• ホーム
  •  > 
  • 500人の笑顔を支える、ネット碁席亭日記

根本席亭ブログ 500人の笑顔を支える、ネット碁席亭日記 囲碁の上達方法やイベント情報など、日々の出来事を発信していきます。


今夜はひさしぶりに自社サーバーがダウンした。

ここ1年ほど安定していたので、不意打ちをくらった格好だ。



ダウンしたのが21時半頃で

僕が異変に気づいたのがその20分後。

あわててシステム会社に電話して22時頃に復旧した。



今夜は電話もメールもなかったので気づくのが遅れたのだ。



サーバーが停止すると対局が途中で出来なくなる。

いつもならその直後からお客さんからの電話が鳴りやまない。



僕は四六時中ネット上で監視しているわけではないが、

今まではその電話でトラブルを即座に
知ることが出来た。



しかし今夜は電話が鳴らなかった。



石音サーバーのトラブルを、自分のパソコンのトラブルと勘違いして

いつも真っ先に電話を
かけてきた京都のKさん。



今夜も大変だろうけど頑張ってね、という電話を

毎回一呼吸おいてかけてくれた常連のFさん。



石音の取締役、つまり内輪なのに、いまの対局の記録はどうなるんだ、

とお客さんと同じ目線で
怒ってくれたSさん。



3人とも今はいない。



静かなトラブルは、本当ならほっとしていいはずだった。

だが、予期せぬ寂しい気持ちが残った。



今日は横浜の崎陽軒本店で講演だった。

専門学校教職員の方々の「永年勤続表彰」の場ということもあり、

こんな話から始めた。




***************

僕は会社を経営して13年目になるが、

継続には『動機の経営』が大切だと感じている。



20代の頃はビジネスの右も左もわからず

「正しいか正しくないか」で動いていた。



30代になって社内ベンチャーを立ち上げ、

そのあと石音を起業したあとは、とにかく

「儲かるか儲からないか」を考える日が続いた。



40代になって少し落ち着いたら「好きか嫌いか」に変わった。



そしてアラフィフの今は4ステージ目、

「伝えたいかどうか」に
なっている。



仕事で一番大切にしたいことが

「正しいか」「儲かるか」「好きか」「伝えたいか」

の順番で変わってきたのだ。



動機が変わっていく自分を認めてあげられたから今がある…。


**************



講演後、懇親会の場で何人かから、心に残った部分を教えて頂けた。

今日はもう少し話す内容をしぼって、
ひとつひとつを深堀りしたほうが

よかった、
と自己採点ではまだまだ合格点には達していないが、

少しでも届いたものがあったのは素直に嬉しい。



そして「もっと伝えたい」という思いが沸いた。

4ステージ目の動機がさらに強まった日になった。




201711


2017/11/27

講演前夜


準備がいつもギリギリになるのは、周囲に呆れられているが治らない。



実は、万全の準備をしないほうが聴衆に敬意を表することになる、

と思っている。



それがもし事実としても、自分のものぐさな態度の言い訳に

使っているだけだ、とこっそり白状しておこう。




明日は神奈川の専門学校の先生70名の前で

『目のつけどころの鍛え方』を話す機会を頂いている。



今年は既に高校生、大学生、ビジネスマン、シニアは経験済だが、

先生は初めてだ。
年代も20代から60代までと幅広く男女半々だという。



先生達の前で自分が何を話し、何を感じるのか、

いまから楽しみでワクワクしている。



今月から始めている囲碁教室『上達の約束』に5人目のメンバーが加わった。



13時半渋谷の待ち合わせに、朝7時40分のバスで

茨城県から遠路お越し頂いた。



高校の先生で囲碁部の顧問だという。

しかし囲碁が得意だから顧問になったわけではないそうだ。



僕が成長していくところを見せないと生徒が誰もついてこない、

と熱く語る姿に
心をうたれた。



名刺を見ると、名前の横にAIと自分が囲碁を打つ絵が描かれていて、

茶目っ気の向こうに本気度が
うかがえる。



これからが本当に楽しみだ。


そして僕らを選んで頂いたことに感謝しかない。



その方には「囲碁を楽しむこと」を約束してもらおう。

僕らは「囲碁が好きになって上達すること」を約束しよう。



約束は2人でするものだから。



*囲碁教室の新しいカタチ『上達の約束』

https://peraichi.com/landing_pages/view/jotatsu-promise-igo



タイトル戦で記者が現場で書くものといえば、

新聞掲載の観戦記事と相場はきまっている。

だがそれが芥川賞を獲ったとすれば、刮目に値する話だ。



将棋タイトルの最高峰、名人戦の舞台が高野山の金剛峯寺に

セットされたのは、昭和23年のことだった。




29歳の升田名人に24歳の大山が挑戦する名人戦の担当だった

毎日新聞学芸部副部長は、将棋そっちのけで
決戦の舞台の2階で

小説を執筆していた。




『闘牛』は2年後、芥川賞を受賞した。

小説家・井上靖は、高野山の将棋名人戦で誕生したのだ。



まるで高尾―井山の囲碁名人戦で、担当記者、又吉直樹が

『火花』を書いていたみたいな話だが、それを知って以来、

僕の中で彼の著作を読んでみようというボルテージが一段あがった。



いつかいつかと思いながら、自分の中でずっとそのきっかけを待っている本。

数えたことはないが、数十冊はあるだろう。



その一冊、『天平の甍』にじっくり向き合ってみた。

年末に琵琶湖周辺を歩くつもりなので、次は『星と祭り』も読んでみたい。


1 / 512345

 

PAGE TOP