2022/09/14
囲碁では最初、「考えて」打つように教わる。
自分なりに考えて打って、失敗して、反省して成長する。
そのサイクルをまわす。上達して高段者になると、直感が磨かれ、
だんだん考えなくても打てるようになる。プロは考えなくてもほとんど打てる。
考えないで打てるからプロともいえる。
「考えなさい」からスタートして、「考えなくても打てる」がゴールだ。
テニスでは最初、どこに力を入れるといい球が打てるか、練習を繰りかえす。
上達すると、今度は力を抜く技が必要になる。プロの試合を見ていると、
力の抜けた柔らかいショットが打てる人ほどランキングが高い。
力を入れる方向ではなく、力を抜く方向でレベルの差があらわれる。
「最初に教わったことの反対を意識するといい」
これは趣味やスポーツの話だけではない。
「ひとの言うことをよく聞きなさい」
子供のころを思いだしてみると、僕は、学校でも家でもそう言われた。
うわの空で返事をしてさらに怒られた。
これが囲碁で「考える」、テニスで「力を入れて打つ」になる。
とすれば逆はどうなるか。
「ひとの言うことを聞かない」
言うことを聞かないとは、条件反射で「はい」と反応しないということ。
よく考えずに相手の意見を鵜呑みにしないこと。とくに上司や目上の人、
そして「すごい人」の意見に要注意。
いつまでもひとの言うことをよく聞いていてはダメだ。
最初から耳を傾けないのも、コミュニケーションとして問題だ。
だからこうなる。
「しっかり耳を傾け、そしてひとの言うことを聞かない」
「忘れちゃいけません。覚えておきなさい」
子供の頃は覚えることが山ほどある。毎日がそのくりかえしだ。
大人になったいま、「忘れる」「覚える」はどうなるか。
「覚えたことを忘れる」
学校でも家庭でも教えてもらえないこと。それは、「忘れる方法」だ。
『暗記科目』という言葉はあるが、『忘却科目』という言葉はない。
大人になって成長するには、知識を蓄える子供の頃とは逆の動きが必要だ。
なぜ忘却が必要か。それは「気づく」ためだ。新しいことに気づくには、
最初にいれた知識を忘れることが必要だ。
いわゆるデトックス、新陳代謝の基本原理である。
「定石を/覚えて2目/弱くなり」
囲碁の格言である。定石とは最初に覚える基本の打ち方のこと。
強くなるために定石を覚えると、なぜか弱くなる、という、逆説的な真実への
警鐘だ。定石を一生懸命覚えると、実際打つときにそれを思い出そうという意識が
強くなる。その場で考える、がおろそかになって弱くなるのだ。
これから成長していくには、昔覚えたことを一旦意識の下にしまっておく、
ぐらいの「忘れる」が必要になる。
「忘れない程度に、忘れる」
これは、新しくさまざまなことに気づくための、大事な技術だ。
「ふざけちゃだめです」
囲碁で陣地のことを「目」というが、無駄な目、つまりどちらの陣地でもない場所
のことを「駄目」という。
そこから「やっても甲斐のないこと」「してはいけないこと」の意味になった。
ふざけるのが大好きな子供に、「ふざけちゃだめ」と言って基本動作を
しつけるのは当然だ。
そして大人になって必要なのはこうなる。
「まじめにふざける」
まわりをみてみよう。新しいアイデアは、まじめにふざけている人から、
毎日湧き出ている。
「まじめにふざける」とは、固定観念や先入観から解き放たれて自由に遊ぶこと。
実際に自分でやってみるとわかる。意外と難しい。
20年ほど前、カジュアルフライデーという習慣ができた。
これは見事に定着しなかった。
まじめにふざけられなかったからだ。金曜だけ皆おなじ恰好になった。
スーツを着ていったら課長に怒られた。社会人として不快感を与えない限り自由、
が定義なはず。
が、スーツを着ない日、となった。「自由」が規定となったのである。
なんともおかしなことになった。コンセプトと現実があわず、自然と消滅した。
「効率よくやりなさい」
これが正しいと教わって大人になった。だが社会に出てみると、
その逆にサービスの差別化ポイントが隠れていた。
「非効率だけどやる」
非効率だがやらなければならないこと。そこに気づいた企業が強い企業だ。
280円均一で人気の焼き鳥チェーン「鳥貴族」。価格勝負の大衆店だ。
どこよりも効率重視のはずだが、一番手間のかかる串うちを各店舗でやっている。
味への強いこだわりで非効率に挑戦している。
なんでも初心者のとき、最初に教わることがある。上達したあとは、
最初に教わったことの反対に、成長の種が埋まっている。
成長に必要だったことは、成長したあとに一旦忘れて、反対を向いてみよう。
まじめに生きることが悪いわけではない。
だが、ずっとまじめに、言われたことを守っていると、成長がとまる。
大人はそのことに、なかなか気づけない。