2017/10/31
「ものづくりはものに思い入れがなければ出来ないですから」
もう10年以上も前から無くなってしまった
「純国産アーチェリー弓具」の復活を夢見る社長の言葉だ。
昨晩のNHK『凄ワザ!』で紹介された弓具を
先週僕は実際に手に取ってみる機会があった。
社長とは7月に大手町のセミナーで対談した縁で
明日船堀で開催されるシンポジウムでモデレータを
やらせて頂くことになったのだ。
ふだん接点のない下町の町工場のひとたち。
そしてものづくりの世界。
囲碁もシニアも関係ないが、なぜかわくわくしている。
プロジェクト桜 http://www.prj-sakura.com/
2017/10/30
「言葉の意思と意識が響いてきました」
間もなく始める新しい囲碁教室『上達の約束』のページを見た
知人から感想が届いた。
このページをつくるにあたり、言葉は何度も何度も練り直しをした。
最初に起こした文案の跡形はほとんどない。
それには理由がある。
この教室は先生と生徒、それぞれが「約束」することが特徴だ。
先生の約束は、一生懸命教えることではない。
生徒の目標をかなえてあげることだ。
その最大の武器は「言葉」だと思う。
言葉に意思をのせて伝えるのだ。
*新囲碁教室『上達の約束』11/5スタート
https://peraichi.com/landing_pages/view/jotatsu-promise-igo
2017/10/29
僕はもとより珈琲が好きだが、詳しくはない。
美味しい珈琲と美味しくない珈琲の違いは、なんとなくわかるが、
豆の種類や挽きかた、淹れ方にほとんど興味がない。
すっと頭に入らないからか。
たとえば豆の呼び名は、国名や地名だったり、山や農園の名前だったり、
それぞれが組み合わされていたりとばらばらだ。
「ブレンド」がずっと固有名詞だと思っていたぐらいだから、
生来のものぐさな態度で接してきたといえるだろう。
それがこの半年ぐらいで、少しずつ興味が沸くようになってきた。
その理由は僕の場合「表現」だった。
珈琲では酸味や苦みといった普通のいい方に加えて、
「爽やか」「軽やか」「野性味ある」といった形容詞がつく。
珈琲なのにときに「ナッツのように」「レモンティーのような」
「花のような甘い香り」とくる。
ふだん食事していて「爽やかな苦み」などとはいわない。
しかしあるとき飲んでからメニューに添えられた表現を見て、
「なるほどな」「うまいこと言うな」と思ったのだ。
そして次は、出来ることならその言葉を自分で紡ぎたい
という思いが沸いてきた。
答えあわせのような、そのむこうにある独自の表現の創造のような。
いま、そんな楽しみの最中だ。
「好きで詳しいもの」に生まれ変わる途中なのかもしれない。
2017/10/28
いま準備中の『名脇役』は、
シニアの「選ばれる喜び」をプロデュースする事業だ。
シニアになると、この喜びを味わう機会が減る。
今まで持っていた「選ばれるはず」という自信は
年月とともに少しずつ、緩やかになくなっていく。
現役時代の長きにわたる「選ばれるための戦い」を経て
いま静かな日々を過ごす。これはこれでいいかもしれない。
しかしその人が持っている経験・知見・技術・人縁といった無形の財産が、
その自信の消失とともに社会から消えていくのも事実だ。
それら財産は、もっている人自身も
「できれば誰かに伝えて役立たせたい」
と思っているが、なかなかその機会はない。
とにかく「きっかけ」が必要だと思う。
それをこれから僕が創る。
2017/10/26
先が見えない今だからこそ先に生まれた人にきけ。
こんな声にしたがって、僕は「シニアに学べ」を標榜している。
先に生まれるで「先生」なので自然だと思う。
僕に「シニアに学べ」を気づかせてくれた人が亡くなって、もう4年半になる。
その「先生」は「先死」でもあった。
そして今でも学びを届け続けてくれている。