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2022/08/14

もっとボケよう(前編)


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SNSの登場もあって、つっこみ偏重の世の中になった。

それも漫才のようにボケを輝かすためのものではなく、

責めるニュアンスがつよいつっこみだ。



息苦しくならないように、ここはやはりボケの力を借りたい。

そんなボケの景色を切り取っていこうと思う。



4年前の夏の日のことだった。僕は運営する囲碁サイトの

常連の方と京都駅で待ち合わせをした。

旅行に行くついでに一度会いましょうとなったのだ。



その方は82歳。サイトでお互いの写真は見ているが

大分前の写真かもしれず混雑した場所での待ち合わせには

少し不安があった。その方からメールが届いた。



「新幹線中央口出たところで帽子をかぶって待っています」



まじめに提案しているのはわかるが、笑いがこみあげてきた。

真夏の暑いさなか、シニアはみな帽子をかぶっている。

会うのがよけい楽しみになった。



「いやー写真で見るのと違いますなぁ。それに大きいでんなぁ」



改札を出てきょろきょろ見渡していると、ひとりのシニアと

眼があった。ニコニコしながら話しかけてきた。

写真ではわからないが僕は長身なので驚かせてしまったようだ。



近くの喫茶店に入った。

世間話をすこししてからひとつ聞いてみた。



「どうして僕のサイトを選んでくださったのですか」



「それはね、ホームページの席亭の写真を見てこの人なら

  信用できそうと思ったんですわ」



表情から本気でそう思ってくださっているのがわかる。

となりでつれが笑いを押し殺している。

僕も失礼がないようにとこらえるのに必死だ。

出会って最初のひとことは「写真と違いますなぁ」だった。



つっこむのは簡単だがボケるのは難しいと言われる。

たしかにそうかもしれない。



だが自分で意識してなくとも相手がボケを感じることもある。

それでいい。その瞬間、2人の距離は間違いなく縮まる。



あれから4年が経ったいま、はっきり言える。

歳が離れた2人にとってボケは大事なスパイスだ。



それも今まで意識はしてなかった。







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間違いも堂々と言いきると味が出る。

母を見ていてそう思う。



3年前、珍しく11月下旬に都内で雪が降った翌日、

両親とともに伊豆天城に向かっていた。



心配された天気もその日はうってかわって快晴で、

伊豆に近づくにつれて車内から望む富士山が大きくなってきた。

すっかり雪化粧していて白が青空に映える。



「あらぁ綺麗だわね。私は昔から晴れ女なのよ」



後部座席の母がちょっと自慢気に話かけると

助手席のつれもあわせる。

「私達も出かけるときは晴れのことが多いんです」



空気を読むことをしない父がすぐさま反応した。

「私は雨男です」



一瞬会話がとぎれそうになったがすぐ母が回避する。

「そんなの関係ないわよね。四捨五入よね」



車内に「?」が拡散した。

四人しかいないのに捨ててしまってはこまる。

多数決と言いたかったのだろう。



弟の娘が小学校に入学した直後、母はかわいい孫の

様子を僕に電話で知らせてきた。

ちょうどその頃日本中があの半島の国からの飛来物に

神経をとがらせていた。



「昔とはちがうわね。めいちゃんが学校を出ると

  お母さんのスマホに連絡がくるらしいの。

   いま門を出ましたって」



「へぇ自動でメッセージがね。それだと安心だね」



話をあわせると母はちょっと知ったような口ぶりで続けた。



「きっとランドセルにJアラートがついてるんだわ。

  そう、そうに違いないわ」



知らせがくる、に反応してしまうのはわかる。

母は横文字とカタカナに弱い。

いつもならスルーするが、放置すると近所にまいてしまう。

GPSだと思うよ、とやんわり指摘してから電話をきった。



妹の娘たちは毎年夏に米国からやってくる。

高校生になった2人は目新しいものをすぐに聞いてくる。

ひらがなとカタカナは読める。



「おばあちゃん、あれなに?ビックロとあるけど」



新宿を母と妹、姪っ子と歩いているときだった。

去年とちがう大きな建物をめざとく見つけたようだ。



ちょうど彼女達は八王子で買ったユニクロを着ていた。

