2017/11/23
縦のものを横にしただけで
こんなにインパクトがあるとは思わなかった。
創作料理でワイングラスを横にして器として
つかっているのをある番組で観た。
スプーンを横からいれてジュレをすくうのだ。
その夜、縦を横にするだけで違う世界が広がるものだなぁと
湯船に浸かりながらふりかえったとき、ふとあることを思いついた。
湯船の入り方を、身体の向きを縦横逆にしてみる。
もちろん、足は延ばせないどころか窮屈なあぐらをかくしかない。
そして背中は自然と湯船の縁に圧をかけながらあたり、垂直に伸びる。
まず驚いたのは17年住んでいて見たことのない風呂場の景色だった。
そして、足が窮屈なのより背中が伸びるのが気持ちいい。
呼吸も自然と深くなる。
足を伸ばすのとは別ジャンルのリラックスが感じられた。
下手なヨガをやっているような恰好だが
思わぬ発見にお風呂タイムの楽しみが一つ増えた。
「縦を横に」「横を縦に」である。
ところでヨガの経験はほとんどないが、
お湯の中でヨガをやるのもよさそうだ。
YUGAと名付けられる日がくるかもしれない。
2017/11/22
今晩は2回目の「上達の約束」セミナーだ。
「上達させたい人」と「上達したい人」が集い、
座談会形式で本気で上達について考える。
今日のテーマは「上達する人・しない人」。
事前打合せで、上達しない人の特徴のひとつにこういうのが出た。
「でも…が口癖の人」
モデルケースが頭にうかぶ。
最初から自分の正しさを疑わない人。
アドバイスを疑うところから始める人。
上達しない人の典型といえる。
まず素直に耳を傾け、
そして自分で考えて、
そのあと疑う。
という順番が大切だ。
まず「素直になれるかどうか」が分かれ道となる。
この打合せでは、造語『デモ後進』が生まれた。
でも…は上達を遅らせる。
*上達を本気で考えるセミナー『上達の約束』(11/22夜渋谷)
https://peraichi.com/landing_pages/view/jotatsu-promise
2017/11/21
空きスペースがあればすぐに何かで埋めたくなる。
たくさん並べたほうが効率がいい。
この発想を百貨店病というらしい。
いけてるブティックは、たくさん置かない。
余白に価値を見出している。
余白があるからそこに目がいくのだ。
では僕はいま、余白をつくっているだろうか。
あれもこれもとなってないだろうか。
もっと書きたいことがあるが、
「その第一歩」のためにここでやめておく。
2017/11/20
囲碁を趣味にして30年、仕事にしてから12年が経った。
1局2時間近くかける長考派ながら仕事で5千局、趣味で5千局、
あわせて1万局は打っただろう。
久しぶりに友人と打つと、対局がすすむにつれて
「あーいま奴と打ってるんだな」と感じる。
お互い無言でも盤上で会話している。
囲碁は車の運転と同じく、自分を隠せない。
着手にも考えるタイミングにも癖が出る。
この10年来の友人であり、一緒に若者への囲碁普及に燃えた仲間であり、
僕のサイトのお客さんでもある8歳下の彼と3年ぶりに打った。
ネット碁なので石の音はパソコンから機械的に響いてくる。
しかし「友の石音(いしおと)」は
僕の耳にはしっかりそれとわかるものだった。
これが、業界で唯一プロフィールを公開して
対局する囲碁サイト『石音』を立ち上げた原点だ。
*囲碁サイト石音 http://www.ishioto.jp/
2017/11/19
何かをきっかけに興味をもって扉をあける。
あけてみたらさらに興味が沸いてくる。
この循環を起こすのは僕の場合「言葉」であることが多い。
ある番組で作庭家の「ねばりのある石」という言葉に出会った。
初めて聞く表現で耳が立った。
ねばりがあるとは、石に重さ、重量感があるということ。
それは石の大きさ、重さではなく、性根、魂が入っていることだという。
どれが「ねばっていて」
どれが「ねばっていない」のか。
実際目にしたとき、感じられるかどうか。
心の奥で、早く庭を、石を見て確かめたいという声が聞こえる。
いつ消えてしまうかわからない小さい声だが、
この声が消えるまえに、ねばりのある石に会えるかどうかが
次のステップに進む鍵となる。
さて今週水曜夜に、渋谷で2回目のセミナー『上達の約束』を開催する。
「上達」について、囲碁に限らず、上達したい人、
させたい人と一緒に座談会形式で考える。
自分にとって上達のきっかけは何か。
それが見つかる場にしたい。
セミナー『上達の約束』(11/22渋谷)~本気で上達と向き合う~
https://peraichi.com/landing_pages/view/jotatsu-promise