2014/06/21
囲碁入門、無料が当たり前になりつつある。
「松竹梅」
これ、松があるから梅の意味がある、梅が生きると思う。
無料しかなければそれは「ただのタダ」。
ブランドを下げてしまう危険もある。
1時間5千円の囲碁入門、どんな内容だったら集まるだろう。
提供サイドがもっと知恵を絞り、考え抜かないといけない。
まずは無料で囲碁入門をやって。ここで思考停止してはいけない。
無料入門で100人集めても、5千円入門で3人集めても、
普及のゴールから見たら効果は似たようなものではないか。
以前表参道で1年間、毎週少人数有料入門をやった。
60分で4千円。毎回1人、2人だったが、
3年経過した今、半数が立派な級位者、囲碁ファンに育った。
投資セミナー。
無料から数千円、数万円のものまで様々。
まさに松竹梅揃ってる。
参加者が自分の状況にあったものが選べるのは素晴らしい。
囲碁入門、現在その「選べる価値」を提供していないのではないか。
業界の皆さん、どう思いますか?
「松があるから梅になる」
そんなことをふと思う、梅雨の晴れ間の席亭です。
2014/06/14
最近自分がぼけてるなぁと感じる瞬間増えてきました。
同じ「ぼけ」でもいくつか意味があるんですね。
1.ぼけつっこみのぼけ(わざと)
2.あの人ぼけぼけだよね(天然)
3.最近ぼけてるなぁ(記憶)
4.ぼけ防止(認知)
囲碁を楽しくするスパイス、そして教える時ぜひ意識してほしいと思うのが、
1のぼけ(わざと)だと気づきました。
囲碁は相手の予想を外しあうゲーム。
「え~そうくるかー。」「あっそうきたかー。」「うそっ!」
これが楽しいんですよね。観てても打ってても、ぼけが多いほど、楽しい気がしませんか?
一流のぼけ 対 一流のぼけ 。一流のぼけ 対 一流のつっこみ。
盤外でも囲碁界にはもっと「ぼけ」必要かもしれません。
楽しいお笑いの世界、ぼける人と言えばすぐ浮かぶ顔あります。
松ちゃん、ウッチャン、太田、岡村・・お笑い界の外でも広く活躍している印象です。
つまりファン層が広い。
盤上で「ぼける力」は教える時に威力を発揮します。
”記憶に頼らず自分の頭で考える碁” に自然となるからです。
手を記憶しようとすると、覚えてないことに苛立ちを感じたり、
限界を感じたりします。
しかし「その場で考える力をつけよう」は違ったメッセージになります。
そう、覚えなくていいんだ!
不思議なもので、覚えなくていいよ、と教わると、
結果的に覚えてしまう面あります。
ぼける力は、「その日その1局その1手」の印象を強くします。
9子局黒番。白のかかりにコスミつけ、帽子には肩ついて脱出。
勿論基本は大事。しかし毎回上手が同じでは、
下手の思考停止、暗記偏重を招き進化を停めてしまいます。
何よりいつも同じ打ち方、それでは囲碁の面白さを
十分に引き出していないと思いませんか?
まずは上手がどんどん「ぼけて」いきましょう。
そして囲碁界の人はもっともっと盤外でも「ぼけて」発信していきましょう。
参考までに席亭の盤上でのぼけ方「天空流」です。
シーズン1・2(5話ずつ)。シーズン3構想中~。
実生活ではぼけまくりですが、
囲碁に関して盤外のぼけがまだまだ足りないので頑張ります。
席亭動画「天空流」:http://www.youtube.com/watch?v=Q33ViAoxaqU …
2014/06/11
新システムになってユーザーから色々な声を頂いている。
「あれが出来るようにしてほしい」「これはもっとこう変えてほしい」
発信してくださるというのは、想いが強いということ。
貴重な意見に耳を傾けつつ、反省、修正すべき点を一つずつ対応してここまで来た。
しかしあえて対応してない事がある。
それは、”挨拶の自動送信” 機能。
旧石音にはあったが新石音ではあえて外した。
チャットの苦手なユーザーや、毎回同じ文言を打つ面倒をサポートする機能だ。
挨拶以外にもよく使う文言が定型文となり、備わっているネット碁が一般的だ。
石音は囲碁に限らずオンラインゲームの世界で、”交流度世界一”を目指している。
匿名、アバターが当たり前の世界に、文字通り一石を投じたいと思って創った世界である。
便利さを多少犠牲にしても大事にしたいことがある。
以前こんなことがあった。
80代のメンバー。チャットはほとんど出来ずしばしばローマ字に。
対局後にいつものように
「チャット無理しないでください。あそこはこう打つのもありましたね・・」
何本かコメントを打つも反応なし。
こちらは事情が分かっていることも伝え、終了しようとしたその時だった。
「敗軍の将、兵を語らず」
正しい変換で見事な一言が返されてきたのである。
チャットが打てないのではなく、打たなかったのである。
短い言葉だったが、そのタイミング、その空気、そのお写真から
色々な情報が発せられているように感じた。その時、あぁこれだと気づいたのだ。
年代の幅が広いファン層、当然チャットの得手不得手はある。
もし挨拶できなくても、相手が年配の方なら、当然苦手なんだろうなと想像できるだろう。
またゆっくりでも、一言でもコメントがあれば、その想いは通常の人より伝わるだろう。
逆にチャットに不自由しない年代の方が、何もコメントせずであれば、
それがその人だということだろう。
自分流にカスタマイズしたコメントを保存、送信する機能も
今のところ実装の予定はない。