僕が横から説明しようとした。そのときだった。



「あっあれはね、ビックカメラとクロネコヤマトが

一緒になったのよ」



衝撃をうける僕のとなりで、姪っ子たちは素直に

うなずいていた。







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ボケには2つある。

意図しない天然のボケと意図する人工のボケだ。



定義上はそうなのだが、この中間にあたるボケもある。



これはわざとかな、いや、たまたまかな、と、

こちらに考えさせる。



このタイプに会うとたまらなく得した気分になる。



以前、新宿のネパール料理店でランチを楽しもうとメニューを

選んでいるときに気がついた。AランチはあったがBはなかった。



「これ、ただのランチセットでよくない?」



そんなやりとりを厨房で毎日ニヤリ見ているのだろうか。

店員が日本人ではなかったので、わざとかどうかはわからない。



「日本の朝食」をコンセプトにした素敵なお店が京都と鎌倉にある。

『喜心』の朝食は完全予約制だが、最終スタートは午後2時だ。



「おいしい朝ご飯だったね」

と店を出ると午後の3時半。一度やってみたい。



そんな特別な目で探さなくても、身の回りにボケてるものは

たくさんある。



毎日使う歯磨き粉。これが粉でなくなって半世紀は経っている。

49歳の僕は一度も粉を使った記憶がない。

洗面所で、誰か早くつっこんでくれないかと待っている。



下駄をいれない下駄箱、筆がはいってない筆箱、

乳母が押してない乳母車…。



そうだ。僕が運転するとき隣につれが座る。免許を持たず

地図も読めないが、シート名は「助手席」だ。



数年前の今頃、スナックを食べたあとにこんな表記を目にした。

原材料に「焼きいも」とあった。



「えっ、単にさつまいもじゃだめなの?」



そう思ったら一つあけてさつまいもも書いてある。



「えっ、焼きいもの原材料がさつまいもじゃないの?」



市販されている食品の記載だから、天然であれ人工であれ

ボケは許されない世界かもしれない。

だがかたい事は抜きにしよう。



解けない謎をなげかけてくれるこのパッケージは、

僕にとって極上の「中間」なのだから。







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ボケの力を信じている。

出来ればいつも、ツッコむ側よりボケる側にいたい。



だがボケるシーンを間違えると、期待したツッコみが

生まれないばかりか、一瞬の間に永遠の長さと冷たい風を

感じるはめになる。



ある夏の暑い日のことだった。

新調したばかりのサングラスが胸ポケットから

なくなっていることに気づいた。



どこかで落としたのかなと今きた道を戻るも見つからない。

仕方がないので近くの交番で遺失物届けを出した。

人生初のことだった。



「どんなサングラス?特徴は?」

お巡りさんがメモをとりながら訊く。



答えるまえに一瞬、脳裏に期待がよぎった。



「ポリスです。ポリスのサングラス」



好みのブランド名を告げた。

このシーンがくるのを待ち望んでいたのかもしれない。

僕の口元にはかすかなニヤリが出ていただろう。



「えーと、ポリスね。はい」



まったく何の反応もなく届け出は終わった。



もう一つ。



3年前、人生初の入院・手術を経験した。

検査のとき全身麻酔の耐性を見るのか、肺活量を測った。



結果は6,300ccもあった。標準の140%だ。

念のため2度測定したあとお医者さんは言った。



「すごいねー。年間に7千人ぐらい診てるけど、10人いるか

どうかの肺活量ですよ。あなたお仕事か趣味で激しくスポーツ

してるでしょ」



「いえ、どちらも囲碁です」

(この時も口元は少し緩んでいたはずだ。)



「あっそう。それでは検査はこれでおしまいです」



先生は何事もなかったかのようにカルテを閉じた。



手術前に体調は万全だったはずだが、検査室をでるとき

ちょっと寒くなった。







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囲碁が縁で親しくさせて頂いている89歳のIさん。

とにかくユーモアの引き出しが多い。

いつでもどこからでも飛びだしてくる。



自宅でパソコンを教えていたときのことだ。

席をたとうとするも、スリッパが片方見当たらない。

それに気づいたIさん、即座に



Where is my slipper !



