2022/08/12
昨秋の東山魁夷展、ある絵の前で足がとまった。
ずっと遠くまで道がまっすぐ続いている。
なぜ「道」を題材にしたのか、何を伝えたいのかはわからないが、
不思議とその絵に魅せられてしばしたたずんだ。
気づくと僕は、絵の鑑賞時間から勝手にはなれ、タイムスリップして
自分の世界にはいっていった。
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こどもの頃から地図が好きで、暇があれば地図帳を本棚から
取り出してぱらぱらと眺めた。
今のように検索できないのがよかった。
日本で一番低い山とか最も長い駅名とか、
目をさらのようにして5歳下の弟と競争して探した。
これは地図をいくら見てもわからないことなので
きっと誰かから聞いたか本で読んだのだろう。
自宅そばの駅、「東中野」があることで日本で2番目
(いまは3番目)とわかってびっくりした。
それは、まっすぐな「直線鉄道」ランキングだ。
東中野から立川までの25キロ近くが直線らしい。
1番が北海道の室蘭なのは納得だが、その次が都会の東京になるのも
意外だった。
ある時、東中野の駅から目をこらして西を見た。
はるか向こうに三角形のサンプラザと中野駅らしきものは見えるが、
その先はもちろん見えない。
本当にずっとまっすぐなのか。
なぜこんな都会で直線ができたのだろう。
何を読めば、誰に聞けば答えがわかるかも、簡単にはわからなかった。
自分で考えても答えはでてこなかった。
いつしかそんな疑問も関心も、記憶のすみっこに
おいやられていた。
数年後の地理の時間のことだ。
先生が放った一言が、雷鳴のような響きをもって僕の耳にとどいた。
頭の隅でほこりをかぶっていた記憶が呼び覚まされた。
「ここには世界最長の直線の線路が通っています」
オーストラリアの南部、アデレードとパースの間に、
世界でもっともまっすぐな線路があるという。
その長さは東中野―立川のなんと20倍、
距離にして東京から京都ぐらいまでずっとずっとまっすぐだ。
先生の一言から、僕の頭の中では授業そっちのけで
「浪漫飛行」がはじまった。
大学生になって最初の年があけた頃、20歳にして
人生初の海外旅行のチャンスがやってきた。
海外も一週間以上の旅行も一人旅も、全部「初」だ。
東海岸のシドニーからはいって西海岸のパースまで
全23日間の日程で、往復の航空券と旅の後半に乗る
「ある列車」以外は事前に何も予約しなかった。
いわゆる放浪の旅だ。
1991年の春はちょうど湾岸戦争が始まっていて、
卒業旅行の行く先を皆海外から国内に変えていたが、
両親の心配をよそに僕は単身豪州にむかった。
「いつどこに泊まるか書いていってね」
母から言われて、最初の3泊はシドニーのホリデーインに
泊まるがそのあとは未定だと嘘をついた。
シドニーにホリデーインが在るかは調べなかった。
勢いだけでシドニーの街中にきたものの、知っている英語の
イントネーションと少し違う。急に不安になった。
見たことのあるマクドナルドのマークにすいよせられるように
はいり、オレンジジュースを飲んで一息ついた。
さてどこにいこうか。
「地球の歩き方」にたよって、安宿がありそうな場所にむかう。
キングスクロス。
南半球最大の繁華街だという。
歌舞伎町をイメージしたが、規模は小さく、昼間は
ふつうの静かな商店街だ。
駅をあがって通りを歩くとすぐに呼び込みの声がかかった。
バックパックを背負っているので旅行者とわかるのだろう。
「3泊するなら1泊15ドルでいいよ」
耳を疑った。1泊千円ちょっとなのは貧乏旅行にはありがたい。
もちろんこのときは、この旅でこれより高価な宿には1度しか
泊まらないとは知るよしもない。
通りに面した金属の扉をあけて階段をあがっていく。
綺麗とはとてもいえない外観なので少しドキドキする。
リビングルームには大きな冷蔵庫とキッチンがあった。
共同で自炊をしながら長期滞在する旅行者専用の宿だ。
3泊の代金、45ドルを払うと、枕カバーとシーツを
渡されて部屋を案内してくれた。
「ハロー」
いきなり面食らった。金髪で綺麗な女性が笑顔で声をかけてきた。
ベッドにすわってリュックに荷物を詰めていた。
まさかと思ったが、僕のベッドは彼女の上だった。
「ソーリー」
彼女は僕がこれから上にあがる階段に干してある
下着などの洗濯物をはずした。
旅行者の「世界標準」に驚いているのはさとられたくない。
僕は世界30ヵ国を旅してまわっているトラベラーのように
軽く笑顔で挨拶した。
男女共同の6人部屋で、全員海外からの旅行者だ。
ほかのベッドも皆うまっているようだが、
昼間で外出中のようだ。
ー海外初日の宿としては悪くないじゃないか。
その夜、ちょっと下を気にしながらベッドに横になって考えた。
明日からどんな旅になるんだろう。
いつどこに誰といこうと、全部自由だ!
