2018/03/20
阿佐ヶ谷の商店街を散歩していると
ふと目に留まったものがあった。
『たいやきの開き』
?!
意味が一瞬わからなかった。
開いてどうするんだ~。
頭の中でつっこみの声がひびく。
たいやきの皮がすきなあなたへ。
その言葉ですこし納得した。
たしかにけっこう好きかもしれない。
ただ、ちょっとかわいそうになってしまった。
いきものじゃないのに。
2018/03/14
ハウスメーカーの人から日々、気密性、断熱性、遮音性といった
普段耳にしない言葉で営業をされている。
気づくと「性能」で家を比べ始める自分がいる。
あぶない。あぶない。
20年前、いや、10年前と比べても、見たことのない機能が
登場しているので目がひかれる。
だがそれは、10年後、20年後も、
また新しい機能が登場するということだ。
いま最新であるものに目を奪われるのは、
将来新たに登場するものが羨ましくなるということだ。
そんな繰り返しの輪の中には入りたくない。
いつまでたっても古くならないもの。
いや、古くなっても、それがむしろ嬉しくなるようなもの。
経年劣化する「性能」ではなく、
経年進化する「質」に目をむけて選びたい。
2018/03/12
石音をはじめて12年がたち、僕が始めたリアル大会で
今も続けているのは1つだけになった。
昨日は9回目の「全国高校囲碁OB/OG選手権」だった。
毎年開催していたが、震災でスキップして以降は開催が
1年おきになった。
高校のクラブ活動の同窓会を、卒業後、数十年たっても
続けているところはあるだろう。
だが、OB同士の対抗戦を、8校も集まって開催し続けて
いるのは珍しいかもしれない。
ひとくちに高校OBといっても、集まるメンバーは
大学生から70代まで幅広い。そして集まるメンバーは、
アマチュア囲碁界のトップレベルの打ち手ばかりだ。
懐かしい同窓会に、懐かしい真剣勝負が加わった
独特の味わいがある。
僕は全体の幹事を1人でやりながら、母校の幹事、監督、
そして昨日は選手にもなった。
「代打俺」といえば、出来る監督風でカッコはいいが、
何せ実力がともなわない。個人では連敗した。
しかし毎回思う。
事前の調整や、母校のメンバー集め、当日の運営、
それらがすべて終わったあとの感触がいい。
大会がおわり宴のあと、皆が帰り際、名残惜しそうに
名札をはずして会場をあとにする。
それをまた見たくて、再来年、五輪の年にも
僕はまたこの大会を開催することになるだろう。
2018/03/07
「この前はすみませんでした。主人にこれとこれを根本さんに
出して頂戴ね、と何度もいっておいたのですが」
87歳のシニアの御宅にうかがう頻度が最近増えている。
先月は9回訪問した。
奥様が外出のときは、事前に冷蔵庫にお菓子を用意してくださっている。
それをご主人はしばしば忘れるのだ。
奥様は笑って言う。
「こんど私がいないときは、『なにか出すのをわすれていませんか』
と主人にちゃんと言ってくださいね」
お宅に伺うようになってからもうすぐ10年がたつ。
まだ「お茶の催促」ができる域には達していない。
だが近いところまではきているかもしれない。
2018/03/05
「美味しいコーヒーで素敵なティータイムを」
中野駅前の看板にふと目がとまった。
そうか。コーヒーよりティーのほうが守備範囲が広いのか。
「美味しいティーで素敵なコーヒータイムを」
にはならなさそうだ。
たしかに「お茶しない?」といって
本当にお茶を頼む人はあまりいない。
お茶やティーという言葉は、固有から一般までをカバーしている。
では本当にティー>コーヒーなのか。
コーヒー派の僕は、もう少し考えてみた。
「コーヒーブレイク」という言葉がある。
ティータイムと同じように使われることもあるが、
その意味での登場頻度はティーよりすくない。
だが、飲み物や喫茶から離れて、「ちょっとひといき」といった
エッセイやコラムの名称にも使われるときは
俄然コーヒーに軍配があがる。
生活における守備範囲の広さでいえば、
ティーとコーヒーは互角。
というのが、
今日のティータイムで出した
コーヒーブレイクな結論だ。