突然すみません。

旅行中にちょっと寄らせていただきました」



「えっ!やぁほんまに?ほんまに根本さんや。

えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」



僕をのぞきこむように確認すると、顔をくしゃくしゃにして

小走りで近づいてきた。喜びが伝わってこちらも嬉しくなる。



さっそくお堂の奥の「住職の秘密基地」に案内して頂いた。

毎日この3畳間でネット対局を楽しんでいるという。

石油ストーブの上でやかんが湯気をたてている。



「それは世の中には色々な人がおるけど、会うべき

人とは会えるように出来とるのですわ」



柔らかな笑顔でお抹茶をたてながら、偶然の再会を

こう表現してくれた。



冷えた身体が温まるのと同じく、心も熱くなった。







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一度観たいとずっと思っていた。



観覧は無料。倍率は50倍近いという。

10枚ハガキを書くこと3度目で当たったので幸運だろう。

50年以上、日本中を笑顔にしてきた『笑点』の収録だ。



子供の頃から日曜の夕方になると、親父が日テレに

チャンネルをあわせた。お袋はそれが終わるのにあわせて

晩ご飯の準備をしていた。



あの頃はたしか土曜日も学校があった。

週休2日制になる前の日曜日は今よりも輝いていた。

あのテーマソングは貴重な休みの終わりをつげる

チャイムだった。



当日、入場開始の3時間前に並んだ。親父は目が

悪いので出来るなら近くの席を取りたい。900席

のうち整理券は35番だった。



開始直前に親父たちとも合流していよいよスタートだ。



司会の昇太がすぐそばにきてオープニングを録った。

2本分をまとめてだ。今まで気づかなかったが、

映る観客は2週連続で全く同じ顔ぶれとなるはずだ。



大喜利が始まると、木久扇のボケに親父が笑っている。



「あらうまいじゃない」

円楽の返しにお袋も感心している。



収録中、思わぬハプニングもあった。昇太が出題の際、

「海産物に例えて」という条件を言い忘れて1問目が

終わったのだ。しかし回答者は皆、イカだの蛸だの、

全部きちんと海のもので答えていた。



出題のシーンだけ撮り直しだ。頭をかく昇太に事情を察した

会場は爆笑だった。



「こういうのは見にこないとな」



出題はあらかじめメンバーに知らされていたのだ。

50年欠かさず見続けてきた親父は満足そうだった。



それにしても1問1問が長い。放送の倍ぐらいの時間

をかけている。途中横を見ると、親父は目をつぶっている。

暗がりで観るのに疲れたのか。夢の中かもしれない。



帰り際、水道橋駅に向かう橋の上で親父がつぶやいた。



「一生に一度は観にくる価値があるな」



この笑顔が見れて僕は満足だった。







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つくり笑顔という言葉は少しネガティブだ。

だがそれはまったく似合わなかった。

全力の笑顔は力があった。



近くでやっているので、規模の大きな盆踊りに出かける

きぶんで試しにふらっと立ち寄った。

しばらくその場を動けなくなった。



高円寺の阿波踊りは今年で63回目を迎えたそうだ。

踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々!