単なる無計画とは違う。
こういうのを計画的な無計画、っていうんじゃないかな。
そう気づいたらおかしくなった。
時差はないといっても、初海外の緊張と
日本と正反対の季節で少し疲れたのだろう。
さっそく壮大な無計画をたてていたが、
知らぬまに心地よい眠りについた。
豪州一の繁華街、キングスクロスの安宿を拠点に
旅の2日目からあちこち歩き回った。
生まれて初めての外国だ。
通りすがりの人もふつうの店もすべて輝いてみえる。
ガイドブックを3分おきに開きながら、まずオペラハウスにむかう。
そして遊覧船でハーバーブリッジを巡った。
たまたま席がとなりになった若い女性と、簡単な挨拶から
会話を楽しむ。授業以外で外国人と会話するのも初めてだ。
でたらめな英語ながら、太陽と海風と笑顔の力で
意思疎通は何とかなっているようだった。
地方から出てきてシドニーの大学に通っている彼女は、
今日半日だけのオフを利用してクルーズを楽しんでいた。
下船前に記念に2人で写真をとってもらった。
夕方宿に戻ると、2人の男性と1人の女性がリビングで談笑していた。
女性は僕のベッドの下の住人だ。
新入りなのでちょっと緊張しながら自己紹介した。
ここに1ヶ月滞在しているという、恰幅のいいカナダ人男性は言う。
「日本人も時々泊まりにくるけど、1人は珍しいね。
たいてい2、3人のグループだから」
1人で旅をするとほかの旅人と仲良くなるチャンスは
増えるのかもしれない。
僕にクッキーをくれたのは、アイスランド人のジョードだ。
旅をはじめてもう3ヶ月になるという。
くれたのは1枚だったが、そのあと何気なく勝手に手を伸ばした
何枚かのクッキーは、じつは彼の夕食だった。
夕食を誘うとこう言った。
「僕はいま済ませたよ」
「できるだけ長く旅をしたいからね」
ひとそれぞれ事情をかかえながら旅を楽しんでいる。
ビールを1缶くれたカナダ人は、さっきから凄い勢いで缶を空けている。
いったい毎晩どれぐらい飲むのだろう。
「さあね。数えてないけど、20缶ぐらいかな」
つまみもなしに7リットル。信じられない。
下のベッドの住人、スウェーデン人の女性は、
まるで今日の天気の話のように言った。
「Hi、AKIRA、明日いっしょに映画いかない?」
自己紹介からまだ3分たっていない。
冗談かと驚くが、ちょうどいま誰か一緒にいかないかと
話をしていたところのようだ。
クッキーの夕食、1晩20缶、いきなり映画。
小気味よくショックがふってくる。
こういうのを旅の醍醐味というのだろうか。
いや、まだ序の口だった。
AKIRA!踊りにいこうぜ。
夕食のあとリーダー格のカナダ人が誘ってきた。
新たにイタリア人男性とオーストラリア人女性が加わり、
宿のメンバー6名で近くの立ち飲みBARに繰り出す。
店の名は「TABOO」。
その名のとおりちょっと怪しげなネオンが輝く、
入場料のいらないディスコのようなところだ。
2本目のコロナビールを片手に、宿の仲間の輪にはいって
軽く体を動かしていたとき、ひげ面で190cmぐらいの
大男が話しかけてきた。
「おい、お前どこから来たんだ?」
店内は大音響なので近くでも大声になる。
地元の常連でかなり酔っているようだ。
言葉や態度から、旅人同士の最初の挨拶とは違う空気を感じる。
あまり関わりたくないので、シンプルに日本とだけ答えた。
「なんだ。日本人のくせにでかいじゃないか。」
こちらもほろ酔いだったこともあって、軽くカチンときた。
