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根本席亭ブログ 500人の笑顔を支える、ネット碁席亭日記 囲碁の上達方法やイベント情報など、日々の出来事を発信していきます。


よっひさしぶり!



思わず小さくつぶやいた。

修理に出していた腕時計が戻ってきた。



3週間ぶりではない。

20年ぶりだ。



社会人になってすぐに買ったものが4年目に動かなくなった。

時計をあわせようと説明書を読まずに

適当に
ネジを動かしたのがまずかった。



携帯電話を持ちはじめた頃だったので、

「時間はこれでわかる」

という言い訳で、壊したことにフタをした。



それ以来僕は時計をしなくなった。



左手首に久しぶりの感触だ。

じっと秒針の動きを見ているとよみがえってくる。



濃い青色の文字盤がひとめで気に入り、

何度も売り場をいったりきたりした。



店員の目を気にして、あまり興味のない時計も

わざとのぞきこんだりした。


新人には大きな買い物だった。



僕は何を思って毎日を過ごしていたのだろう。



すっかり止まっていたあの頃の時間も動き出した。




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当店にマニュアルはありません。



時折目にするこの言葉にめっぽう弱い。



なぜだかはわかる。

自分にマニュアルがないからだ。

教えるときも、人前で話すときも、旅をするときも。



つれには「自由人」とよくいわれる。

おそらく「勝手」や「いきあたりばったり」という意味も

こめられていようが、そこは、それこそ「勝手」に、

ポジティブに受けとっている。



マニュアルがないとは、すべてをカスタマイズする覚悟だ。

の日、その気分、その相手…すべてに。

せっかく生きているのだから、そうでなきゃ面白くない。



ここ2ヶ月、人生ではじめて腱鞘炎になやまされていて

近所の「身体均整院」という、聞きなれないところの門を叩いた。



右手首を治すのに、首や頭、腰や左手首の施術が念入りに始まった。

僕の身体を全部知らなければ治せない、
と言ってるようだった。

話をしながら次の施術場所と内容がきまっていった。



再訪しようと帰宅後HPを見て気がついた。



あの「魔法のことば」があった。



*米木身体均整院 http://yoneki-kinsei.com/#clients



いつもと同じメンバーでは成長がのぞめない。

ここはリスクをとってでも変えないといけない。



今夜決戦のW杯の話に聞こえるとしたら、それは偶然だ。



来月中旬に米国から姪っ子たちが来日する。


それにあわせて3日前、二十日大根をプランターに植えた。



日当たりが限られる西向きベランダでは欄干が一等地だが、

既に中玉トマト6鉢が鎮座していた。



当エリア
監督就任3年目の僕は、

冒頭の決意をもって、メンバーチェンジを行った。

赤い実をつけた「ルビーノ」を控えにまわし、

小さな芽が密集する「二十日大根」を欄干レギュラーにした。



その2時間後に事件は起きた。



明朝食べごろと思われる赤い実の中央が、見事にえぐられ落下した。

周囲の葉には黄色い汁が
飛び散っていた。



ゴールを決めたフォワードが、いや、この実を落とした奴が

誰だかはわかっている。




去年学んだ撃退法で被害はもう起きないはずだった。

銀の細い糸を欄干に張って、鉢にはキラキラ光る円盤もつけた。



だが今日は、奴のいやがる細い糸から離れ、光る円盤に

太陽の光が届かない一瞬が狙われた。



敵もさるものひっかくもの。

そんな言葉が浮かんだが、奴はさるではなかった。



とりだった。




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少し前の『カンブリア宮殿』でこんな素敵な言葉に出会った。



とことん時代に遅れよう!



京都のカバン屋『一澤信三郎帆布』の店主が言っていた。



世界最古のゲーム「囲碁」を仕事にして

いまだスマホを持ったことのない僕は、

激しくうなずくしかない。



洋室に畳を敷きわざわざ和室にして布団で寝起きしている。

ふつうは逆だそうだ。



これから建てる家も、床の間、掘り炬燵、縁側、濡縁、出窓と、

時代遅れに見えるかもしれない。



こうなったらついでに歳をとるのも遅れてしまいたい…



うやら精神年齢の歩みは、ちゃんと遅れているようだ。



知らないことを知っていたかのように話す。

なるほどねーとしっかり相槌を打つ。



たまに話が掘り下げられると、知らなかったことが

聞いていなかったことが、露呈する。




周囲の人にはとっくにばれている。

僕はかなり、いい加減だ。



自覚しているのに直す気がない。

それどころか誇りを持っている気配すらある。



高田純次の『世界ぶらぶら』や『じゅん散歩』を録画しては、

自分に足りない「いい加減」を確認する。



いい加減。



よく考えるとこれは不思議な日本語だ。

普通に読むのと、前にアクセントをつけるのとでは意味が逆になる。

ほかにあるだろうか。




僕が目指しているのは、単なるいい加減ではない。

「いい」加減な「いい加減」だ。




と真面目な顔して力説しても、

いまさら周囲には届かないかもしれない。



まぁいっか。


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