2018/06/30
よっひさしぶり!
思わず小さくつぶやいた。
修理に出していた腕時計が戻ってきた。
3週間ぶりではない。
20年ぶりだ。
社会人になってすぐに買ったものが4年目に動かなくなった。
時計をあわせようと説明書を読まずに
適当にネジを動かしたのがまずかった。
携帯電話を持ちはじめた頃だったので、
「時間はこれでわかる」
という言い訳で、壊したことにフタをした。
それ以来僕は時計をしなくなった。
左手首に久しぶりの感触だ。
じっと秒針の動きを見ているとよみがえってくる。
濃い青色の文字盤がひとめで気に入り、
何度も売り場をいったりきたりした。
店員の目を気にして、あまり興味のない時計も
わざとのぞきこんだりした。
新人には大きな買い物だった。
僕は何を思って毎日を過ごしていたのだろう。
すっかり止まっていたあの頃の時間も動き出した。
2018/06/29
当店にマニュアルはありません。
時折目にするこの言葉にめっぽう弱い。
なぜだかはわかる。
自分にマニュアルがないからだ。
教えるときも、人前で話すときも、旅をするときも。
つれには「自由人」とよくいわれる。
おそらく「勝手」や「いきあたりばったり」という意味も
こめられていようが、そこは、それこそ「勝手」に、
ポジティブに受けとっている。
マニュアルがないとは、すべてをカスタマイズする覚悟だ。
その日、その気分、その相手…すべてに。
せっかく生きているのだから、そうでなきゃ面白くない。
ここ2ヶ月、人生ではじめて腱鞘炎になやまされていて
近所の「身体均整院」という、聞きなれないところの門を叩いた。
右手首を治すのに、首や頭、腰や左手首の施術が念入りに始まった。
僕の身体を全部知らなければ治せない、と言ってるようだった。
会話をしながら次の施術場所と内容がきまっていった。
再訪しようと帰宅後HPを見て気がついた。
あの「魔法のことば」があった。
*米木身体均整院 http://yoneki-kinsei.com/#clients
2018/06/28
いつもと同じメンバーでは成長がのぞめない。
ここはリスクをとってでも変えないといけない。
今夜決戦のW杯の話に聞こえるとしたら、それは偶然だ。
来月中旬に米国から姪っ子たちが来日する。
それにあわせて3日前、二十日大根をプランターに植えた。
日当たりが限られる西向きベランダでは欄干が一等地だが、
既に中玉トマト6鉢が鎮座していた。
当エリア監督就任3年目の僕は、
冒頭の決意をもって、メンバーチェンジを行った。
赤い実をつけた「ルビーノ」を控えにまわし、
小さな芽が密集する「二十日大根」を欄干レギュラーにした。
その2時間後に事件は起きた。
明朝食べごろと思われる赤い実の中央が、見事にえぐられ落下した。
周囲の葉には黄色い汁が飛び散っていた。
ゴールを決めたフォワードが、いや、この実を落とした奴が
誰だかはわかっている。
去年学んだ撃退法で被害はもう起きないはずだった。
銀の細い糸を欄干に張って、鉢にはキラキラ光る円盤もつけた。
だが今日は、奴のいやがる細い糸から離れ、光る円盤に
太陽の光が届かない一瞬が狙われた。
敵もさるものひっかくもの。
そんな言葉が浮かんだが、奴はさるではなかった。
とりだった。
2018/06/27
少し前の『カンブリア宮殿』でこんな素敵な言葉に出会った。
とことん時代に遅れよう!
京都のカバン屋『一澤信三郎帆布』の店主が言っていた。
世界最古のゲーム「囲碁」を仕事にして
いまだスマホを持ったことのない僕は、
激しくうなずくしかない。
洋室に畳を敷きわざわざ和室にして布団で寝起きしている。
ふつうは逆だそうだ。
これから建てる家も、床の間、掘り炬燵、縁側、濡縁、出窓と、
時代遅れに見えるかもしれない。
こうなったらついでに歳をとるのも遅れてしまいたい…
どうやら精神年齢の歩みは、ちゃんと遅れているようだ。
2018/06/26
知らないことを知っていたかのように話す。
なるほどねーとしっかり相槌を打つ。
たまに話が掘り下げられると、知らなかったことが、
聞いていなかったことが、露呈する。
周囲の人にはとっくにばれている。
僕はかなり、いい加減だ。
自覚しているのに直す気がない。
それどころか誇りを持っている気配すらある。
高田純次の『世界ぶらぶら』や『じゅん散歩』を録画しては、
自分に足りない「いい加減」を確認する。
いい加減。
よく考えるとこれは不思議な日本語だ。
普通に読むのと、前にアクセントをつけるのとでは意味が逆になる。
ほかにあるだろうか。
僕が目指しているのは、単なるいい加減ではない。
「いい」加減な「いい加減」だ。
と真面目な顔して力説しても、
いまさら周囲には届かないかもしれない。
まぁいっか。