2017/10/05
天空流とは僕が8年前に編み出した囲碁の打ち方だ。
囲碁は陣地取りのゲーム。効率よく陣地が取れる
盤の隅から打ち始めるのが常識的とされる。
しかし天空流は、盤面の中央に近いところから打ち始める。
囲碁ファンならば、それは宇宙流ではないの?となるだろう。
盤面の中央にロマンを求める宇宙流は大分前から人気がある。
しかしその宇宙流と天空流は似て非なり。
なぜなら天空流の精神は「こだわらない」にあるからだ。
天(中央)でもいい。地(隅)でもいい。
相手の出方次第でこちらの打ち方を決める。
最初に天に打って途中から隅を打つ。
これを以前は「一貫性がない」とされた。
天空流はそれを「柔軟性がある」ととらえている。
今日から毎週木曜夜、僕のサイト「石音」で「天空流講座」を始めた。
30名ぐらいのメンバーが集まって2時間、一緒にワイワイ楽しんだ。
天空流の神髄は、本当は打ち方ではなく
「アマチュアはもっと自由に楽しもう」にある。
今のところここだけの秘密にしておこう。
2017/10/04
体は食べたもので出来ている。
心は聞いた言葉で出来ている。
未来は話した言葉で出来ている。
最近知ったこのフレーズがお気に入りだ。
特に3番目。
いつも同じことばかり話をしていては同じ未来が待っているだけだ。
新しい話が出来る相手をたくさん持とう。
どんどん話をして明るい未来を創ろう。
2017/10/03
高齢社会を明るく照らすには、シニアが社会のコストではなく
ホストになることだ。
社会に「よりかかる」側になるか、
社会を「もてなす」側になるか。
違いは大きい。
この分水嶺はどこかというと、「伝える力」にある。
社会のホストは身体が元気なことが条件ではない。
若者に気づきを与える力があればいい。
もちろん加齢とともに病もあるだろう。
多少費用面で現役に「よりかかって」いようとも
それ以上に「与えて」いればホストとなる。
多くのシニアは、いま発信の機会を欲している。
それは素晴らしいことだ。しかしその意欲が強いあまりに
世代を超えて伝わらないことが多い。
その発信に「伝える力」というスパイスをかけること。
これからの僕の役割だ。
2017/10/02
こんなお風呂がまだ残っていたとは驚いた。
犬養毅、井上馨、山県有朋、西園寺公望、近衛文麿といった
明治の元勲らが逗留した元「国営の別荘」。つまりトップの隠れ家だ。
今は平賀敬美術館となっている。
箱根湯本の喧噪から数分奥に入っただけの場所だが、
1時間以上貸切状態だった。
建物も風呂も調度品も100年以上前の姿を残している。
こういう場所にくると、五感と好奇心が動き出すのを
おさえるのは難しい。
箱根湯本で最も古い源泉がすぐ近くにあり、
地中から湧き出たばかりの極上湯が、そのまま少し深めの大理石の
湯船にそそがれている。
窓には錆びついた鉄格子がはめてある。
要人暗殺を恐れてのものだという。
僕は、しばし独りその湯船につかり、
彼らがここでどんなひと時を過ごしたのかに思いを馳せた。
ただただ、いまこの場所にいる時間を感謝した。
2017/10/01
箱根の露天風呂で曇り空を見上げながらふと思う。
温泉はやはり「源泉かけながし」だ。
循環とはお湯の鮮度が違う。
お湯が出る口から「どぼっ…どぼどぼ…」
と不定期で噴き出しているのが最高だ。
ユーモアはやはり「軽さが身上」だ。
繰り返し(親父ギャグ)を嫌う。
いつ湧き出るかわからない「巧まざるユーモア」が最高だ。
愛すべきユーモアと温泉。
もっと新しいアイデアを。
もっと新しいお湯を
湯MOREなのだ。