たいして話せないのに咄嗟になぜか場にあったフレーズが
口をついて出てしまう。
「関係ないだろ!(not your business)」
その瞬間、不意に彼のパンチが飛んできた。
中学生の頃、学校で見にいった映画「ガンジー」で若い頃の
ガンジーに似ているからと「マハトマ君」とあだ名がついた。
だからというわけではないが、僕は非暴力主義だ。
といえばかっこいいが、もとより腕に自信はない。
足元がおぼつかなかったのか1発目はさいわい横にそれた。
即座に僕の右にいたアイスランド人のジョードが間に
とめにはいった。2発目を繰り出そうとした彼に笑顔で
何か話しかけている。
ーこういう時にぱっと笑顔がつくれるのは凄いなぁ。
変なところに感心する間もなく、ほかの仲間も次々にやってきて、
一瞬緊張がはしった空気を笑いでふきとばした。
この小事件のおかげで僕ら宿仲間6人の結束はいっそう強まった。
日付がかわる頃まで楽しい宴は続いた。
翌日、朝からベッド下の住人、スウェーデン人女性オアサ
とでかける。天気がいいので映画は明日にして、今日は
電車で2時間ほどの「ブルーマウンテンズ」に行くことにした。
大きなバックパックを宿においてきて身も心も軽くなった。
オアサと2人、向かい合わせの席で談笑する。
ときおり、流れる車窓に目をむける。サングラスはかけたままだ。
「豪に入っては豪にしたがえ」
そんな文字が頭をよぎりひとりおかしくなった。
初の海外でまだ3日目の、旅の初心者には見られないかもしれない。
珈琲で有名なブルーマウンテンはジャマイカだが、
「ズ」がつくこちらはシドニー郊外の景勝地だ。
残念なことに現地につくと天気が急変して一面霧の中だった。
看板にはここが「エコーポイント」とある。晴れていたらスリーシスターズ
という3つの奇岩が見える絶景ポイントらしいが、何も見えない。
「AKIRA、せっかく来たんだから、2人でエコーしない?」
彼女と気があう理由がわかった。
ポジティブに楽しむ術を知っている。
霧で真っ白のむこう側に向かって一緒に思いっきり叫んだ。
彼女はもちろん、その様子を撮ってもらうのも忘れなかった。
シドニーで3泊したあと、900km離れたメルボルンに夜行バスで向かう。
途中首都キャンベラで軽い食事休憩をとったあと、少し寝ようと今回新調した
アイマスクをつけてみる。眠くなる前にシドニーでの記憶がよみがえる。
今日の昼間にオアサと2人で観た映画『グリーンカード』は、字幕も
吹き替えもなく、見終わってもグリーンカードの意味すらわからなかった。
隣のオアサがとても嬉しそうだったのと、海外で映画を見たことに満足した。
長距離移動を夜にすると体力は必要だが、時間と宿代が浮くのがいい。
バスはメルボルンに朝9時頃到着した。
朝といっても真夏の太陽のひざしは強い。日陰をもとめて中心街の
アーケードを歩く。3日ぶりに背負うバックパックが重く感じる。
と、突然道の反対側から大声で呼ぶ声がした。
「It’s a small world 、AKIRA!」
ーえっ、まさか…。
笑顔で顔をくしゃくしゃにしてるのはジョードだ。
3日間過ごしたシドニーの宿で仲良くなったアイスランド人。
徹底して節約をしながら旅を楽しんでいる、あのクッキーの彼だ。
僕より半日早くシドニーを出発していたが、こんな離れた都会で
まさかまた会うとは。日本でいえば東京で仲良くなった人と福岡で
ばったり再会という感じだろうか。
通りがかりの人に頼んで記念すべき再会の瞬間を撮ってもらう。