両手を広げてにっこりおどけてみせた。

ヘップバーンの映画のラストシーンを拝借した「ボケ」なのだが、

僕はその映画を知らず即座につっこめなかった。



先日自宅にIさんご夫婦をお招きした。

門から玄関に入るまえ、駐車場をつくるかわりに3坪の庭で

小さな家庭菜園を楽しんでいますと説明したとたん、



「庭は三坪。それでも青空を仰ぎ永遠を思うに足る」



ぽつりとつぶやいた。



「でしょ」とニコニコしながら眼が同意を求めている。

作家・徳富蘆花の有名な言葉とあとで知った。



4人で昼食を楽しんで食後にデザートの果物を

食べているときだった。



つれが、

「この人は自分で皮をむくのが面倒だといって、

苺とかサクランボとか皮がないものばかりほしがるんですよ。

ほんとめんどくさがり屋ですよね」



と僕をダシに奥様に同意を求めた。

そのとき横からIさんが驚くべき一言を発した。



「あれっ皮のある果物なんてありましたっけ」



テーブルの上の時間が一瞬とまった。

となりのつれもどう反応していいか戸惑っている。



これはいつものユーモアから発展したボケなのか、

それとも大真面目に言ってるのか、わからず混乱した。



普段、身の回りのことから何でも奥様がやってしまって

いるのを見てきていた。



それにしても果物の皮を見たことがないとは、いや、

いくらなんでも…。



「あら、ほんといやだわ。この人ったら何言ってるのかしら。

りんごだって柿だって皮があるでしょう」



奥様はあきれ笑っている。

真面目にたしなめているということは、もしかして…。



「あれっそうでしたっけ」



何事もなかったように平然と答えた。



ユーモアの達人が発した言葉の真意は

まだつかめていない。







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以前住んでいたマンションは五階建てで、上から見ると

ロの字型、中庭を廊下がぐるっと囲む珍しい形をしていた。



4階にある自宅の玄関は東向きだった。晴れた日の朝、

ドアを開けると眩しいくらいに朝陽が差し込んだ。



出勤するつれが家を出るタイミングで僕も廊下に出て、

昇りかけの太陽に向かって背伸びをするのが常だった。



つれには朝のライバルがいた。上の5階の反対側から

元気よく学校に出かける10歳ぐらいの男の子だ。



だいたい週に2回ぐらいは、2人がほぼ同じタイミングで

廊下を歩きだしてエレベーターホールに向かう。



反対側に見えるお互いを意識して、どちらもだんだんと

早歩きになる。いそがしい朝にエレベーターを一本

見送るのは痛い。



軽く体操をしながら時折起こる2人の珍競争を見守るのが

密かな楽しみだった。



ある日、彼女がいつものように玄関を出て歩き始めると

少し遅れて小学生も家から出てきた。だが今日はつれの圧勝で

勝負にならない。2人はたがいに気づいてなかった。



エレベーターに乗る前、つれがこちらに手を振った。



いってきます!

いってらっしゃい。



背伸びを途中でやめて僕も手を振った。

その時だった。



ホールめがけて一目散に歩いていたランドセル姿の

男の子が、たちどまって僕に向かって手を振ったのだ。



ずっこけた。



彼からはつれが見えなかったので

僕が彼に手を振ったのだと思ったのだ。



見ず知らずの大人でも、手を振ってくれれば振りかえす。

そんな素直さに驚くも、一瞬おくれて笑いがこみあげた。



―何で俺が小学生に手をふらなあかんねん…。



なぜか大阪弁で自問自答する。



さっき手をふったとき。

それは人知れず僕が「ボケた」瞬間だった。


 

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