アー、ヤットサー  アッ、ヤットヤットー



老若男女、外国人も踊っている。

50人ぐらいのチームがなんと160チームも。

踊り子で1万人、観客は2日間で100万人にもなるという。

1万人の全力の笑顔が、100万人を笑顔にする。



ここに住み続けるかぎり、毎年楽しみにするだろう。







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僕はいつも肝心な時に体を壊すようだ。

つれにはすこぶる評判が悪い。



数年前、真冬のアラスカ旅行当日に発熱して

町医者にかけこんだ。



「今日の夕方からアラスカに行くんです。

マイナス30℃だそうです。何とかしてもらえませんか」



医者は聞き間違えたのかわざとか

「どこに行くって。荒川?」と笑って薬を処方してくれた。



今年のGW、両親の金婚祝いに山梨は笛吹川温泉に

車でつれていった。その前々日、自宅で開いた囲碁会の際、

4寸盤を押入れからひっぱり出すときに腰をやってしまった。

いわゆるギックリだ。



初めての針治療のおかげで何とか旅行は出来たものの、

両親より僕のほうが歩くのが難儀な状態で、

祝うどころか逆に心配をかけた。



そして先週、木曽路を旅する数日前にまた腰をやってしまった。

テラスでプランターの土を運んでいるときだった。

旅の最中、荷物のあげおろしや立ち座りの際は常に

気を使わせることになった。



「これじゃ旅じゃなくて介護だわ」



嘆くつれに返す言葉もない。

こちらは車から降りるだけで2分はかかる。

靴下がひとりで履けない。



最終日、秋晴れに恵まれたので千畳敷カールを

見に行って帰りのバスでのことだった。



「皆様、左手にいまニホンカモシカがいます」



とつぜん車内アナウンスがはいった。



「なにっ!カモシカ?」



僕らはちょうどバスの降り口横の席だった。

瞬時につれは窓に貼りつき、僕はあわててスマホを

手に席をおりて中腰になり、降り口の窓に近づいて

外を見た。カモシカがゆっくり草を食べていた。

僕は慣れない動画撮影にしばし夢中になった。



30秒ほど停まったあとバスはゆっくり動き出した。

「いやーカモシカいたね~」



驚いた顔で席に戻ると、笑いをこらえながら

疑惑の目をこちらにむけている人がいた。



「いまさっと立ち上がって中腰で撮影して、

さっと座ったわよね。カモシカより面白いわ」



またもや返す言葉がない。

こちらも笑うしかなかった。







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旅の途中で出会った笑顔は、何年経っても鮮明に覚えている。



アラスカ最北端の町、バロー。



4千人のエスキモーが暮らす北米大陸最北の地への憧れは、

新田次郎の『アラスカ物語』を読んだ中学生の頃からすこしずつ

大きくなった。そして1993年の2月、大学生の僕を単身極北に

向かわせるまでに成長した。



バローについてまず、お土産を探しにふらっと雑貨屋さんにはいった。

店員は偶然、あの小説に出てくる人物のひ孫だった。

小説の世界と現実がわずかに交差した。はじめての経験だった。



目の前がずっとキラキラと輝いていたが、それがダイヤモンドダストと

気づくのには時間がかかった。吐く息が一瞬でフェイスマスクの

口のまわりに凍りついた。



宿泊したホテル「トップオブザワールド」のツアーに参加した。

エスキモーのトニーがジープで凍った北極海を案内してくれた。

道中、氷上をさまようトナカイの一家や北極熊の親子を見つけた。

僕のワクワクが最高潮に達した瞬間だった。



その興奮冷めやらぬ帰り道、ジープが突然停まった。

360度見渡す限り氷の世界だ。いったいどうしたのか。

すれ違った一台の車が窪地にはまって動けなくなっていた。

運転しているのは年配のエスキモーの女性だ。



先ほどまで流暢な英語で冗談をまじえ僕らを笑わせていたトニーが、

車を降りて話しかけた。その言葉は現地の言葉のようだった。



「みんな、手伝ってくれ!」



トニーが車のドアを開けると、マイナス30℃の冷気が

一気に車内にはいってきた。

車内には僕とアメリカ人のカップルの3人がいた。



こういうことは時々あるのだろう。彼はすぐ車から

シャベルを出して動けなくなっている車のタイヤ近くを

掘り始めた。僕はあわてて手袋をはめて車外に出た。



「せいのっ」



英語ともエスキモー語ともわからないトニーの掛け声を

相図に、僕らは4人で車を持ち上げた。はまった前輪が

道に持ち上がるには少し届かない。男手は3人だ。



トニーの指示で3人の位置を少し変える。

心配そうに車の持ち主が横で見ている。



「よし、もう一度」



僕も掛け声にあわせて渾身の力をこめて車を持ち上げた。

その瞬間、はまったタイヤが少し浮いて道に戻った。



「おおっ」



エスキモーの女性が安堵の声を出して顔をほころばせた。

手をあわせ僕らに何度も、何度も御礼の仕草をする。

村はずれの凍った北極海の上でひとり立ち往生していたのだ。

不安だったに違いない。



言葉は通じないが、陽に焼けて真赤になった顔には不思議と

懐かしい思いがした。エスキモーはアジア系の顔をしている。



極地の低い太陽に照らされた顔は、ダイヤモンドダスト

とは関係なく輝いていた。



きっと僕の顔もそうだっただろう。







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笑顔の力を信じてコラムを連載中の自分にとって事件である。

「笑わない男」という耳慣れない称号を手にした男があらわれた。

ラグビー日本代表の稲垣啓太選手だ。



その徹底ぶりを見るに、にらめっこ世界大会があれば

そちらでも日本代表になってほしい。

ぶっきらぼうなだけなら事件でも何でもないが、

彼の「笑わない力」は見逃しがたいものがある。



饒舌でも不愛想でもなくただ普通のトークなのに

チームメートや後輩思いの温かい空気が伝わってくる。

ほかの人が笑顔にのせて伝えるものを、あの真顔で

伝えるのだから驚きだ。



彼はちゃらちゃらするのが嫌で、表情のバリエーション

を意識的に少なくしたようだ。勘違いされやすいだろうが

感情のバリエーションが乏しいわけではない。



今朝も番組のトークで

「今もすごく面白いです」「結構たぎってきてます」

と笑顔なく答えて周囲の爆笑をさそっていた。



人を表情だけで判断する癖をあらためようと思う。

きっかけをくれた彼に感謝したい。



普段笑顔の人が時に真顔で話すと周囲の耳はたつ。

その逆で、稲垣選手の笑顔はきっと大きな力を持つだろう。



そんな瞬間が楽しみだ。



(笑顔の法則 完)


 

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