少し話そうよ、と目の前のマックに誘った。だが彼はマックに
入っても何か注文する気配はない。あっそうか、と察した僕は、
彼の分もオレンジジュースを買って座った。
「AKIRA、Save your money.」
にっこり笑いながら諭すように言う。
外人がAKIRAと発音するときは2音目、KIにアクセントがつく。
ーわかったよ。でもこれは特別なんだ。飲んでくれ。
英語でなんて言っていいかわからず心の中でつぶやいたが、
表情で伝わっているようだ。僕らは店内のほかのどの客よりも
テンション高めでこれからの旅の予定を語りあった。
ジョードと別れたあと、メルボルンでの宿を探し回る。
3、4日この街にいようと思うが3軒続けて満室だった。
これからさき何度も経験することになるが、勝手きままの
ひとり旅では、この宿探しに手間取ると結構心が折れる。
炎天下のなか歩きまわるのが嫌になってきたころ、
こんな張り紙が目にはいった。
『エアコンきいてます。アイスコーヒー無料!』
いますぐ冷たいものを一口飲みたい。
何も考えずに扉をあけて中にはいった。
「May I help you?」
笑顔で受付の女性から話しかけられた。
ここはタスマニア行のツアーを扱う旅行会社だった。
タイトルにもあるが、この旅のキーワードは「まっすぐ」だ。
たまたま自宅そばに日本で有数の「まっすぐな線路」があり、
高校の授業で「世界一まっすぐな線路」が豪州にあることを知り、
憧れをもって初の海外旅行でやってきた。
だがこの旅の道のりはまったく「まっすぐ」ではない。
店名を見ずにアイスコーヒー飲みたさで飛び込んだのは
タスマニア行のツアーを扱う店だった。
まさか飲み物だけくださいとはいえず、興味ある顔をして話を聞く。
どうやらこれから出発の船に乗ると一晩かけてタスマニアまで行くらしい。
ということは、今晩の宿探しはしなくていい。
そう頭にうかんだ瞬間、10分前まで全く予想していなかった展開が
現実味をおびてきた。こんな理由で海を渡るのも面白いかもしれない。
タスマニアは形も大きさも、場所(緯度)も北海道に似ている。
予習する暇がなかったが、いったいどんなところなんだろう。
メルボルンを夕刻出た船は、1人ワクワクしながら雑魚寝する
僕を乗せて、14時間後に島の北の港町デボンポートに着いた。
タスマニアには足かけ5日間滞在して島を半周した。
1日は山や渓谷をジープで駆け巡る少人数のツアーに参加したが、
ほかはずっと1人だった。
こんな贅沢な旅はほかにない。時間にいっさい追われず、
行きたいところに向かうも、その場で過ごすも自由だ。
タスマニアにきてからつけ始めた旅日記にはこうある。
「バーニーにて。今日は一日中海岸にいたが誰にも会わなかった。
ひとり旅を実感した。夕食はビール1杯、ローストビーフに
ガーリックブレッド、しめて13$。おやすみなさい」
「ロンセストンにて。今日はカタラクト渓谷を歩いて少し疲れた。
とかげがいっぱいいた。途中、自転車でタスマニアを一周している
京大生に会う。日本語を話すのは5日ぶりだ」
メルボルンで宿探しに疲れたからここまでくることになったが、
よく考えるとタスマニアの小さな田舎町で宿を探すほうが
難易度は高い。野宿にならなかったのが幸運だったが、
そんなことにまったく気づかないほど僕はこの偶然の産物、
タスマニアぶらり旅に夢中になっていた。
先の予定が決まっていない。
これを贅沢と感じる習慣は、今思うとこんなときに
育まれたのかもしれない。