2023/10/10
詩をそれほど親しんできたわけでもない身でもこれは覚えていた。
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
3月2日木曜日。東京では20℃の声が聞こえたというのに、
懐古園では時折日差しもありながら小雪も舞っていた。
懐古園の奥にある展望台からの眺めは、おそらく島崎藤村が
ここであの「千曲川旅情の歌」を詠んだと思わせる力があった。
別所温泉で2泊したあと、初めて小諸にきた。藤村ゆかりの地
ということは知っていた。広大な小諸城の跡地である懐古園には
シーズンオフの寒い平日とあって人影がほとんどなかった。
園内散策で1時間、藤村記念館でたっぷり1時間、
今年一番の贅沢な2時間となった。
藤村にとってここ小諸での6年間は、教員をしながら、
詩人から小説家に転身するターニングポイントとなったという。
藤村は自分のことを遊子(旅人)と詠んだ。
同じく旅人として訪れた僕にとっても、この小さな行き当たりが
ひょっとして何か大きな意味を持つかもしれない。
ふとそんな思いがよぎった。
2023/10/10
よく考えると「ご利益」という響きは、学問の神様以来、社会人からは
あまり縁がない。神社やお寺でたまに買うお守りは、つれの強い薦めか、
訪問記念として手に入れた。
しかしこれは違った。
はじめて見るタイプのものに一瞬で心を奪われた。
国宝「八角三重塔」の屋根の古材を使ったお守りだ。
地味ながら中身にふさわしい袋と木の釘もついている。
60年に一度のふきかえの際に出たものを使っている。
長い間風雪に耐えた材は、あちこちガタがきはじめた
こちらの耐久性までアップしてくれるにちがいない。
いや、ご利益云々より持っているだけで嬉しい気持ちになる。
それはそうだ。何しろ「国宝」を毎日持ち歩くわけなのだから。
2023/10/10
「国宝」に興味を持つようになって8年が経った。
現在会ったことがあるのは120個ほど。
全部で1130件なので、まだ1割少々だ。
これからゆっくり楽しめるが、ひとつマイルールがある。
「なるべく現地で会うこと」
仏像や絵、器などは、本来飾られていた場所ではなく、まとめて
東京国立博物館などで展示されているものも多い。
「国宝展」にいけば一気に数がかせげるが、それは面白くない。
あまり出歩けなくなる人生の終盤にとっておこうと思う。
その点、現地で会うしかない、神社仏閣やお城など建造物の国宝は
全国に228件あるが、一番のターゲットだ。
信州の鎌倉、といわれる別所温泉、安楽寺にやってきた。
松茸や栗で有名なので、3月上旬は完全にシーズンオフだ。
12室ある旅館も貸し切りだった。
ここに数年前から気になっていた塔があった。
国内現存する唯一の八角形の塔、「国宝八角三重塔」だ。
それは境内の一番奥、少し登った先の窪地にひっそり佇んでいた。
拝観料が別途必要なエリアながら、だれにも会わず静かな対面だ。
感激を口にしようも誰もそばにおらず、のみこむしかない。
それがかえって印象を強く残しそうだ。
そんな予感がするひと時だった。
2023/10/10
白隠さんに会ったあと沼津に一泊して翌朝、三島にむかった。
午後には熱海でつれと待ち合わせがある。それまでの時間、さてどうしよう、
と地図を眺めていてふらっと寄ったのだ。
ここまで50余年、ねらうとはずす、ねらわないといいことがある、
という人生を送ってきたので、予感はしていた。
こういう時に思わぬ発見がある。
駅で地図を手にいれてさっそく歩きだした。すぐにわかった。
散歩をしていて楽しい町、というのはこういう町だ。
三島は遠い昔、富士山の噴火で溶岩が流れてきた先端に位置する。
毛細血管のように張り巡らされた溶岩の隙間には、富士からの水が
流れ込み、いたるところで湧水となっている。
町中を流れる小川、というより用水路に近いが、どれも水が澄んでいて
そのそばを歩くのが楽しくなる。コガモの親子が次々に目にはいる。
多くの文豪がそれぞれの著書で三島を絶賛してきたようだ。それぞれが
説明書きの看板となって小川のそばに立っている。
気づくと三嶋大社の前に出た。事前の知識がないままここもふらっとはいる。
すぐに目に飛び込んできたのが、「三嶋大社の金木犀」だ。
樹齢1200年とあって驚いた。巨木の面影はまったくない。
樹高も幹回りも普通の木だ。枝は何本もの柱でようやく支えられている。
根元のほうをみると、7割がた欠けていて、枯れ木と言われても驚かない。
なんとも頼りない。しかしこれが年に2度も満開となるという。
大きな町の用水路といえば、ふつうのぞきこみたくなる感じではない。
樹齢千年を超える木といえば、巨樹、大木と決まっている。
そんな「常識」が大きく壊されたとき、それは、行き当たりばったり旅の
醍醐味をかみしめるときでもあった。
2023/10/10
今回ばかりはちょっと「計画」したくなった。
はじめて2年を過ぎたウクレレ、年末の課題曲は「イマジン」だった。
この曲を調べていて驚いた。ジョンは江戸時代の禅僧、白隠に私淑していて、
その言葉「南無地獄大菩薩」から想起してこの曲ができたというのだ。
彼はこんな言葉を残している。
「僕にとって最高の詩は俳句であり、最も優れた絵画は禅画だ」
白隠の絵は好きで数年前に展覧会に足を運んだこともあるが、
まさかよちよち歩きの自分のウクレレにつながるとは、
想定外からもはみでている。これはもう、会いにいくしかない。
白隠に、である。
1月中旬、3年ぶりの囲碁合宿が行われた湯河原の先には沼津がある。
その2駅先、原という駅のそばにある松蔭寺、そこに白隠は眠っている。
原宿、といえば渋谷のそばを思い浮かべるかもしれないが、
東海道の「原」宿、は松蔭寺のすぐそばだ。
平日の正午すぎ、境内には誰一人おらず、物音もしない。
静かな対面となった。
事前にしっかり計画したという点で、当欄にはふさわしくない
かもしれないが、僕にとって大事なウクレレとぶらり旅、
この2つが「偶然コラボ」したというのは確かなことだ。