面倒でも、その日、その瞬間、その相手に対して、発したいと思う一言を、
無理せず出来る範囲でチャットしてほしい、そう願っている。
2014/06/10
あれだけ置石があったのに・・
こんな下手の心の声が聞こえてきそうな置き碁の終盤戦。
置碁ではしばしば、終盤の最後の最後に上手が逆転、が起こります。
それもそのはず。盤上にある石の比率が、序盤と終盤では全然違うのです。
例えば9子局。1手目を白が打った時点で、盤上は黒石9個、白石1個。
つまり黒石の盤上占有率は90%。
しかし91手目の盤上は、黒54個、白46個で黒石占有率は54%。
終盤の191手目だと、黒104個、白96個で黒石占有率は52%。
そうです。9子局でも終盤はほぼ互先の状態。1手の価値がどんどん終盤に向けて
小さくなるので、上手の逆転の余地は限られますが、それでもそこまでに黒は
かなりの「貯金」をしないとだめなのが分かります。
つまりこんなことが示唆されています。
『量より率に注目!』
さて最近、周囲の同年代、特に女性の「私は内面重視よ」「外見は関係ないわ」
という発言を耳にする機会が増えてきました。
40代も半ば近くなると、こうした声が増えるのは分かりますが、
「外見まったく関係ないとか本当かなー」と思うことあります。
今までは
「本当は少し外見も気にするけど、いつまでもそんなこと言ってるのは
恥ずかしいから体裁考えて・・でしょ」
ぐらいに思っていたのですが、先日ふとこの置碁の法則から、
"教え"が降りてきました。
つまり、体裁を気にしての発言ではなく、
その人の「外見重視の割合」が下がっただけ、
「外見重視の量」は変わってないのでは、ということ。
ではなぜ量はかわってないのに、外見関係ない!となるのでしょう。
人は成長とともに、経験をつんで「選球眼」が成長します。
20代の時に「10」あった選球眼(相手を選ぶときの要素)。
そのうち「9」が外見、「1」が内面だとしましょう。
(この時は、かなりの面食い)
それが30代には選球眼が成長して「20」に増えますが、
外見は1しか増えず合計「10」、内面は9増えて「10」に。
(この時は、バランスよく外見も内面も重視)
40代には選球眼がまた成長して「30」に増えますが、
外見は「10」のまま。内面だけが10増えて「20」に。
こうして自分の中での比率は逆転して内面2:外見1。
(この時は、内面重視に)
しかしここ10数年、増えているのは内面の分だけなので、
外見に対する自意識が薄れてしまい、
「私は外見関係ないわ、内面重視よ」
となるわけです。
どうでしょうか。
勿論これ以外にも「内面重視にはもっと深い理由がある」とは思いますが・・
2014/06/04
生活必需品以外の分野、いわゆる趣味や余暇、嗜好品の中で、
これから一生関係ないだろうな、と思われるものが7割ほどあった。
自分的にはバイクやタバコ、編み物など。友人や家族に強く勧められても、
まずやらないだろうなという分野。これをAグループとしよう。
次に残りの3割を見渡してみて、その7割(つまり全体の2割)が、
「家族の勧めなど強いきっかけ」があればやるかもしれないけど、
その機会が来ることがイメージつかない。
自分的には競馬や競輪、マリンスポーツがそうだ。これをBグループとしよう。
残りは全体の1割。今やってないけど、きっかけがあればやるかもなーと
イメージ出来るもの。自分的にはギターやチェス、ボルダリングなど。
これをCグループとしよう。
この「なくても困らず生活できるもの」は、ABC、
つまり7:2:1に分けられることに気づいた。
この比率、自分に限らず一般的にもそう違わないのではないか。
今まで囲碁を広めたい想いのあまり、ABC関係なく無鉄砲に
玉を撃っていたかもしれない。
自分に対してタバコ会社がどんなキャンペーンを張ろうとも、
どんな美女を使おうとも、目の保養にはなっても心は動かない。
囲碁でもきっと7割の人がAグループ、ファンにはならない層だろう。
しかしこれは囲碁だけの話ではない。
身の回りにある何でもそうかもしれない。悲観する必要はない。
今まで囲碁が難しい(と思われる)から、イメージが固まっているから、
という先入観で、僕らは100人に教えても1年後数人しか生き残らない現状を
片付けてきた。そしてその確率をあげる方法論に悩みもがいてきた。
しかしABを除いてCグループに絞り込んで、普及したらどうだろう。
もう少し元気が出る結果につながるのではないか。
まずはそれがどんな人というところからスタート。
Cだけでも日本に少なくとも500万人、つまりファン層が
倍増する余地があるということ。
囲碁がCグループに入る人。
それは社会人であれば
「サードプレイスを求める人」
「異業種友人を求める人」
「自己の能力アップを目指す人」、
ここからさらに絞り込めるだろう。
現役を退いた方であれば「心身の健康に敏感な人」が
囲碁Cグループ予備軍だろう。
今まで囲碁の話をするとき、製品説明にならないよう気をつけてきたつもりである。
しかし、○○にもいいですよ、○○という効果もあります、
とてんこ盛りにして、ついついメリットをたくさんアピール、絞ってこなかった。
これからは対象を絞り、効果も絞って訴求していこう。
今までにないレベルで道が開けると思う。早速実行しよう!
名付けて『席亭しぼり』
最後は余計だったかもしれない。