2023/10/10
旅が終わってすぐは、観光地や食事をふりかえって楽しむ時間が続くが、
時がたって思い出すのは、道中の誰かの言葉や、なんということのない
ワンシーンだったりするものだ。
山陰ツアーでは外せない出雲大社をお参りしたあと、参道の脇道を
通りながらバスに戻るとき、両親と妹3人と間があいた瞬間があった。
木陰を歩きながらお袋と話に夢中の妹と、そのあとをついていく親父。
週6回のジムでの水中歩行を欠かさず、足腰はしっかりしているものの、
弱視のため杖が欠かせない。
旅行3日間で100枚ほど撮った写真の中からベスト3を選ぶとしたら
1枚はこれになる。出雲大社ならではの大しめ縄や、神社らしい背景を
バックに添乗員に4名そろって撮ってもらったものもあるが
どうしてこれなのか。
きっと、あの瞬間の空気をそのまま切り取ったからだ。
被写体が撮られていることに気づいていないからだ。
自分も直前まで撮ろうと思わなかったからだ。
予定された場所や料理よりも、偶然の一瞬が心により深く刻まれる。
そんなことに気づいたことも、自分へのお土産になった。
2023/10/10
よく考えると家族4人の旅行は初かもしれない。
遠い昔、子供の頃、弟ふくむ家族5人の旅行は何度かあった。
アメリカ西海岸に住む妹の来日にあわせて、3月末の3日間、
両親と4人で山陰ツアー旅行に参加した。
新横浜から乗車予定の両親、妹3人とは別に、僕は1人で早朝7時に
東京駅にむかった。添乗員さんの旗印をめざす。
いつもの一人旅より気分が高まるのを感じる。
52歳にして初のツアー旅行の集合だ。
今日の予定はなんと、宿に行くだけ。
つめこまず、ゆるいスケジュールがいい。
のぞみにも特急やくもにも3時間以上乗車して、宿についた
時には15時をまわっていた。夕食までは時間があるので、
早めに桜が満開となった玉造温泉を散歩した。
自分が散歩中の写真を、それも自分が気づいていない写真を
一生のうちで何枚手にするだろう。
どうってことがない風景ながら、妹から届いた写真を見て気づいた。
おふくろが小さい。自分がでかい。
緑内障の親父も僕もサングラスをしている。
たまたま赤がそろった。
おふくろが話しかけている声が聞こえそうだ。
名所をバックにした写真より、こうした一瞬の切り取りが
ずっと心に残る予感がする。
2023/10/10
市井の人、という言い方がある。
昔中国で井戸のそばには市ができた、ということから、庶民の意味となった。
今から120年もここで井戸端会議が行われていたことだろう。
この井戸のすぐそばで7年間暮らした文豪、島崎藤村は、毎日早朝にここで
顔を洗うのが日課だったという。冬子夫人もここで洗濯や水汲みをしながら
近所の人との交流を深めた。
小説家への転身をめざして初の長編小説「破戒」の執筆に燃えていた藤村は、
ここでどんな未来を夢想したのだろう。
建物はすぐ古くなり、主がいなくなるとそれは生活の匂いもなくなり、やがて
記念館となる。だが井戸は自然とつながる連結器だからか、
不思議と古さを感じない。今も清らかな水を汲みだせそうだ。
そして、散歩からもどってきて手を洗う藤村がとなりに立っている、
そんな気もするのだ。
2023/10/10
小諸は散歩が楽しい街だ。
まずサイズがいい。
半日ぶらりするとほぼ全体像がつかめる。
1km四方ぐらいのエリアに集中している。
そして街並みがいい。
ここほど江戸時代の建物が残る街を知らない。
北国街道沿いには200年、300年前からの建物がそのまま現在も
店舗として使われている蕎麦屋、味噌屋、酒屋など多くある。
さらに背景がいい。
前回触れた島崎藤村ゆかりの場所がいくつもあると同時に、
「男はつらいよ」の第40作「寅次郎サラダ記念日」(三田佳子 三田寛子)
のロケ地でもあった。映画に出てくる病院や八百屋など、今も残る店を
いくつか見つけてはひとりもりあがった。
観光地化されすぎていないところもいい。
懐古園以外に名の通る名所はない。
コンビニが駅前ふくめ中心部に一軒もないのには驚いた。
歩いたのが3月初めということもあり、ひとり静かな街歩きとなった。
別所温泉2泊だけでは物足りないかと思い、帰りにぶらり1日寄ったが、
この街を訪れた幸運をかみしめながら帰途についた。
小諸宿のみどころ
https://www.komoro-tour.jp/spot/hokkokukaido/midokoro/
2023/10/10
あれ、これ昨日読んだ本に出てきた店じゃないのか。
小雪ちらつく小諸の町を、ダウンのポケットに手をつっこみながら
散歩していたとき気がついた。
お店の前には、この店が藤村ゆかりの店であるパネルが出ていた。
たしか京都の平八茶屋は夏目漱石が小説「虞美人草」でとりあげているし、
瓢亭は谷崎潤一郎の「細雪」に登場した。そんな名店にちょっと背伸びして
ランチで伺ったことはある。
だがここ揚羽屋は、名前が一瞬登場するほかのお店とはちがった。
旅のお供につれてきた藤村の「千曲川のスケッチ」には店の様子が
くわしく描かれていた。
この店から歩いて2,3分のところに、藤村が6年間暮らした家のあとが
記念碑として残っていた。エッセイにはこうあった。(一部中略)
私が自分の家からこの一ぜんめし屋まで行く間には大分知った顔に逢う。
せっせと着物をこしらえる仕立屋が居る。カステラや羊羹を売る菓子屋の
夫婦が居る。のれんを軒先にかけた染物屋の人達が居る。按摩を渡世に
する頭を円めた盲人が居る。人の好きそうな顔を出す鳥屋の隠居が居る。
その先に一ぜんめしの揚羽屋がある…。
僕はいったん宿にもどって本をひろげこの記述を確認したあと、
店と記念碑の間を数度いったりきたりした。
残念ながら、菓子屋も仕立屋も染物屋も、それらしい店は今はない。
だが明治から大正に時代がかわろうとした112年前、
たしかにここにそんな賑わいがあった。
たしかにこの道を藤村は何度も何度も通ったのだ。
情景を思い浮かべ歩く時間は、旅から偶然もらった宝物となった。
揚羽屋 https://agehaya.jp/